13年
- 2009/08/16
■13年前に亡くなった友達の命日でした。
■彼女とはワークショップで出会いました。私が初めて通ったワークショップ。そんなわけで13日やはり同じワークショップに通っていた今は映画の仕事をしているKくんと編集の仕事をしているYくんに誘っていただいて飲みました。久しぶりだったんだけど、すんなりといろんな話ができた。彼女のことを考えながらだったからだと思う。
■彼女がとても可愛らしい子で天真爛漫だったこと、から、亡くなったその日のことまで彼女にまつわるいろんな話をした。私は舞台の本番中で紀伊国屋劇場の楽屋でその知らせを受けたこと、震えたまま本番の舞台に出た事、次の日驚く程暑くてぶっ倒れそうになりながら告別式に出たこと、亡くなる一ヶ月前に武道館の小沢健二のコンサートで彼女に偶然会ったこと、亡くなる二週間前に私が当時バイトしていた新宿マイシティの山下書店という本屋に遊びに来てくれた事、その他いろんなことを思い出しては口に出し、当時私たちが一体どんな話をしていたのか、一体どんなことを思っていたのか、何を面白いと思っていたのか、亡くなった彼女はどんな笑顔を持っていたのか、私たちにどんな話をしてくれたのか、彼女が私のことをどんな印象を持って見ていたのか、誰にも話していなかった二人だけの思い出などなど、三人で笑いながら話しました。当時仲がよかった私たちの話は尽きずいろいろ思い出しては大爆笑した。でもその間何度か胸が詰まりそうになった瞬間があって、それはやっぱりどうしても思い出せないいくつかのことがあったり、20歳だった私が彼女の死をきちんと受け入れていなかったことに気がついたり、この13年という時間の長さを思ったり、いろんな気持ちがここに来て押し寄せてきたからなんだと思う。
■芝居を始めてから何人かの知人が亡くなった。そのことにいちいち驚いて来たが、思えばこれからの人生はどんどん死を受け入れなければいけないわけだ。等しく死は訪れる。自分もいつ死ぬかわからない。死なないような気がしていても絶対に人は死ぬ。そのうち驚いてはいられなくなるかもしれない。友人の死を黙って受け入れる日がやってくるかもしれない。しかし、13年前の自分には死があまりに特別だった。受け入れられなかった。恐ろしかった。だから彼女は私にとって特別な人なのだ。
■13年たってようやく見えたことがあった。そしてまあ当たり前のことだが、どんなことがあっても死ぬまで一生懸命生きようと思った。彼女がやりたかったことを私はやり続けていけたらいいなと純粋に思った。大きな意味でも小さな意味でも。それにしても13年たって、おっさんおばさんになった3人でいろいろ話してあの日々が最高に面白く刺激的だったことを再確認できてよかった。若い時期にあんな面白い体験ができて幸せだったんだと。と同時になんだかんだと自分たちの生き方をも再確認するという非常に不思議な日になった。彼女の話をしつつ結局三人して自分の人生を顧みるなんて、まあ結局自分のことしか考えてないんじゃねえかといわれても仕方がないのです。ま、いいかと思う。その中心に彼女がいたからいい。許してくれると思う。というか彼女のおかげで今またこうやって彼らと会えてる。彼女が私たちを繋いでくれている。
■なんかうまく書けたかどうか(うまくというのは自分の思った事を書きたいように書けたかということ)わからないし、たぶん客観的に見てまとまりの欠けた文章ではあると思うんだけど、今日はこれで一旦終わりにする。自分はたくさんのことをきちんと書こうとしたって土台無理な話で。書こうと思ったこと、こんな風に書き留めておきたいと思ったことの100分の1もここに残せない。と、言い訳か。まあ、ただ書いた事は間違いじゃないだろうと思おう。彼女が私たちに大きな影響を残してくれたし今も影響され続けてるってことを書き記しておきたかったのだ。