3月11日によせて
- 2011/03/14
■3月11日の地震と津波で実家が被災しました。福島県いわき市下高久という場所です。いわき市だけではなく福島県の浜通り、宮城県、岩手県が大きな被害。被害という言葉では足りない。
■私が育った街、宮城県仙台市若林区。いわき市。映画「パンドラの匣」でお世話になった宮城県南三陸町。あの風景もあのホテルもあのお店もと思うと胸が苦しくなります。テレビで私の思い出の場所が消えてしまったことを知り、何というか、自分の身体が動かなくなりました。関節が痛み、頭がきしみました。私が動けないとか、意味わかんないと思いつつ、家族のことを考えていると、原発のことを考えているともう動けない。情けないです。皆がツイッターでいろいろなことを言っていてどれももっともだと思ったけれど、そこに何かを書き込む程の力もなかった。
■しかし私は、私たちは前を向かねばいけないということもわかっている。身体がそう言っているのがわかります。被災した父母は無事でした。家の一歩手前まで津波が押し寄せ、家の前の畑は液状化現象で車が沈んでしまったそうです。しかし父は「キュウリのキュウちゃんが食べたい」とか言っています。すごいっていうかさ、何故そんなものが食べたいんでしょうか。でも、やっぱりこうなったら父にキュウリのキュウちゃんを腹一杯食べてもらいたい。というか、家族の命が失われたかもしれないという時間の孤独を知り、私は初めてキュウリのキュウちゃんの大切さを身体で理解したように思うのです。何言ってんだかという感じですね。
■いわき市には劇場があります。アリオス。いつかその舞台に立ってみたいなあと思っていたけど、この震災で私ができることを考えたとき、やはり「演劇」ではないかと思い、もし可能になったらそこで朗読会や舞台ができないだろうかと考えました。もちろん落ち着いて、そんなことが考えられるようになり、アリオスの方が話を聞いて下さったらですが。家族や親戚、街の人、市の人、病院に入院している人、おじいちゃん、おばあちゃん、子ども、私の家族を守ってくれた人、街、家族、いろんなものが輪になって生きて行くんだと、初めて、本当に初めて身を以て感じています。私が(自分で気がつかない程に)大切にしているものが消えてしまったことへの諦めと希望。いわき市の方々が、東北の皆さんがどんなことがあってもこれから生きて行くという力。思ったことがうまく書けているかどうかわかりませんが、私は今神奈川にいて、家族とは土地なのではないかと考えています。土地に育てられ、土地に愛し、ここまで生きて来た。これから何を返すことができるだろう。
■亡くなったたくさんの皆さんのご冥福をお祈りします。なじみ深い訛りで話しているであろう被災者の皆様どうかどうか頑張って下さい。心から祈っております。私もまた普通の生活を受け入れて、何が被災者の皆さんに有効な行動になるのか考えて自分のまた新しい時間を作って行きたいと思います。