沖縄でのこと/1
- 2026/08/15
みなさん、お久しぶりです。今日は8月15日。
1945年8月15日、終戦の日です。
そう、忘れないように、今年の夏のことを記しておこうと思う。
ちょっとすでに記憶が曖昧な部分(時系列とか)もあるので、急いで!わたしよ!
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沖縄の歴史について学生時分に教科書で読んだことくらいしか知らない私は、事前に本で沖縄の歴史や沖縄戦の実態や考察について学んでいったものの、不安な気持ちでいっぱいだった。飛行機に乗る前から己が無知であることを恥じ、なぜもっと学んでいないのかと過去の自分に問いかけた。
沖縄で演劇を作る。学びながら、考えながら、感じながら、参加者皆で作る。知らないことを胸に抱き、そのままで飛び込もう。覚悟を決める。
なにせ今の時代だ。
戦争反対を言葉にしていかねば。
この闇の先に立ち向かうためにも、全力で過去を学ぼう。
知らなくては。
たくさんの資料と、メモを持って、沖縄に向かった。
これから二週間お世話になるACOおきなわのある那覇の安里に到着。参加してくださる俳優さんとは稽古場であり上演劇場でもある「ひめゆりピースホール」で初めてお会いした。演出の西本由香さんとは劇壇ガルバでご一緒しているし、仲良し。事前に東京でミーティングはしていた。こんなことしてみよう、こんな方向はどうだろう、と意見交換できていた。
まずはそれぞれ自己紹介、そしてこの二週間で演劇を作ることについて、沖縄について、聞いた。とにかくたくさん話してもらおうと思っていた。ディスカッションになって、それがいい方向にいくやもしれない。それはわからない。なにせ全ては手探りなのだ。
さらに次の日、自分のルーツについてお話を聞いた。祖父祖母の記憶について、戦争体験について、自身の故郷について。沖縄戦についての勉強もしよう。そう思い、皆にレジュメを配り、歴史を追った。その凄惨さに、参加者が言葉を失う。絶句する。沖縄に来て演劇をする喜びと、歴史を学び対峙する厳しさに、不安を隠せないようにも見えた。参加者のひとりが、その複雑な胸のうちを言葉に詰まりながら、しかし正直に語ってくれた。知らなかったこと、見たくないもの、考えたくないこと、考えなければいけないこと、明るい方向を向いていたいこと、しかし、それでは、自分たちはきっとどうしいま「ここ」にいるのか、わからなくってしまう。その不安と魂の告白があった。その発言を受けて、さらに私たちは言葉を失いかけた。大きい。届かない事実に。みんながきっと同じ、もしくは近い気持ちであったように思う。しかし、みんなの中では少し年上の参加者が口火を切った。「そう言ってくれて、正直に言ってくれてありがとう。」と発言した。私はこの言葉にものすごく心を動かされた。若い魂が勇気を持って不安を吐露し(その勇気がある意味私を助けてくれた。執筆中何度もこの時間について反芻したからだ)、そのフォローの言葉さえ失いかけている状況で、何か見えない空気を救う優しさを発した。その温かみに、私たちはどれほど力をもらっただろう。一気に場が明るくなり、不安を語ってくれた参加者も、笑顔を見せた。
このメンバーで、たった二週間で演劇作品を作る。そのことを改めて確認した時間でもあった。
私は、このことを書こうと思った。
この「ここにある優しさ」「ここにいるわたしたち」について書こうと決めた。素晴らしい、ここにいる全員のことを書こう。
そこから私は手繰り寄せるように、言葉を探すことを始める。
その夜から戯曲に着手した。
時間はあまりない。少し焦っていた。
まずは参加者の岩田勇人さん(沖縄在住の俳優さんです)の知人のアキオさんにナビをお願いして、皆で沖縄県立博物館に行くことに。「これから二週間で演劇作品を作るんです」と話すとアキオさんは「いいですね。平和じゃないと演劇できませんから、是非頑張ってください」と気にかけてくれた。平和であることが、まずこの博物館の入口から担保されている。胸に響く言葉であった。アキオさんは沖縄先史から戦後の復興までの道筋や、沖縄独自の文化、戦争中の沖縄での惨劇、戦後のアメリカとの関係、自然、喜び、影、気候、気分、言葉、音、この土地の歴史を詳細に教えてくださった。アキオさんのおかげで沖縄の道がほんの少し見えた気がして、戯曲を書き続けた。皆の言葉や、わたしのルーツである福島県いわき市に伝わるじゃんがら念仏踊りのこと、いわきから海を渡りじゃんがらを伝えた浄土宗の僧侶である袋中上人のこと、書こうと思っていたことをまずは。
ほぼ徹夜で書いたものは、読み返してみるといいところと悪いところと、とにかく荒々しい筆致だった。書いたなー。
しかし、これはどうだろう。書いたけど、わたしは何もまだ書けてないのではないか。
次の日皆で話し合い、今度は戦争遺構に足を運んだ。行くべきところはたくさんあれど、全部は無理だ。全員で地図を見て皆で選んだのは、読谷、嘉手納基地近辺。即ち那覇から北上するコースだ。今度はまたもや岩田さんの知人のリョウタロウさんと参加者の青柳糸さん(実家が沖縄の俳優さん)のお母様に車を出していただく。アキオさんといい、もう、本当にありがたい。多くの方の優しさに助けていただいている。
わたしはガマに行きたかった。見るべきだと思っていたからだ。絶対に、何としてでも行くべきだと。
チビチリガマ、そして、シムクガマに行った。チビチリガマで失われたたくさんの命とシムクガマで助かった命。暗闇の中で息をひそめて暮らした人たちの声、叫び、そこにはもうない。美しい緑、大きなガジュマルの木、静寂、虫の羽音、鳥の鳴き声。想像すると、胸が苦しく、しかし、これは、その苦しみにとどまらず、想像しなければと思った。想像すること、思考をやめないことは私たちに許された、残された希望でもあると。しかし、わたしは何を考えているのだろうか、今、ここで、何を。声を聞きたい。そう思った。
つづく(時間がかかるかもしれませんが書きます)


















