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6月25日-28日 生クリーム
- 7月 05, 2025
6月25日
雨がひどい。自分が移動するときに豪雨になり、目的地に到着した途端止んだ。おい!とツッコミを入れる。気候変動が著しいことがやはり不安だ。昨年の夏、前を歩いていたご高齢の女性が突然倒れた。前のめりになって、頭から倒れた。コンクリートにおでこを強く打ちつけた、わたし思わず声を上げるほどの、強打。大丈夫ですかと声をかけ救急車を呼んだ。意識はあり、とにかく立ちあがろうとわたしの両足のふくらはぎを強く持つのだが、体勢は持ち上がらない。わたしも身動きが取れない。これは大変なことになったと思い、道行く男性に声をかけ状況を説明して、女性の状況を共に見守った。わたしにごめんなさいごめんなさいと言いながら彼女は小さく「…暑い」と言ったのだった。おでこから血が流れている。ああ、これが熱中症だ。なんということだ、と思った。幸いなことに救急車がすぐに駆けつけてくれて隊員のみなさんにバトンタッチができたものの、その後の彼女が気になって仕方なかった。コンクリートに向かって90度に倒れて行った彼女。その後も後遺症が残らず平穏に生活していることを願う。まず熱中症には気をつけようという話だ。イランとイスラエルのニュース。
6月26日
椅子修繕の仕事。集中していると時間があっという間に過ぎる。丁寧に、を心がけたいと思いつつ、暑さが邪魔をする。夜、配信を見る。
6月27日
終日仕事。朝、とてもいいことがあった。いいことというか、嬉しいこと。日傘についてのお話である。このことはいつかどこかでちゃんと書こう。個人的な、とても小さなことです。ナフル、ぼんやりしている感じがする。今年の夏、一緒に乗り越えられたらいいんだけど。がんばろう。
6月28日
昼間、ひとつガッツポーズすることがあった。これも非常に個人的で些細なことだし、なんなら自分のことではないのだが、人生でガッツポーズはなかなかしない。夜、ものすごく不思議な時間を過ごした。人との出会いによって、生かされている。新しいことをひとつ経験することによって、生きていると実感する。学ぶことを忘れたくない、というか、もっと知りたい。わたしはずっと知らないことを「知りたい」だけなのかもしれない。そうやって考えると、自分自身の欲望の過程が理解できる。久しぶりに生クリームのケーキを食べた。美味しい。苦手なはずだったのだが、全然苦手じゃない。むしろ好きかもしれない。質や量の問題かもしれない。それはあんこもバターも、そうなってくると全てにおいて言えることだよね。
ふと思い立って中島敦の「山月記」を読んでみた。何度目かわからない。心の中で朗読しながら読むとまた違った味わいがあるなと思った。こうやってゆっくり読んでいく方が、自分の中に批評的視点が残る気がする。
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6月22日23日 帰省
- 6月 26, 2025
6月22日
いわき。実家。暑かった。いわきもこんなに暑いなんてな。田植えが終わり、緑が眩しい。父と母と話す。祖母の兄妹の話など。新聞に掲載されていた数字パズルの練習問題に手をつけてみたが、全然わからない。数独ともちょっと違うルールのパズルなのだか、何度数字を当てはめてもうまくいかない。修正液で何度も数字を消してはまた書く。えんぴつに切り替え消しゴムで消していたら紙が破けてしまった。チラシの裏にパズルを書き写し、さらにチャレンジするも全く解けず。嘘だろ。わたしの必死な姿を見た父が「これは問題が間違えているのではないか」と憐れみの言葉をかけてきた。そんなわけがないものの、父の優しさ。
6月23日
いわき。月一でエッセイを書かせていただいているいわき民報さんに顔を出してみた。受付の女性に「受賞おめでとうございます」と言っていただき、恐縮する。ありがとうございます。駅前の(世界一の喫茶店である)喫茶ブレイクに寄り、お土産にグリルサンドを買う。電車に乗って品川へ。電車の中でもパズルに取り組んでみたが、やっぱりできなかったのだ。消しゴムがちぎれてしまった、そしてチラシも破けてしまった。勿来あたりから取手ぐらいまでずっと考えていた。頭が痛い。家に帰り、夫に相談する。こんなパズルがあったのだが、と。夫はものの5分で解いてしまった。わたしがルールを勘違いしていたのだ。びっくりする。これは、もしやわたしの人生そのものか。さすがにショックだった。
夜、よしながふみさんの「きのう何食べた?」最新刊24巻を読む。泣きながら。長い付き合となった二人に、愛情しかない。ラストがあるならその日まで、読み続けたい。
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6月15日〜21日 スワッチミーティングなど
- 6月 24, 2025
6月15日
午後、スワッチさんとのミーティング。ここ最近は横浜市旭区の区民施設サンハートにある音楽スタジオを借りて2人でおしゃべりしながら演奏の練習をしている。スワッチさんに先日の岸田戯曲賞授賞式のお礼。「楽しかったですね」と言ってくれてわたしも本当に嬉しい。次の我々の目標はスワッチさんが働いている就労継続支援B型施設での「おうた発表会」である。同じ施設で共に働いているメンバーと職員の皆さまにスワッチさんの新曲を披露する会だ。昨年も参加させていただいた。歌詞カードを作り、会の最後にはみんなで一緒に代表曲「ぼくらのうた」を歌った。今年も堂々の開催決定だ。そこで披露する曲の練習をする。新曲たくさん。スワッチさんの創作意欲と美しい言語感覚、音感には毎回毎回感動させられる。わたしはただただ聴いて、感想を言う。ここのこの歌詞が素晴らしいとか、ここのアレンジかっこいいとか。今回も素晴らしい新曲ができあがった。来月のおうた発表会に向けて曲順など考える。夜、二人でうどん屋に。ヌードルズだからね、と言いながら。といいつつ、わたしはおつまみセット的なものです。昔好きだったバンドの話や、今誰のライブに行ってみたいかなど、そんなとりとめのない話をした。
6月17日
親友がわたしの住んでいる町まで来てくれた。演劇の話をしながら、一緒に焼鳥を食べる。考えながら喋る。共通の友達である演劇集団円の岩崎正寛さんの話をする。
6月18日
そして街で偶然、友達の演劇集団円の岩崎正寛さんに会う。「昨日ザキさん(と呼んでいる)の話をしたばっかりなんだけど!」とわたし大喜び。改めて一緒に飲もうねと話す。ザキさんは本当に優しい人で、大好きなのだ。
6月19日
ナフル、ぼんやりしているが食欲がある。えらい。足元はふらつくが食べることに一生懸命。えらいえらいよ。薬をあげようとすると全身で嫌がる。のけぞる。その動きも相当疲れるだろうになあ。
6月20日
急にハングルの勉強をはじめたのが最近。全く読めないことにストレスを感じたので、思いつきで勉強してみた。少しだけ読めるようになって、街中のハングル表記を見つけては立ち止まって確認するようになった。子音、母音の組み合わせ。さらには「パッチム」と呼ばれる「第三の発音」。新しい感覚が体に染み渡ることが嬉しい。まだアルファベットを覚えているような段階だが、久しぶりに語学学習が楽しいと感じる。名前は書けるようになったぞ。それだけで小躍りできる。知らないことを知ることで、生きているという実感が湧く。幸福な出会いを求めるというのは何も人間関係だけではない。これだという推し。これだという感覚。これだという花。これだというお菓子。これだという作家。これだという言葉。出会いたい。出会わない日もあるだろう。それはそれで大丈夫。穏やかで、それもいいさ。それもいい。夜は近所のスーパーで買ってきた惣菜を食べる。
6月21日
早朝、ニュースをずっと見ていた。戦争や紛争、暴力や差別で、生活が成り立たない人たちの辛さたるや、想像を絶する。絶するからこそ、今のこの世界の状況に向き合わねばならない。想像しなければ、考えなければならない。それが自分のなすべきことの小さなひとつだと信じたい。準備をしていわきに向かう。東京駅から高速バス。バスの中で梨木香歩さんのエッセイ「やがて満ちてくる光の」を読む。泣きそう。励まされすぎて泣きそう。読み進めるのがもったいなくて、本を閉じた。余韻で眠ってしまう。常磐自動車道、茨城の日立を過ぎたあたりからトンネルが増えて、電波状況が悪くなる。そうなればもう、ただぼんやりと緑を眺めるのみ。潔い気持ちになる。
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6月13日14日 かにかま/刺繍/赤い風船
- 6月 16, 2025
6月13日
満員電車に乗りたくないので朝1時間早く家を出る。目的地に到着し、コーヒーを飲む。飲みながら、昼ごはんに「かにかま」が食べたいなあと考えていたらあっという間に1時間過ぎてしまった。なんて贅沢な時間の使い方だ。わたし、空前の「かにかま」ブームがきている。気持ちとしては、毎食食べてもいいが、なかなか外出先では食べられない。ビルの間とかで、こっそり食べたい。夜、所用で水道橋に行く。水道橋ってこんなに居酒屋があるんだな。よく通っていたのは高校生の頃。水道橋にある「お茶の水ゼミナール」という塾に通っていた。その頃は居酒屋なんか目もくれず、森永LOVEでサケライスバーガーを食べていた。今はもう森永LOVEは、どこにもない。塾はサボりまくっていた。3回連続で休むと家に連絡が行くシステムだったので「2回休んで1回出て」みたいなシフトを組んでいた。
6月14日
家で刺繍をしていた。久しぶりの刺繍である。刺繍で最も苦手な作業は、「6本どりの刺繍糸を半分にわける」こと。不器用なわたしはこの細かな作業が本当に苦手である。イライラして「ギャー!」と叫びたくなる。刺繍糸ってなんで6本どりなんだろう。理由あるのだろうか。あるんだろうな。世の中自分の知らないことだらけだ。
「ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン」を観る。なんてことない時間、よくあるかもしれないこの時間の描き方が好きだ。なんか、自由な感じがしてとても気持ちのよい時間だった。ジュリエット・ビノシュがとても楽しそうに見えた。観終わったあと「侯孝賢の映画講義」を読み返す。
梅雨がやってきた。とんがった紫陽花の台頭が気になる。 ...
6月10日11日 理事会/ナフル/心意気
- 6月 16, 2025
6月10日
住んでいるマンションの管理組合の理事会に参加する。理事は今年で2年目。役職は書記。自転車置き場のことやマンションの修繕などいろいろ話すことがある。面倒な仕事もあってなかなか大変。ナフル、食欲ある。やたら食べたがる。もしかして食べたのを忘れているのかも。
6月11日
今日は雨が降りますよ降りますよ降りますよと言われているのにも関わらず、家を出る瞬間降っていないからと油断し普通のスニーカーで家を出る。夕方びしょ濡れ。靴の中で足が冷える。ほらみたことかと言われている気分だったので、強い気持ちでユニクロで靴下を購入し履き替えた。今わたしのできる精一杯の健康維持。だんだんと染みてくる水分。新品の靴下が濡れていく。「靴のソール自体が濡れているんだから靴下を履き替えたって意味ないよ」なんてそんな無気力な意見に惑わされない。少しでも風邪をひかない努力をする。今のわたしにはその心意気が大事なのだと信じて。あと天気予報ちゃんと信じること。家出る時におっくうにならないこと。まあ、注意深く生きること。自己防衛すること。まずはそこからだなあ。
ナフル20歳。
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2025年の6月に
- 6月 07, 2025
2025年6月6日 小さな確信
このページを思い出した。わたしが断続的に続けてきた日記のページだ。見てみると、テーオが16歳で亡くなってから書いていない。その後noteに場所を移して日記のようなものを残してきたけれど、それも昨年の忙しさにかまけてやめてしまった。思えば、テーオが亡くなってわたしの生きる世界が寂しくなったものの、だんだんとテーオの姿は見えないがいつもこの家のどこかにいるような気がして、そこからさまざまなことの見方が変わったような気がする。命の尊さや、死んでからも命が続くことへの確信みたいなものかもしれない。いないけれど、いる気がするという小さな確信を持つまでの時間とともに、わたしたちは生きていくのだというさらなる確信だ。テーオは片目だった。テーオの目が好きだった。その目がどこかでわたしを見ている気がしてならない。そう思うと、声が聞こえてくる気がしてならない。
ナフルは先日20歳になった。我が家に迎え入れてから20年になるなんてびっくりだ。そして20年前、わたしは29歳だったなんてこれまたびっくりだ。49歳まで一緒に生きてこれたなんてさらにすごいことだ。そして今、このような毎日を生きているなんて。老猫ナフルとの日々を含め、これからの日々を生きていくために、再び日記を書こうと思う。どうでもいい記録になるかもしれない。そのどうでもよさが、自分を形作っている。奮い立たせているという、またしても小さな確信が、一ミリの強さを育むだろう。わたしだけではない、全ての人が、朝から夜まで、生きている。いろいろなことをあれこれ想像しながら、自分の日々をまた残していこう、書き残していこうと思う。
というわけで、また断続的にはなりますが日記を再開しようと思います。基本的にはどうでもいい日常の記録です。20代から書き連ねていた約20年分(!)の日記が残っていたのですが、テーオが亡くなった日以前のものは非公開にさせていただきました。
これからもスヌーヌー/笠木泉をどうぞよろしくお願いいたします。
2025年6月 笠木泉
...明け方の猫
- 10月 04, 2023
10月になった。
睡眠時間がとれない。
目が覚めてしまう。
昼間当然のように眠いのだが、一体どうやって活動しているのかわからない。
この睡眠不足の蓄積は、もはや負債である。
どうにか睡眠借金を返したいが、昼間は働いているので返済できていない。
明け方窓を開けるとナフルが待ってましたとばかりにベランダに出る。
毎日の習慣だ。
常に外に出たいナフル。
そのうしろについていき、ご相伴に預かるかのように一緒にベランダに出ていたテーオ。
テーオ単独でベランダに出ることはほとんどなかった。
珍しくひとりでベランダに出ている時に私が不用意に近づくと脱兎の如く部屋に戻ってしまう。
なんならそのままベッドの下に潜り込んでしまい、しばらく出てこなくなる。
とにかく逃げ足の速い猫だった。
いつも何かに警戒しているようで、
それが気の毒だなと思う時もあったが、
ベッドの下ではのびのびやっていたようだった。
私が居間で洗濯物を畳んでいると、
なぜかベッドの下から這い出てきて、
毎回私の膝に乗った。
これは本当に意味がわからなかったのだが、
膝に乗るのは洗濯物を畳んでいる時のみなのである。
ただ座っている膝には決して乗らなかった。
手伝いのつもりだったのだろうか。
膝上の滞在時間は平均5分ほど。
飽きが来たのか、突然去っていく。
なんなら私の膝を蹴り上げて、
またベッドの下に潜ってしまう。
何を考えているのかよくわからない。
そこが最高に魅力的であった。
今も、テーオが見える。
振り返ると、
半透明のテーオがいる。
ナフルの横に、テーオが寄り添っている。
以前よりも、私の前にいる。
見える気がするのだ。
私の脳がその存在を当たり前と理解することを、失って初めて知った。
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テーオ、ありがとう
- 9月 23, 2023
2023年9月20日早朝、テーオが旅に出ました。
息を引き取りました。
16歳。
突然の別れでした。
まだ気持ちの整理がつきません。
小田急線喜多見駅の近くで見つけた眼球の飛び出した猫。
はじめは「メダマ」って名前にしようかと思ったんだけど、
それじゃああんまりだからっていって、
映画「三匹荒野を行く」に登場する勇敢な猫テーオの名前をつけました。
テーオ、旅に出ました。
長い時間のはじまりです。
ありがとう、テーオ。
眼球摘出手術を乗り越え、いろんなことを乗り越え、16年も生きてくれた。
勇敢な猫。
辛抱強くて、丈夫な猫。
触ると逃げるアウトロー。
美声の持ち主。
何より、その存在そのもの。
私たちはテーオに出会えて幸福でした。
船が待つ場所まで、どれくらいだろう。
今彼女は、足取り軽やかに進んでいるだろう。
片目はないが、そんなのはもう彼女にはどうってことない。
16年、それでやってきたから大丈夫。
船に乗ると、友達がそこにいるはずだ。
一緒に旅に行くメンバーが、テーオの到着を待っていると聞いている。
彼の地まで長い時間かかると思うけど、道中おしゃべりしながら楽しんで。
幸せな時間でありますように。
私もそのうち、向かいます。
テーオを応援してくださったみなさま、ありがとうございました!
テーオを保護した時、その時の日記が出てきました。
再掲します。
2007年10月29日「メダマ」
■猫を拾いました。実は一ヶ月前から気になっていた野良猫をついに捕獲してしまったのです。
■その子は今病院にいます。明日眼球摘出の手術をすることになったのです。
■一ヶ月前私が家の近所で初めてその猫を目にした時は左目が飛び出ていて化膿した状態でした。右目は普通の状態なのでたぶん問題なく見えていると思うのですが、左目は、なんというか、その、飛び出ていて、なおかつ塞がった状態なわけです。でっぱった部分が眼球そのもので乾燥して皮膚のようになっている状態なのか、それとも瞼が肥大して目を覆ってしまっているのか私にはよくわからなかったけれど、とにかくめだまは普通の状態ではありませんでした。そしてさらに化膿し、血がうっすら流れている状態。すぐに「この子はもうすぐ死んでしまうかもしれない」と思いましたが、同時に私にはどうしてやることもできないなあとも考えました。
■それからすったもんだがあって、話をはしょりますが、その猫に会いに出かけること一ヶ月、昨日捕獲してしまいました。とにかくその大変なことになっている「メダマ」部分をなんとかしてやりたかったのです。
■病院に連れて行き先生に会わせたら、開口一番、「これは痛そうだ!何でここまでになっちゃったの?」と。そして事の経緯を話して、緊急手術になったのです。先生曰く「もう目としての機能は全く果たしていないし、こんなに眼球が飛び出していたら痛いに決まっている」だって。そりゃそうだ。だってもうメダマはメダマではなく、瘤のように固まってしまっているのだもの。
■いろいろ考えました。で。我が家には愛すべきナフルという猫がいます。ナフルの幸福を一番に考え、まず「猫エイズ等の病気を持っていないこと(ナフルの健康を害してしまうのは困る)」。それがクリアできたら、「ナフルと仲良くできること(ナフルはナイーブな猫なので新しい猫が来たことによって激しいストレスを感じ体調が悪くなるかもしれない)」。この二つの条件があえば我が家で飼おうと思います。片目が見えないハンデもあるし。もし、両方クリアできない場合にはまた別の道を考えようと心に決め、先生に手術と治療をお願いしました。
■名前は今のところ「メダマ」です。しかし明日手術が終わったらメダマはメダマのない猫になっているので、改名するかもしれません。
■もしかしたら家族が増えるかもしれない。私は今かなり興奮していますが、しかしどこかで冷静です。なるべくしてこうなった気もしています。
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