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ゴールデン

  • 2011/05/04

家族旅行に行ってきました。

父の運転で飛騨高山まで。父の計画に則り、父の腹の具合に合わせて食事をし、父が撮りたいペースで記念撮影しという旅です。我が家では子どもの頃からこんな旅でした。父のリーダーシップによって楽しい旅になるのです。

子どもの頃、親戚一同で青森のねぶた祭りを観に行こうということになり、父が宿の手配やスケジュールを組むことになったときがあります。父はその時手書きで「旅のしおり」を作りました。そこには起床時間、各家庭が持って来る手作りお弁当のメニュー、高速道路SAの予想通過時間、各地での集合時間、ねぶた祭りの歴史など、こと細かに書かれていて唖然とした記憶があります。「カサギ家、唐揚げ、魚肉ソーセージ5本、おにぎり10個担当」とか、「〜サービスエリアにてトイレ休憩」とか。唖然の次には大爆笑。姉と「(父は)やっぱすごいな」と話したものです。

今回はさすがにしおりはなかったものの、父の独断で夜中に東京をスタートし早朝岐阜のSAでの朝食は、母が持参した食パンに切ったトマトとハムを挟んで食べるオープンサンドウイッチ、気温は2度。ベンチとテーブルがあったので外で白い息を吐きながら食べました。一回の食事に全身全霊を傾けるといっても過言ではない父は「チーズがない(持参していない)のでひと味足りないなあ」と残念がり、それを受けて「あら失礼しました」と流す母。何百回も見て来た我が家の光景。

そこから2日間、素晴らしい景色や山の色、飛騨高山の町並みなどを眺めました。両親と旅行するのは思えば10年ぶりぐらいです。父のペース、父の話を聞く車中、父の食欲など久しぶりに味わい、いろんなことを思いました。懐かしい気持ちにもなりました。父ギャグも炸裂し、何というか身体が楽になったというか、やはり一生この二人の子どもなんだと再認識し、深刻さから少し離れることができたというか、生き返った気分です。

私たちの実家は福島県いわき市です。例え住居を移してもそれに変わりはありません。この震災で被災し、余震におびえ、放射能汚染におびえながらこれからの人生を生きて行かなければいけません。今いわきに住んでいる親戚や知人達も表向き普通に生活してますが、心の中で不安と戦い、日々決断を迫られ、憤りを何処にぶつけていいかわからず、報道に傷つき、でも毎日を元気に生きています。こんな張りつめた状態を我々は今後何十年も受け入れていかねばいけないのです。その中で私ができることはまず父と母を守ることだと思っています。そしてそこから震える福島のために何ができるのか考えていこうと思います。それは今を生きる私たちの義務なんだと思います(これは決して私個人の義務というわけではなく、今を生きる私たち皆という意味です)。苦しみも不安も背負ったまま、福島県は世界で一番タフで美しい土地になると信じて。むしろ福島今相当輝いてるぜと思われるような文化を、運動を、命を私はあきらめないで考え続けたい。

それにしても高速道路1日1000円ってすごい。高井戸から白川郷まで1000円だぜ?!

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