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日々の覚え書き

  • 2013/05/21

某日

先日神保町の矢口書店で購入した本がこれ。

落語が好きになって2年程である。

親と一緒に「古今亭志ん朝一門会」を見に行ったのがきっかけ。

その後、テレビの落語番組を録画してせっせと見たり、

数多くはないけれど高座を見に行ったりしている。

実は枝雀さんの落語はそんなに興味がなかった。

ご本人のお顔は大好きだった。

ドラマに出演していたりしているのが好きだった。

しかし、テレビの演芸番組かで高座を見た時、

その柔和な顔から発せられる激しい表情に驚いた。

驚いて、驚いたままにしておいた。

でも最近ふとYOUTUBEで枝雀さんの「まんじゅうこわい」を見た。

鳥肌が立つくらい面白かった。

何かが憑依したような表情、動き。

こちらは笑うしかない。

パソコンの前で、脱力してしまった。

過去の自分は節穴だったと言わざるを得ない。

というわけで購入に至ったわけです。

枝雀さんが自ら命を絶ったことは記憶している。

当時衝撃を受けたことも覚えている。

何故彼が…というのはもちろん病気だったりするわけだけど、

この本を読んで、

読み終えて、

溜息をついた。

つくしかなかった。

芸に生きるとは、どういうことなのだろう。

笑わせるとは、どういうことなのだろう。

真面目に生きるとは、どういうことなのだろう。

正直に生きるとは、どういうことなのだろう。

私は考えてしまった。

しかし、明日は来る。

考えても考えても答えは出ず、しかし明日はやって来る。

明日はまた高座に上がり、お客さんを笑わせたい。

楽しませたい。

笑ってくれた、みなさん、ありがとう。

でも、自分は笑えない。

そうやって生きる、とある1日を想像した。

1日で済むなら、まだいい。

これが毎日だ。

生きている間に高座を見たかったのは、

やっぱり古今亭志ん朝さんと桂枝雀さんだ。

全く違うタイプの2人だけど、どちらも好きだ。

生で見ることができたなら、どちらも泣いてしまう程感動しただろうなあ。

演技や芸が好きになると、

その人のことが知りたくなるのは人の常で、

だから私は落語家に限らず女優や著名人の人となりを書いたエッセイや、自伝が好きだ。

読めば更に好きになる。

どんなにダメ人間でも、性格が悪くとも、根暗でも、犯罪ギリギリでも、

読むと、ああ、いいねえとなる。

人は清濁混じりあってこそ(濁濁混じりあいでも)の豊かさだと、私はどこか思っている。

歪んでいるからこその、面白さがある。

そう思っている、というより、

そう思いたいのかも。

歪みっぱの、自分を擁護するために。

今年は誰の高座を見に行こうかなあー。

 

 

 

 

 

 

 

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