ナフル記念日/恋愛時代
- 2007/12/03
■昨日は友人が遊びに来てくれたのでカレーを作った。肉なしで、ほうれんそうとカッテージチーズのカレーにしてみた。肉なしなのもなかなかいいです。たくさん食べても罪悪感がないからです。
■ナフルが友人の膝に抱かれる瞬間が二度ほどあってびっくり。ナフルは無類の怖がりで、昔だったら押し入れに隠れて出てこなかったのに。すごい。なかなか感動的な時間だった。テーオが来てから少し社会性が備わったのかもしれないですね。
■エドワード・ヤン「エドワード・ヤンの恋愛時代」の内容を全く覚えていなかったことは前回書いたが、思い出した感覚がある。前に映画館で観た時には「あんまり面白くなかった」と思ったのだが日が経つにつれて「やっぱりとても面白かった」と思った感覚を思い出したのだ。実は今回もまた同じ気持ちになったからだ。何が面白かったのか、それをうまく言い表せないのだが、何かにつけて思い出す。ツァイ・ミンリャン「楽日」は見終わった後すぐに「面白かった」と言えたのはきっと全てにおいてハッキリしていて力強い表現だったからで、簡単に言えばわかりやすかったのだ。セリフ、ないし。
■「恋愛時代」はそれとは違う、何だろう、じわりじわりと、とかなんとかぐだぐだ言っておいて、そんなこと言っておいて全て忘れちゃうくせにね。それにしても原題は「独立時代」で邦題は「エドワード・ヤンの恋愛時代」。映画を見終えて、ストーリーを考えると「独立時代のままでいいのになあ」と思いました。だって独立していく人間たちの話なんだから。恋愛は二の次だったと思うよ。
2 Comments
渕野修平
6th 12月 2007 - 2:53:24こんばんは、スコッチで酔っ払った通りすがり、大学時代は梅本洋一の元で映画を勉強していました渕野です。
エドワード・ヤンの『恋愛時代』、僕も好きな映画です。 その通り、邦題が良くないのです。僕ら都市生活者の孤立を、生々しく描いた映画はありません。日本と台湾という差異は問題ではなく、都市生活者が共有出来る問いが、そこにはありました。画も好きでした。主人公が明け方会社の窓から外を見るシーンは美しい。登場人物も共感を持って笑わせ、泣かせてくれました。あの作家がタクシーを追いかけるところも良い。
今年亡くなったエドワード・ヤンですが、『恐怖分子』(Terrorizers) を見た時には、北野武以前に、このような乾いた恐怖を描いていたことに驚かされたものです。
『ヤンヤン夏の想い出』が遺作になってしまったというのは、本当に残念なことです。これも名作ですが。
でも、これも邦題がひどいですね、原題は”A One and A Two” 「人生は1+2といったふうに簡単なものだ」
世界を表現する手段として、彼が最後に選んだのは、世界の最小単位である「家族」でした。特殊な政治状況を生きた彼が、最後に原点回帰のように、このような作品を作ったのも、今では必然であったのかなとも思わせられてしまいます。にしても、もっと映画を撮って欲しかった。
以上、アイリッシュに手を伸ばし始めた酔っ払いでした。
kasagi
10th 12月 2007 - 3:33:54渕野修平さん、こんばんは。
長いコメントありがとう。
しかもスコッチ片手に書いてくれたとは。
フチノくんもエドワード・ヤン好きでしたか。主人公が早朝の台北を眺めるシーンは、気持ちよかったです。たった一人で味わう状況も切なくていいですよね。
「ヤンヤン」の原題、面白いねえ。なるほどね。
これに懲りずアイリッシュに手を伸ばしつつまたコメントして下さい。ところでアイリッシュって何?ウイスキー?よく知らないんですけど。