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スヌーヌー「海まで100年」、豊岡演劇祭へ
- 8月 17, 2026
こんな未来が待っているとは思わなかった2年前。
真冬のお話ですが、
残暑の豊岡にて、海に走る我々です。
再演にあたり、渡辺梓さん、鳥島明さん、橋本和加子さんが再び集ってくれました。
スヌーヌーメンバーの踊り子ありちゃん、加藤じゅんこさん、そして音楽を作ってくれたとのちゃんも稽古に参加してくれています。
これから本格的に稽古に取り組みます。
あの日のことを思い出し、自分の日々を思い出し、今を見据え、
キャストスタッフ皆でいい作品にしていきたいと思います。
より遠くへ、より深く、より誠実に。
がんばるぞ。
豊岡で多くの方にお会いできるのを楽しみにしております!
...沖縄でのこと/1
- 8月 15, 2026
みなさん、お久しぶりです。今日は8月15日。
1945年8月15日、終戦の日です。
そう、忘れないように、今年の夏のことを記しておこうと思う。
ちょっとすでに記憶が曖昧な部分(時系列とか)もあるので、急いで!わたしよ!
ーーーーー
沖縄の歴史について学生時分に教科書で読んだことくらいしか知らない私は、事前に本で沖縄の歴史や沖縄戦の実態や考察について学んでいったものの、不安な気持ちでいっぱいだった。飛行機に乗る前から己が無知であることを恥じ、なぜもっと学んでいないのかと過去の自分に問いかけた。
沖縄で演劇を作る。学びながら、考えながら、感じながら、参加者皆で作る。知らないことを胸に抱き、そのままで飛び込もう。覚悟を決める。
なにせ今の時代だ。
戦争反対を言葉にしていかねば。
この闇の先に立ち向かうためにも、全力で過去を学ぼう。
知らなくては。
たくさんの資料と、メモを持って、沖縄に向かった。
これから二週間お世話になるACOおきなわのある那覇の安里に到着。参加してくださる俳優さんとは稽古場であり上演劇場でもある「ひめゆりピースホール」で初めてお会いした。演出の西本由香さんとは劇壇ガルバでご一緒しているし、仲良し。事前に東京でミーティングはしていた。こんなことしてみよう、こんな方向はどうだろう、と意見交換できていた。
まずはそれぞれ自己紹介、そしてこの二週間で演劇を作ることについて、沖縄について、聞いた。とにかくたくさん話してもらおうと思っていた。ディスカッションになって、それがいい方向にいくやもしれない。それはわからない。なにせ全ては手探りなのだ。
さらに次の日、自分のルーツについてお話を聞いた。祖父祖母の記憶について、戦争体験について、自身の故郷について。沖縄戦についての勉強もしよう。そう思い、皆にレジュメを配り、歴史を追った。その凄惨さに、参加者が言葉を失う。絶句する。沖縄に来て演劇をする喜びと、歴史を学び対峙する厳しさに、不安を隠せないようにも見えた。参加者のひとりが、その複雑な胸のうちを言葉に詰まりながら、しかし正直に語ってくれた。知らなかったこと、見たくないもの、考えたくないこと、考えなければいけないこと、明るい方向を向いていたいこと、しかし、それでは、自分たちはきっとどうしいま「ここ」にいるのか、わからなくってしまう。その不安と魂の告白があった。その発言を受けて、さらに私たちは言葉を失いかけた。大きい。届かない事実に。みんながきっと同じ、もしくは近い気持ちであったように思う。しかし、みんなの中では少し年上の参加者が口火を切った。「そう言ってくれて、正直に言ってくれてありがとう。」と発言した。私はこの言葉にものすごく心を動かされた。若い魂が勇気を持って不安を吐露し(その勇気がある意味私を助けてくれた。執筆中何度もこの時間について反芻したからだ)、そのフォローの言葉さえ失いかけている状況で、何か見えない空気を救う優しさを発した。その温かみに、私たちはどれほど力をもらっただろう。一気に場が明るくなり、不安を語ってくれた参加者も、笑顔を見せた。
このメンバーで、たった二週間で演劇作品を作る。そのことを改めて確認した時間でもあった。
私は、このことを書こうと思った。
この「ここにある優しさ」「ここにいるわたしたち」について書こうと決めた。素晴らしい、ここにいる全員のことを書こう。
そこから私は手繰り寄せるように、言葉を探すことを始める。
その夜から戯曲に着手した。
時間はあまりない。少し焦っていた。
まずは参加者の岩田勇人さん(沖縄在住の俳優さんです)の知人のアキオさんにナビをお願いして、皆で沖縄県立博物館に行くことに。「これから二週間で演劇作品を作るんです」と話すとアキオさんは「いいですね。平和じゃないと演劇できませんから、是非頑張ってください」と気にかけてくれた。平和であることが、まずこの博物館の入口から担保されている。胸に響く言葉であった。アキオさんは沖縄先史から戦後の復興までの道筋や、沖縄独自の文化、戦争中の沖縄での惨劇、戦後のアメリカとの関係、自然、喜び、影、気候、気分、言葉、音、この土地の歴史を詳細に教えてくださった。アキオさんのおかげで沖縄の道がほんの少し見えた気がして、戯曲を書き続けた。皆の言葉や、わたしのルーツである福島県いわき市に伝わるじゃんがら念仏踊りのこと、いわきから海を渡りじゃんがらを伝えた浄土宗の僧侶である袋中上人のこと、書こうと思っていたことをまずは。
ほぼ徹夜で書いたものは、読み返してみるといいところと悪いところと、とにかく荒々しい筆致だった。書いたなー。
しかし、これはどうだろう。書いたけど、わたしは何もまだ書けてないのではないか。
次の日皆で話し合い、今度は戦争遺構に足を運んだ。行くべきところはたくさんあれど、全部は無理だ。全員で地図を見て皆で選んだのは、読谷、嘉手納基地近辺。即ち那覇から北上するコースだ。今度はまたもや岩田さんの知人のリョウタロウさんと参加者の青柳糸さん(実家が沖縄の俳優さん)のお母様に車を出していただく。アキオさんといい、もう、本当にありがたい。多くの方の優しさに助けていただいている。
わたしはガマに行きたかった。見るべきだと思っていたからだ。絶対に、何としてでも行くべきだと。
チビチリガマ、そして、シムクガマに行った。チビチリガマで失われたたくさんの命とシムクガマで助かった命。暗闇の中で息をひそめて暮らした人たちの声、叫び、そこにはもうない。美しい緑、大きなガジュマルの木、静寂、虫の羽音、鳥の鳴き声。想像すると、胸が苦しく、しかし、これは、その苦しみにとどまらず、想像しなければと思った。想像すること、思考をやめないことは私たちに許された、残された希望でもあると。しかし、わたしは何を考えているのだろうか、今、ここで、何を。声を聞きたい。そう思った。
つづく(時間がかかるかもしれませんが書きます)
...趣向「THE GAME OF POLYAMORY LIFE」に出演します
- 5月 10, 2026
趣向「THE GAME OF POLYAMORY LIFE」に出演します。
5月30日から6月7日までKAAT大スタジオにて上演します。今は毎日稽古の日々です。
劇作家オノマリコさんが10年前に書いたという戯曲は読めば読むほど面白く、この戯曲を紐解く演出の稲葉賀恵さんが導いてくれる稽古では毎日発見の連続です。
そんな中で「ポリアモリー」という恋愛のカタチ、そしてわたしたちのそれぞれの生き方について思いをめぐらせています。
まあ、いつでもどこでも毎回そうなんですが、なんて自分はなにもできないのだろうと。
打ちひしがれますが、打ちひしがれていても仕方ない。
とにかく自主稽古稽古稽古しかない。
ぶつぶつセリフを口にしてみるしかない。
自転車に乗ってるときもドトールでコーヒー飲んでいる時もセリフを復唱してみるしかないのです。
あとは台本を読む。
向き合う。メモを書き込んだボロボロの台本からまっさらなオノマさんの言葉を掘り返す。
何度も繰り返し読んでいると、流れや感情や、今ここで起きているうねりが理解できてくる。 だんだん、わかってくることがある。
光のようなもの。
そして、登場人物みんなのことが好きになってくる。
人間の愛おしさを感じる瞬間に巡りあえる。
戯曲と長く付き合うとこんな素晴らしいギフトがもらえるのだなあ。 俳優って面白い。 若い頃は「ずっと稽古をし続けたい。このまま本番こなきゃいいのにな」って本気で思っていました。
今もちょっとそう思っている。
ただただ、自転車に乗っている間も電車に乗っている間もずっと考えていたい。
いいも悪いもなく、ただわたしはそういうタイプなんだと思います。 日々チャレンジできるかできないか。
恐れずここにいることができるのか。
その気持ちを作ることも自主的な稽古なんだと思い、思考を巡らせています。
稲葉さんの演出がクリエイティブで、いつも俳優に寄り添ってくれる。
常に私たちを見てくれている、その圧倒的力強さ。
信頼しかない。
今年初めにご一緒させていただいた「果てしない部屋」から、今。
稲葉さんのことを書こうと思うと400字詰原稿用紙50枚ぐらい書けそうなのです。
さらに共演者の皆様がほんとうに素晴らしくて、勝手に誇らしくなる。
20260414 仙台へ/震災遺構荒浜小学校に行く
- 4月 15, 2026
11日に所用で実家のいわきに帰る。
ついでに母の傘を直してあげたりもして、13日にそこから常磐線で仙台へ移動。
久しぶりに友人に会っておおいにビールを飲みたくさんおしゃべりをした(友人は下戸で、飲むのはわたしだけ)。
翌日、友人とふたりで震災遺構荒浜小学校に足を伸ばした。
東西線の終点荒井駅からバスに乗り、海に向かう。
学校の教室にて、3月11日の実際の避難の状況について、当時の校長先生や生徒たち、さらに小学校に避難した町内会長さんたちが丁寧に説明してくださっているインタビュー映像を見た。
静かにやってきた6mの黒い津波、静かな時間、飲まれた生活、雪、寒さ、自衛隊のヘリ、恐怖より諦め、そして不安と、渇望。
亡くなってしまった知人たちへの想い。
見ていたら感情が大きく揺れてきて涙が止まらなくなった。
ちょっとどうかというぐらいに、スクリーンを見ながら、胸が苦しくなった。
思い出すのは福島のことだった。
街の地図。
ここに生活があった。
全ての家に表札があった。
福島の震災遺構請戸小学校にも、このような「なくなってしまった街の地図」があった。
命の重さ、記憶の強さ、生きていこうとする力。
抗えない災害の絶望に立ち向かい、今を生きるみなさん。
今生きることの素晴らしさ。
戦争反対、あらためて、毎日、命の重さを言葉にしなければいけない。
ここで。
20260407 月の裏側
- 4月 09, 2026
もうすぐ散ってしまう
0407
椅子の張り替えのアルバイトへ。
10m×10mのブルーシートを二人でたたむという非常に難しいミッションを遂行するも、失敗。
でかい。でかすぎる。
綺麗に畳めず、次回に持ち越す。
仕事場ではラジオが流れている。
それを聞きながら作業する。
「アルテミス計画」のニュースが耳に入る。
有人での月の周回飛行を目指す「アルテミス計画」の宇宙船が人類の歴史のなかで最も地球から遠い場所に到達したとのこと。
アポロ13号以来、実に56年ぶりだそうだ。
月の裏側を通り、帰還予定。
NASAでは大きな歓声が上がり、大統領も賛辞を送ったと。
わたしの書いた戯曲「モスクワの海」と「月の入り江」は月のクレーターの名前である。
特に「モスクワの海」は月の裏側の地名。
わたしは天文オタクである。
月の裏側とはいったいどんな姿だろう、一瞬心が持っていかれた。
しかし、気分が晴れない。
どうしたってこの戦争の最中に一体何を喜べばいいのだろうという、それこそ「果てしない気持ち」に襲われる。
全然関係ないけれど、中国の宇宙船の名前「嫦娥」が好きだ。
中国の伝説上の女性の名前で、諸説あるらしいが不老不死の薬を盗み持って月に逃げ、のちにヒキガエルになったそうだ。
そのことから中国では「月の女神」として愛されているらしい。
不老不死ならヒキガエルでもいいのか嫦娥。
チェーホフの「かもめ」を読み直してみようと思い、人物表を書き出した。
チェーホフの研究がしたいなあ。
...
20260403-05 大阪へ
- 4月 07, 2026
0403
朝早く新横浜駅へ。
大阪に向かう。
松本清張を読む。
電車の中で読むのにはちょうどいい。
某仕事のための遠征。
春、桜と暖かさ。
心が躍る季節だ。
初めてのことであたふたしたものの非常に楽しい時間だった。
そして襟を正した。
頑張ろう。
友人Sちゃん夫婦の家に泊まらせていただく。
0404
朝から雨が降ったり止んだりの大阪。
散っていく桜を見た。
近所のシブい商店街を散歩する。
非常に小さなリサイクルショップがあった。
売り上げは全て寄付されるらしい。
思い切って普段着ないスヌーピーの絵がプリントされているトレーナーを500円で購入した。
レジに並んだが、店員さんとお客さんが話し込んでいて全然順番が回ってこない。
急ぐわけでもないので、ぼんやり二人の話が終わるのを待っていた。
会社で辛いことがあったらしく愚痴っているお客さんの話を店員さんはしっかりと聞いている。
それを聞いているわたし。
その後、立ち寄ったメガネ屋でメガネを買った。
しかも3つも。
旅先でメガネ3つも買うことないのだが、買ってしまった。
この顛末はまた追って書き残しておきたい。
夜、「アイス食べる?」と幼馴染のSちゃんは家の冷蔵庫からすっとハーゲンダッツのミルク味を出してくれた。
彼女はわたしがミルク味しか食べないことを知っている。
さすがだ。
0405
昼、鶴橋の商店街を散歩。
案内してもらいながらゆっくり時間をかけて歩く。
昨年からハングルを勉強していて、看板が少しだけ読めるのが嬉しい。
少しでも進歩を感じられるのは幸福だ。
20260402 不連続日記
- 4月 03, 2026
2026年4月1日
新年度だ。家にいた。裁縫をしていた。久しぶりにポーチを作っている。やりだすと止まらない。いらないものまで作ってしまう。1日1つの勢いで作ってしまう。新年度だという。さまざまな変化のある日。わたしは特に何も変わらないものの、新年度にあたり「しっかりしよう」と思った。スケジュール管理とか、苦手なことをこつこつやろう。ものをすぐに失くすので、気をつけよう。子供みたいな50歳の目標。日記を再開しよう。これも思い立った。最近なにもかもすぐに忘れてしまうので、書き残したい。今起きている戦争のことをどう考えるのかなど、自分の思考を整理しようと思った。今この瞬間も誰がが殺されていることを、小さな子供の命が奪われていることを、忘れてはならない。ともあれ、戦争は今すぐやめてほしい。そればかりを思うものの、どうしたらいいのか歯痒い。過去に学ぶということも真剣に考えたい。歴史を学ぶ。学びたい。
また別の話だが、ナフル(猫)が20歳を超えて日々一生懸命頑張っていることも記して残していきたい。本当に頑張っているのだ。えらい、とにかくえらいなと毎日声をかけている。
2026年4月2日
椅子の張り替えのアルバイト。仕事中はフロアにラジオが流れている。ラジオを聴きながら作業をする。そこで「石器時代」という言葉が聞こえ、腑が煮え繰り返りそうになった。なんだその言葉選びは。怒りというか、ため息というか、どうしてなんだろう。なんで、そんなことをするの。怒りというか、落胆というか、よくドラマで「怒ってないわ。ただがっかりしただけ」みたいなセリフがあるなと思い出したものの、わたしにはその違いをうまく使い分けられない気がした。どっちもだよ。
ジョナサンでソフトクリームを食べる。次回出演させていただく趣向の戯曲を読む。
ナフルはいま介護とまではいかないのだが、1日2回の投薬(丸薬を粉々にしてちゅーるに混ぜる)が欠かせない。昼間はよく寝ている。起きている時は部屋の中をよろけながら彷徨っている。彷徨っているのかパトロールしているのかわからないが、ずっとぐるぐる同じ場所を回ったり。以前は遠吠えのような鳴き声を出したが、最近は薬のおかげか治っている。目の輝きは衰えていない。顔も相変わらず渋い。ただただ転んでしまう。衰えている。当然だ。20歳だもの。今日も一生懸命ご飯を食べて生きている。えらい。
...
2025年12月31日 一年の終わりに
- 12月 31, 2025
笠木泉です。
2025年ももうすぐ終わろうとしています。
今年は文字通り激動の一年でした。
本多劇場にてはえぎわ「幸子というんだほんとはね」出演、スヌーヌーの不思議な旅で「小町風伝」と「オイディプス王」を読み切る、いわき民報さんでエッセイの連載継続、ニューヨークでの「モスクワの海」リーディング、「海まで100年」の岸田國士戯曲賞受賞、授賞式にヌードルズ(スワッチ+カサギ)ライブ、人生ではじめて本を出版、でかく体調崩す、椅子の修繕のバイトを頑張る、初めてのワークショップを開催する、北海道芸術高等学校仙台サテライトキャンパス演劇部のみなさんが高校演劇大会で「長い時間のはじまり」を上演してくれる、象の鼻テラスでお客様のお悩みを頑なに聞かないママになる、スヌーヌーの新作を執筆する、戸塚のMURASAKI PENGUIN PROJECT TOTSUKAで新作「月の入り江」を上演する、そしてど年末にがっつり体調を崩し、うなり、苦しみ、汗をかき、ドーピングをして、今、復活です。
新しい出会いもたくさんありましたし、今まで出会った友達や演劇の仲間など再会する場面も多かったです。岸田國士戯曲賞という栄誉ある賞をいただき、たくさんの友達が祝ってくれたのは本当にいい思い出です。自分が主役になる会なんて今まであまりなかったもので(基本幹事を担うタイプの人間)、お祝いの席でもどういう顔をしていいかわからなかったです。でも、本当は心から嬉しくて嬉しくて。みんなが笑って喜んでくれるのが嬉しかった。
※※
なにもおいても今年は感謝の一年でした。私の果てしないどん底を支えてくれた方達に、私の声を聞いてくれた人達に、そしてスヌーヌーを見に来てくださった皆さんに、そして、今年という一年を共に生き延びたみんなに、感謝の気持ちです。あと数時間で、例年の如く来年がやってきます。激しい一年になるやもしれません。とんでもないことが起こるかもしれません。私だってどうなるかわからない。でもできればみんなで生き延びていきましょうという気持ちは、いつもの年末と一緒。同じ気持ちで新しい一年に進んでいこうと思います。
戯曲を執筆する際に何度も何度も繰り返し考えます。わたしはどういうことが書きたいのか。太陽の光が眩しい。月の光は寂しい。その美しさ。わたしたちの日々の美しさ、残酷さ、世の中の厳しさ。我々を苦しめるものへ立ち向かう気持ち。それが一体なんであるのかと思考すること。世界をどう見ていくか。隣にいる人にどう声をかけていくのか。その能動的な魂めいたもの。働くこと。食べること。呼吸を整えること。激しく考えること。眠ること。大切にすること、しないこと。自分を苦しめる時間、自分を救う何か。
問いに答えはありません。問いかけても返事はないのです。いや、聞き逃しているだけなのかもしれない。それはわたしの思考が足りない。考えが浅いからだ。だからこそ、今後も今までと同じように繰り返し考えながら、自分の芝居を作っていくつもりです。めちゃくちゃ弱い自分を奮い立たせながら、学びながら、よわくともつよく先に進んでいけたらいいなと思います。
これ、ちょっともうびっくりなんですが、もうすぐ50歳になるんです。生まれたのが50年前っていうのは純然たる事実だから仕方ないにしても、50歳かあ。信じられない。
若い頃に想像していた50歳ってもっと超オトナだったぞ。婦人画報とか美しいきものとか読んでるような。
私なんて男子大学生に間違えられたからな、今年。マスクしていたとはいえ、それもすごいんだけど。
まあ、だからってこともないのですが、これからの人生はよりたくさんの方と演劇について考えることができたらいいなと思う次第です。
そして、もっといい作品が書けるように日々学んでいきたいと思います。
皆さん、一年間本当に本当にありがとうございました。
どうかお身体にお気をつけて(おまえがいうな)、よい年末年始をお過ごしください。
来年もスヌーヌー/笠木泉をよろしくお願いいたします。
2025年12月31日
笠木泉
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6月25日-28日 生クリーム
- 7月 05, 2025
6月25日
雨がひどい。自分が移動するときに豪雨になり、目的地に到着した途端止んだ。おい!とツッコミを入れる。気候変動が著しいことがやはり不安だ。昨年の夏、前を歩いていたご高齢の女性が突然倒れた。前のめりになって、頭から倒れた。コンクリートにおでこを強く打ちつけた、わたし思わず声を上げるほどの、強打。大丈夫ですかと声をかけ救急車を呼んだ。意識はあり、とにかく立ちあがろうとわたしの両足のふくらはぎを強く持つのだが、体勢は持ち上がらない。わたしも身動きが取れない。これは大変なことになったと思い、道行く男性に声をかけ状況を説明して、女性の状況を共に見守った。わたしにごめんなさいごめんなさいと言いながら彼女は小さく「…暑い」と言ったのだった。おでこから血が流れている。ああ、これが熱中症だ。なんということだ、と思った。幸いなことに救急車がすぐに駆けつけてくれて隊員のみなさんにバトンタッチができたものの、その後の彼女が気になって仕方なかった。コンクリートに向かって90度に倒れて行った彼女。その後も後遺症が残らず平穏に生活していることを願う。まず熱中症には気をつけようという話だ。イランとイスラエルのニュース。
6月26日
椅子修繕の仕事。集中していると時間があっという間に過ぎる。丁寧に、を心がけたいと思いつつ、暑さが邪魔をする。夜、配信を見る。
6月27日
終日仕事。朝、とてもいいことがあった。いいことというか、嬉しいこと。日傘についてのお話である。このことはいつかどこかでちゃんと書こう。個人的な、とても小さなことです。ナフル、ぼんやりしている感じがする。今年の夏、一緒に乗り越えられたらいいんだけど。がんばろう。
6月28日
昼間、ひとつガッツポーズすることがあった。これも非常に個人的で些細なことだし、なんなら自分のことではないのだが、人生でガッツポーズはなかなかしない。夜、ものすごく不思議な時間を過ごした。人との出会いによって、生かされている。新しいことをひとつ経験することによって、生きていると実感する。学ぶことを忘れたくない、というか、もっと知りたい。わたしはずっと知らないことを「知りたい」だけなのかもしれない。そうやって考えると、自分自身の欲望の過程が理解できる。久しぶりに生クリームのケーキを食べた。美味しい。苦手なはずだったのだが、全然苦手じゃない。むしろ好きかもしれない。質や量の問題かもしれない。それはあんこもバターも、そうなってくると全てにおいて言えることだよね。
ふと思い立って中島敦の「山月記」を読んでみた。何度目かわからない。心の中で朗読しながら読むとまた違った味わいがあるなと思った。こうやってゆっくり読んでいく方が、自分の中に批評的視点が残る気がする。
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6月22日23日 帰省
- 6月 26, 2025
6月22日
いわき。実家。暑かった。いわきもこんなに暑いなんてな。田植えが終わり、緑が眩しい。父と母と話す。祖母の兄妹の話など。新聞に掲載されていた数字パズルの練習問題に手をつけてみたが、全然わからない。数独ともちょっと違うルールのパズルなのだか、何度数字を当てはめてもうまくいかない。修正液で何度も数字を消してはまた書く。えんぴつに切り替え消しゴムで消していたら紙が破けてしまった。チラシの裏にパズルを書き写し、さらにチャレンジするも全く解けず。嘘だろ。わたしの必死な姿を見た父が「これは問題が間違えているのではないか」と憐れみの言葉をかけてきた。そんなわけがないものの、父の優しさ。
6月23日
いわき。月一でエッセイを書かせていただいているいわき民報さんに顔を出してみた。受付の女性に「受賞おめでとうございます」と言っていただき、恐縮する。ありがとうございます。駅前の(世界一の喫茶店である)喫茶ブレイクに寄り、お土産にグリルサンドを買う。電車に乗って品川へ。電車の中でもパズルに取り組んでみたが、やっぱりできなかったのだ。消しゴムがちぎれてしまった、そしてチラシも破けてしまった。勿来あたりから取手ぐらいまでずっと考えていた。頭が痛い。家に帰り、夫に相談する。こんなパズルがあったのだが、と。夫はものの5分で解いてしまった。わたしがルールを勘違いしていたのだ。びっくりする。これは、もしやわたしの人生そのものか。さすがにショックだった。
夜、よしながふみさんの「きのう何食べた?」最新刊24巻を読む。泣きながら。長い付き合となった二人に、愛情しかない。ラストがあるならその日まで、読み続けたい。
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