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美味しいもの
- 5月 05, 2011
■なんか食べてばっかりだ。
■昨日まで甘いもの甘いものと呪いのようにうめいていたのだが、昨日久しぶりに稽古に行って急に米が食べたくなった。これは確実に稽古だったからだと思う。不思議だなあ、演劇ってやつあ。知らないけどね。というわけで今米を炊いています。
■私は本当に食い意地がはっていて、いつも食べ物のことばかり考えている。お風呂では料理本を読み妄想したり、街を歩いては美味しそうな店を発見し妄想したりする。なるべく妄想で済ませ、実際には食べないように心掛ける。
■私のよく読む料理本の一つに「チクタク食卓」というのがあって、高山なおみさんの本です。高山さんが作る一年間の食事の写真がただ延々と掲載されているだけというもの。食卓の写真のみ。すごく地味で適当でいいかげんな食事の日が面白い。日常なんてだいたい適当だよねってことを確認できてぐうたら人間の私は心底ほっとする。精神的に助かるー。しかもそういう適当食事が一番美味しそうなんだよね。「花のズボラめし」も然りでしょうか。美味しそうで、適当過ぎて、救われる。
...ゴールデン
- 5月 04, 2011
■家族旅行に行ってきました。
■父の運転で飛騨高山まで。父の計画に則り、父の腹の具合に合わせて食事をし、父が撮りたいペースで記念撮影しという旅です。我が家では子どもの頃からこんな旅でした。父のリーダーシップによって楽しい旅になるのです。
■子どもの頃、親戚一同で青森のねぶた祭りを観に行こうということになり、父が宿の手配やスケジュールを組むことになったときがあります。父はその時手書きで「旅のしおり」を作りました。そこには起床時間、各家庭が持って来る手作りお弁当のメニュー、高速道路SAの予想通過時間、各地での集合時間、ねぶた祭りの歴史など、こと細かに書かれていて唖然とした記憶があります。「カサギ家、唐揚げ、魚肉ソーセージ5本、おにぎり10個担当」とか、「〜サービスエリアにてトイレ休憩」とか。唖然の次には大爆笑。姉と「(父は)やっぱすごいな」と話したものです。
■今回はさすがにしおりはなかったものの、父の独断で夜中に東京をスタートし早朝岐阜のSAでの朝食は、母が持参した食パンに切ったトマトとハムを挟んで食べるオープンサンドウイッチ、気温は2度。ベンチとテーブルがあったので外で白い息を吐きながら食べました。一回の食事に全身全霊を傾けるといっても過言ではない父は「チーズがない(持参していない)のでひと味足りないなあ」と残念がり、それを受けて「あら失礼しました」と流す母。何百回も見て来た我が家の光景。
■そこから2日間、素晴らしい景色や山の色、飛騨高山の町並みなどを眺めました。両親と旅行するのは思えば10年ぶりぐらいです。父のペース、父の話を聞く車中、父の食欲など久しぶりに味わい、いろんなことを思いました。懐かしい気持ちにもなりました。父ギャグも炸裂し、何というか身体が楽になったというか、やはり一生この二人の子どもなんだと再認識し、深刻さから少し離れることができたというか、生き返った気分です。
■私たちの実家は福島県いわき市です。例え住居を移してもそれに変わりはありません。この震災で被災し、余震におびえ、放射能汚染におびえながらこれからの人生を生きて行かなければいけません。今いわきに住んでいる親戚や知人達も表向き普通に生活してますが、心の中で不安と戦い、日々決断を迫られ、憤りを何処にぶつけていいかわからず、報道に傷つき、でも毎日を元気に生きています。こんな張りつめた状態を我々は今後何十年も受け入れていかねばいけないのです。その中で私ができることはまず父と母を守ることだと思っています。そしてそこから震える福島のために何ができるのか考えていこうと思います。それは今を生きる私たちの義務なんだと思います(これは決して私個人の義務というわけではなく、今を生きる私たち皆という意味です)。苦しみも不安も背負ったまま、福島県は世界で一番タフで美しい土地になると信じて。むしろ福島今相当輝いてるぜと思われるような文化を、運動を、命を私はあきらめないで考え続けたい。
■それにしても高速道路1日1000円ってすごい。高井戸から白川郷まで1000円だぜ?!
...「名前をなくした女神」
- 4月 17, 2011
■実は、フジテレビ「名前をなくした女神」に木島弥生役で出演させていただいてます。
■第一話が終わりましたが、各方面から「超怖い」「ヤバい」「危険」「一体どうなるのこれ」との言葉を頂戴致しました。これからどうなるのか!
■今日も撮影でした。写真は岸本ゆかり役、春木みさよさん!ゆかりと弥生はいつも一緒。待ち時間も常に隣に座って、いろいろあーでもないこーでもないとお話しさせてもらってます!
...いわき日記中断して、現在
- 4月 15, 2011
■いわき日記がずいぶん長引いてしまいました。そしてまだ終わってません。今は東京です。あ、間違えた。神奈川です!両親と一緒に帰って来ました。
■あれからまた状況が変わりました。4月11日、震災から1ヶ月で大きな余震があり、いわきはまた断水したようです。今日現在、わたしの実家の地区はまだ止まっているみたい。住んでいる皆さん、大丈夫でしょうか。心配です。
■そして原発の状況が日々変わって行きます。毎日ニュースをみて一喜一憂するしかありません。
■わたしの頭の中は今遠い福島にあります。風景、食べ物、親戚、家、思い出があります。もちろんわたしは引っ越しが多かったので(仙台、柏、東京と引っ越しを繰り返しています)福島が思い出の全てではないけれど大切なひとつであることには間違いないし、父と母が育ち私が生まれ祖父祖母が生きて死んだ街です。
■その場所が今失われつつあって、私は正直途方に暮れているのだと思う。でも、希望だってもちろん失っていない。私、いつか福島県浜通りで芝居がしたくて、それで「劇団浜通り」とツイッターでつぶやいたらたくさんの方々が反応してくれて、今や劇団浜通りの笠木泉として認識されている時も。すごいね、ツイッターってやつはさ。ツイッターに助けられるし、嫌な情報もたくさんあるけど、やっぱりありがたいことの方が多かったな。
■今日は寝ます。おやす。
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