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「トウキョウソナタ」について

  • 2009/11/29

映画「トウキョウソナタ」を観た。

監督の意図とはちょっとずれるのかもしれないけど(実は黒沢清監督の作品を見たのは「ドレミファ娘の血が騒ぐ」一本だけで、それはすごく面白かった記憶があるけど、それももう何年も前のことになるのか・・・)、私はほとんどのシーンをにやにやしながら見ていた(後半、役所広司さん登場からはもうギャグとしか思えなかったし)。それとは別にカメラと被写体の距離がどのシーンも絶妙で、何というか私の中で正解だったのだ。どのシーンもカメラの位置や映像に映り込む光が作る世界があり、それによって見るべきものがはっきりする。「ああ、ここはこういう気持ちで見ていいんだな」と安心した。そしてこの映画は丁寧に作り込まれた「ウソ」なんだとはっきり教えてくれる数々のともすれば不自然な演出や人物配置がさらに私を安心させる。こんなことはきっとないけど、似たようなことは転がっている、その小さな距離感が、正直ありがたかった。

俳優さんも全てがぴったりだと思った。今まで見た香川照之さんの中で一番よかったし、小泉今日子さんも今まで見た中で一番よかった。二人の存在にいちいち心動かされたし、最後近くになって二人が違う場所で同じセリフを(正確には全く同じじゃないけどほぼ同義の)言うシーンはまるで夢のようだった。

見てから一日経過した今も、何度も何度も映画のことを考えている。いい映画だった。面白かった。素晴らしかった。変な映画だった。・・・どの言葉でこの映画を大切に思えばいいのかまだ考えている。とにもかくにも見てよかったです。あ、あるシーンで号泣してしまったのだが、自分の人生に起きたあることを思い出したからだ。直接的に思い出したというより、遠回りしてたどり着いた記憶の端にあるような些細なことではあるのだが、何故それを?というようなことで、不思議な体験だった。

語弊を恐れずに言えば、キョンキョンにうちの母を思い、香川照之さんにうちの父を思ったのだ。・・・いや、もちろんいろんな意味で間違ってますが、この感想は。小泉今日子さんが、あるシーンで、目の前に広がるあまりのことにただぼんやりするしかないって時の顔をしていて、「あ、いつだったか母もこんな顔していた時があった」と思っただけのことなんだけど。顔自体は全く似ていません。

※※
相変わらず体調不安定でして、今週は頭が痛い日がやたら多かったです。不安定具合がいつも違う気がしてちょっと怖いです。病気、嫌だ。身体を大切にして、今もこれからもしっかり生きたい。こんなことを考えるとは、年をとったのです。

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