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1月2日 金星


地獄の南北線



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4/15〜4/30 の日記

  • 2020/05/23

4/15

今日は415日。年金の受給日だという。

高齢者の方々が金融期間のATMに並ぶであろうと思い、銀行には行かない。私の財布には数日前から300円程度しか入っていない。さすがにそれはよくないのでちゃっちゃと行かねばとは思うものの、足が向かず。このコロナ禍の状況からと、なんでもかんでもスマホで支払うことを覚えてしまった私の怠惰さからである。

twitterを見る。よく見ている。画面を開くと出会い頭に大きな情報が目に入る。少し検索したりする。嫌になり、自分にtwitter見ない宣言を出し、すぐに見る。

twitterを見ていると、世界が近くなったと感じる。昨年中欧に行く際に、訪れる国のリアルタイムの状況が知りたくてウィーン/プラハ等に住んでいる日本人の方を数人フォローした。彼らの職業は音楽家、主婦、留学生など千差万別。twitter上でつぶやくことは当然ながら日本にいる私たちと同じ種類のものだ。日々の暮らしについて、ウィーンの美味しい店情報や政治のこと、名所案内、ビールの旨さ、クラシックコンサートの感想、日本への思いなどなど、私が日々を記すのと同じように遠く離れたところにいる彼らも普通の生活の記しをリアルタイムで書きとどめている。日々それを読み、同時に自分がいかに閉鎖的な感覚を持ち合わせているのかを認識する。私はきっとどこかで世界は繋がっているのに繋がっていないと感じているのかもしれない。しかし、私の感覚は間違っている。彼らのつぶやきを読むとわかる。ウィーンやプラハは横浜のすぐ近くにある。それはある意味事実だ。

最近の日課は、早朝目が覚めるとまず日本時間の深夜にアップされている在ウィーンのフォロワーの方のツイートを読むことだ。オーストリアの感染者の推移、政治的状況、街の状態、そして皆さんの生活について知る。ヨーロッパではたくさんの方が感染し、犠牲になっている。遠く離れた国で、多くの方が苦しんでいる。耐えている。そして今、我々もまた苦しんでいる。

私は彼らの言葉を知ることでこの世界の状況を想像し、そして心の連帯を持つことができる。声高に共に歩もうとか心を一つにとかそういうことではなく、遠くで暮らしている人と自分たちが繋がっているのだという想像力を持つことが今の自分にはとても大切だ。

自分のことであり、他人のことである。他人のことであるが、自分のことである。私はもっともっと、知られていないこと、報道されていないこと、行ったことのないところ、知らない人のことを想像すべきだと思う。自分がですよ。自分がね。もっと世界を知らなければならない。

ところで、私は台湾という国を尊敬している。東日本大震災の時に台湾は巨額の寄付をしてくださった。福島県に思いを寄せてくださった。その物理的距離を超えた心意気と優しさに当時どれだけ励まされたかわからない。台湾という国が持つ大きな正義とでもいうか、そういうものにあの時心底惚れたのだ。一昨年は旅行にも行けた。旅はもう最高に楽しかったし、またいつでも行きたいと思っている。叶うなら明日にでも行きたい。それは現実問題無理だから、ガイドブックを見て想像を膨らませたり、台湾料理本を読み込んだり、台湾映画を見たり、現地に住む日本人の方を数人フォローしたりして、日々近くに感じている。うちの隣は台北。そんな気持ちだ。台湾で今一番流行っているもの、美味しいもの、台湾野球、文化、コロナへの対応、そして政治について、twitterから知る情報は本当に大きい。もっと知りたい。今台湾で、どういう状況なのか。

いつになるかわからないが、また旅に出よう。必ず。

 

 

4/16

今日も早起きだ。こんなに睡眠時間が短くて大丈夫なのかと自分で心配になる。今日は全然大丈夫じゃなかった。昼間眠くてぶっ倒れそうになった。

さて、朝から晩までコロナウィルスについてのことばかり考えてしまう。それでは精神衛生上よくないので、昨日からこの日記を書きはじめた。あと、どんな短いものでもいいから毎日読書することにした。長編なら何度も挫折した夏目漱石か?いや、常にうっすら眠いから、読み出してすぐに寝てしまいそうだ。それはそれでいいけど、なんか損した気分にもなる。短編のほうが気が楽でいいな。一応読んだぞと胸を張れるし。いざとなったら星新一が本棚にいる。久しぶりにエヌ氏エス氏に会いにいこう。本屋に行かなくとも、積ん読も電子文庫もある。そして何より青空文庫があるじゃないか!というわけで昨日は新美南吉「ごんぎつね」を読んだ。なぜ?と言われても困る。なんとなく、ごんぎつね。そういう気分だったのです。読み終えて、子供のときに読んだはずだが内容をほとんど忘れていた自分に驚いた。新鮮に読めた。得した。

毎日何かを読み、何かを書く。それでしばらく暮らしていこう。

3月に書き上げた戯曲を読んでみる。自分の心が離れてしまっているのを感じる。一体この戯曲はどうなるのだろう、全部書き直さねばならないかもしれないと思いながら、細かいところを書き直す。どうしたらいいものか。

夜、そば。蒸したさつまいも、サラダなど。固いプリンを作ってみた。明日食べる。

 

 

4/17

早朝に散歩。いつも歩く近所の川沿い。

ミシンでマスクを縫う。誰かのために縫っているけれど、結局は自分の心の安寧のために縫っているのではないか。運針、ミシンは無心になれる。

睡眠時間が足りないからか、疲れた。昼寝する。

夜ご飯を作って食べて、それからしばらくニュースを見たり、本を読んだりする。

政治に対して思うところが多すぎて処理できない。コロナに対しても情報を処理しきれない。負けそうだ。でも、こんなことで負けてはいられない。怒るところはもっとしっかり怒っていこう。わからないことは経験を頼りにしよう。自分の感覚、嗅覚、正しさの指針を頼りにしよう。縮こまったら、伸びよう。辛くなったらいつでも羽根を休めるんだ。過去の自分が今の自分にそう言っている。

 

 

4/20

 

母の誕生日だ。昨年は実家に帰り、いわき駅の近くにある寿司屋で二人でお祝いをした。今年はそれが叶わなかったが、まあ、仕方ない。

友人のInstagramを見ていたら急に羨ましくなって、生まれて初めて生地からピザを焼いた。かなり美味しくて驚いた。テンションが上がるとはこのこと。落ち込んでいる時にはピザを焼くことにしようと思う。

 

4/21

 

今日は幼なじみの誕生日。大阪に住んでいる。チョコレートケーキを送った。彼女とは長い時間を過ごしてきたが、ガトーショコラが結構好きだということを知ったのは一昨年だった。意外だった。意外っていう感情が、意外だった。

美味しかっただろうか。これからもずっと元気でいてほしい。

 

4/23

木曜日。頼んでいた生協の配達日。冷凍の魚や野菜。大変新鮮で、本当にありがたい。配達してくださる方にも感謝。

アベノマスクが大変なことになっている。信じがたい。信じがたいことばかりで、ここはフィクションの世界かと疑いたくなる。

あることをつきつめて考えれば考えるほど深く掘り過ぎ、たどり着いた場所は悲しさで満たされてゆく。それがこわい。だからといって考えないのはいけない。立ち止まり、考え方を精査する。そして別の道を探す。いつだってそうだ。大事だぞ。バランスを取るんだ。平均じゃなくてもいい、みんな、それぞれ、だいたいのサバイバルバランスを。

この状況に負けそうな人たちと共に、頑張らねば。

 

 

4/24

金曜日。銀行に行かねばならず、自転車で。その足で薬局、八百屋と回る。本屋も行きたかったが自粛期間によりこらえてそのまま帰宅。

友人の子にマスクを作って、昨日の生協で届いたかつおを食べる。解凍して刺身として。すごく美味しかった。冷凍だけど生の刺身を食べるのは3週間ぐらいぶりじゃなかろうか。この刺身好きの私が!

読書を進めるも、あまり面白くない。でも昨年ものすごく売れたみたいで、ちょっと困っている。これから面白くなるのかな。なるさ。きっとなる。なってくれよ。それから家にある古い文庫を少し拭いてみる。表紙は綺麗になるけど、肝心の本の紙が変色し汚くなっていてどうにもなあという気分になっている。ひとえに私の管理が甘いのがよくない。もう本当にボロすぎてさ、再読したくともなんだか落ち込むよ。古本屋さんで購入した綺麗に経年した、もしくは新しい紙の匂いを漂わせる本が読みたい。体験としての読書が好きなのだから!

そんなこというなら、じゃあ、きちんと保存しておけ。

 

 

4/26

日曜日。少し頭が痛い。構うものか!と薬を飲み昼寝。よく眠った。少しずつつまらない本を読んでいく。やっぱりまだおもしろくならない。ただ小説の舞台が昔住んでいた街なのでそこは幸せな気持ちになれる。

夜はほっけを蒸す。キャベツを食べる。

あんこが余っていたので、あんこチョコくるみケーキという節操ないケーキを作ってみる。小麦粉がかなり少ないレシピ。

 

 

4/29

昨日の夜から体調が悪い。あまり眠れなかったが、起きたらそうでもなかった。薬局に行き薬とサプリメントを買う。ソーシャルディスタンス無視マスクなしのおじさんに話しかけられそうになり逃げる。おじさん、ごめん。

マスクを作り、あとは裁縫をしていた。

母が送ってくれたじゃがいも20個全部芽を出していたので慌てて13個茹で、全部潰す。かなりの重労働。

 

4/30

月末。どうしても銀行に行かねばと重い腰を上げた。

A銀行は予想通り激混み。ATMに並ぶ人の列が外まで。皆ソーシャルディスタンスを保って並んでいる。皆がきちんとしていると、きちんとしていない人のことが気になるようになってしまう。例えばマスクをしていない人。マスクをしていても鼻が出ている人。カップルで行列に並ぶ。接近してくる人。マスクを耳にかけて電話をしている人(某政治家のように)。

B銀行は誰も並んでいない。面食らう。不安になるぐらい人がいないのだ。「ここで何か事件でもあったんですか?」と聞きたくなる。聞かなかったけど。ともあれ人が並んでいないのは非常に助かる。急いで用事を済ませ、帰宅。

自転車に乗る。天気が良い。風が気持ちいい。今私は心の中に大きく重いものを背負っている。それが嘘のようだ。

子どもたちの声が聞こえる。騒ぐ子供たち。走っている。笑っている。

私は子どもの頃から根っからの室内派なので、外で遊べないことに関しては特にノーストレスだったろう。しかし思い出してみると、家そのものにいるのは嫌だった。私は19歳で実家を出るまで、一人部屋を持ったことがない。一人になりたくても家の中ではなかなか難しかったので、お約束として押入れにこもったりもした。ジョゼか、カツオか。埃だらけの暗闇の中、小さな灯をつけて漫画を読む。雑誌を読む。その時間を大切にしていたことを思い出した。ああ、だから今でも狭くて暗いところが好きなのか。コックピット願望はここから来ているのか。

夜、会議。ZOOMでの会議は自分の顔も画面に表示される。顔が疲れているなと思って、気になってしまった。変な髪型だなとか。

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