9月になっていました/ポワロ
- 2021/09/22
嘘でしょという感じだ。
もう9月も半ばだなんて。
こんなに時間が経つのが早すぎていいのか。
いいわけない。
何してるんだ!
いえ……いろいろしていたんですよね。
8月も9月も。
ワクチンも2回接種しました。
しかし、毎日の瑣末なことはどんどん忘れていく。
そうでもしないと、日々を乗り越えられないのか。
…そうかもしれません。
乗り越えるために大いに忘れる。
本当は瑣末に私の幸福があるのになあ。
少しずつだけど、たくさん、忘れていく。
※
日々の忘却は時に不便だ。
そんな時のために、抗うために、今年から5年日記をつけている!
実は何も今年ばかりじゃない。何度も試みているが、失敗している。
1月3日ぐらいまでの日記なら、10年以上はあるかもしれない。
要するに、三日坊主なのだ。人生是三日である。
しかし今年は今日まで書き続けることができている。
※
相変わらず、空いた時間は「名探偵ポワロ」を見ている。
昨年のステイホームから見始めて、最終話「カーテン」を除く69話観了、これで2巡目である。作品によっては3巡目だ。ポワロとヘイスティングスの丁々発止なやりとりもほぼ記憶しているし、犯人もすぐにわかっちゃう。忘れていたって、すぐに思い出す。はらはらしない。
でも、見る。
見たい。
テレビの温もりに触れたい日、でも、どきどきなんてしたくない。
そんなとき。
だからわたしはポワロさん。
熊倉一雄さんの優しい声。
ミス・レモンの豊かな服装や髪型。
ロンドンの奥ゆかしい街並み。
永遠のトラディショナル。
この2巡目でも最終話「カーテン」は見ないと思う。
だって、終わりになんかしたくないからね。
※
とはいえ、映画もぼちぼち見ている。
韓国映画の「はちどり」が面白かった。小津安二郎の「長屋紳士録」も面白かった。少し遡ると岡本喜八の「日本のいちばん長い日」をようやく見た。これもものすごく面白かったし、勉強になった。
※
2021年9月。
疲弊が過ぎる夏だった。でも、そう言ってばかりもいられない。疲弊というマイナスをエネルギーに変換させて、進もう。進めない日があったら、休むわ。
※
「三体」、続編に手を出すかどうか迷う。
理由は(本が)重いから。
8月になっていた!/「三体」の途中
- 2021/08/02
もう8月だ。信じられない。
今年は、何も書かないまま、8月。
世界は大きな渦の中にいる。
つらい。
よし。
書くぞ。
日常的なこととか、なんでもいいから。
ーーー
今、大人気ベストセラー小説「三体」を読んでいる。
まだ途中なのでなんとも言えないけど、
こういうとんでもないものを書ける人を心から尊敬する。
あまりのことに笑っちゃう。
ギャグ漫画読んでいるみたいな気分だ。
しかし専門的科学的要素の部分とかナチュラルに飛ばし読みしている自分がダサい。
そういうことをするから、読んだ本をすぐに忘れてしまうのだろう。
<モスクワの海・延期記>2021年1月 前半
- 2021/01/17
2021年1月
4日
誕生日。
誕生日は年に一度、無条件に「自分、よかったね」と言える日である。そして産んでくれた母に、家族に大いに感謝する日だと思っている。45歳になれた。幸福だ。ありがとう。友人からメールがくる。ありがとう、ありがとう、とテンション高いまま母親に「ありがとう」とメールしたら、「あ、忘れてたわけじゃないのよ。朝から忙しくて……」と返信が。なんだか悪いことをした。
誕生日なのでソフトクリームを食べる。
新型コロナウィルスの感染拡大が続く。
緊急事態宣言が発令されて、稽古場が使えなくなった。
家で「モスクワの海」の戯曲を読んでみた。
これは冬の話だ。
描き直したいなと思って、メモする。
演出も、もう少し、シャープにしたい。
12月のスヌーヌーの演劇公演を延期中止にした時に、「暖かくなったらやろう」と4人で話し合ったのだけど、これは3月になっても4月になっても厳しいのではないかと思い悩む。
医療現場の映像を見ていると、そう思う。
終息に向かうまで、ここに留まること、これが今唯一私ができることなのではないか。
いや、自分たちは自分のたちのやりたいと思ったことを感染拡大防止策を徹底してやるべきではないか。
マインドAが、思い悩む。
前に進んでない気がするけど、別に進まなくてもいいんだけど、進めないけど、とにかく自分を保って、進めるようになったら進む、それしかないのではないか。
ふと、他の人と比べてしまう。
すると、マインドBがやってきて、
「それは、ダメである」
「ダメ、絶対」
と私に言うのだ。
禁忌事項である。
わかりましたか?
そうでした!失礼しました!
それにしても、
自分の正直な声を聞くって、嫌だし難しいことだなと改めて思う。
政治家の発言を見るたび聞くたびに、血圧が下がるような気がする。
手が冷えるのだ。
8日
健康診断を受ける。
昨年の6月に予約したら「半年待ちです」と言われおののいたのも今日。
明日は必ずやってきていた、ということだ。
検診を受けたお祝いにソフトクリームを食べる。
11日
一昨年に参加させてもらった「明日のアー/最高のアー」の映像をみんなで見るという会に出る。
全員ZOOMで参加。
ZOOMとはいえ、皆の顔が見れて嬉しい。
映像を見ながら「コロナ以前のコントなんだなー」と考えていた。
相当密な舞台である。
舞台袖も狭くて、超密。
今思えば、楽しかったなあ。
左右と石川浩司さんの演奏もとってもかっこよかった。
しかし、大北さんの台本は現在を予言してたかのようだ。
ウイルスのコントがあるではないか!
オチはウイルスとは全く違うところに着地するんだけど…
私は反省材料多し。
声が安定していないなとか、もっとここはやれたな、とか気になることが多かった。
ただ一点、私が足を大股に開いて四股を踏んでいるような瞬間があり、
衣装のスカートの美しいドレープと相まって、
非常にふざけた愉快な絵に見えた。
そういえば、稽古中あのポーズをやる時は自分の心も愉快だった。
あれが自分的に面白かったから、いいか(一昨年の反省だし)。
もう一つ、映像を見ていて、「これは今年直そう!」と決意したことがある。
明日のアーを見て、決心がついた。
今年の目標が決まる。
2021年 今年もよろしくお願いします
- 2021/01/03
2021年が始まりました。
みんなにとっていい年になりますように。
世の中が少しでもよい方向に向かいますように。
皆のそれぞれの日々が少しでもよくなりますように。
災いに負けないで笑って生きていけますように。
まず私は冷え性を治していこう!
真剣に向き合おう。
寒くて仕方ねえ。
暖かくなったら、スヌーヌーの公演も頑張ります。
ナフルとテーオも頑張っています。
今年もどうぞよろしくお願いします。
笠木泉
<モスクワの海・延期記>中止を超える
- 2020/12/19
2020/12/19
「モスクワの海」が中止延期になった。
先に、長い文章を書いた。そこに書かれていることが全てである。今まさに新型コロナウィルスが感染拡大している真っ只中だ。様々なことを議論し、お客様のためにも、社会のためにもやらないほうがいいと、4人で決断した。
決定し、事を粛々と進めた。各所に連絡し、説明をした。TwitterなどのSNSに書き込み、告知をした。メールを書いたり、返信したり、稽古場のキャンセルをしたり、それで数日が経過した。
この舞台は今年の夏から準備を始めた。このコロナ禍の中、ひょっとしたら「こうなるのではないか」とあらかじめ覚悟はしているつもりだった。そうなってもへこたれたりしないように心の準備をしていた。日々ジャッジを重ね、自分のメンタル危機管理を整えていたはずだった。
しかし実際は、それを軽く飛び越えてくるものがあった。まあ、私のメンタルの弱さは各方面に定評がある。「涙に価値がない」とまで言われるほどの泣き上戸だ。まずはそこだろ、かもしれないものの。
「公演中止の選択は、もしかしたら間違っていたのではないか」
「意味をなさないものなのではないか」
その思いが今も自分の中にある。
「会食、ステーキ、マスクなし」。
一連の報道を見る。
これで「医療従事者に云々」という、その矛盾。
誰が、誰を守るのか。
この大いなる矛盾を引きうけて、私たちは前に進むしかない。
10月からこつこつ稽古をしてきた。
その中で、出演者の3人である松竹生さん、高木珠里さん、踊り子ありさんとたくさん話をしてきた。
いいチームだと思う。
この状況下で演劇の稽古を続けることは結構いろいろ大変だけど、まずもって重要なことは「相手を尊重すること」だと思ってやってきた。人として当たり前のことだし、とりたてて言うことではないかもしれない。小さなことかもしれない。でもこれは結構超重要で。それが今4人の間で、バリバリ成立している。ストレスがない。奇跡のフォーメーションだ。それは俳優3人が舞台上でお互いを尊敬し合っているからなのではないかと、稽古を見ていて感じた。もしかして3対1だったら、どうしよう!でももし3人が結託して私の悪口を言っていても、私にバレなければ構わない!頼む、この先もだまし続けて欲しい!
ここで皆さんに朗報。3人ともすごく素敵な俳優さんだ。
3人を見ていると、俳優の呼吸とはこういうことなのだなあと勉強になるし、あと、純粋に楽しそうだ。面白いことをやろうとか、こういうふうに見せようとか、そういうことではなく、それ以前に、もっと原始的な「幸福」がそこにあるというか。私も3人に混じってセリフを言いたくなるが、あいにく私の出番は一切ない。びた一文ない。私は基本的には当て書きスタイル(世にそんなスタイルがあるのか知らないが)なので、今後も自分のセリフは書けないし書くつもりもない、感じがします。ちょっと厳しい、感じがします。
中止にしようと決めた日、3人が延期を強く希望してくれたことに、大きな力をもらった。
前に進む力だ。
私もこの3人の姿をみんなに見て欲しい。
暖かくなった頃に、なんとか、見て欲しいと思う。
それが私の次の目標になった。
少ない機会を最大限使い、稽古に勤しみ、いつか見てもらえますように。
というわけで、小さな演劇「モスクワの海」は続くことになった。中止になってから書き始めるのも不思議だけど、この公演に関して思ったこと、俳優のことなど、チームのことをここに記録していこうと思う。
2020年から2021年の我々の演劇の記録である。
新型コロナウィルス感染拡大が少しでも収まりますように。
うがい、手洗い、マスク、これ絶対。
スヌーヌーvol2「モスクワの海」公演のお知らせ
- 2020/11/08
どんなことがあろうとも、8月
- 2020/08/05
こんにちは。
最近は日々の走り書きをnoteに残したりしていたのですが、それも停滞してしまいました。
書くことで自分を支えようと思ったり、書かないことで日々の嫌なことを忘れてしまおうと思ったり、毎日気持ちが揺らぎます。でも、やっぱりどんなことがあっても、このページをなくしてはいけないと思って今日はリアルタイムで書いてみます。
8月になりました。
コロナ禍は日々混迷を極めています。昨日は大阪の学者さんが知事と記者会見をしていました。うがい薬の件です。先ほど薬局に買い物に行ったらイソジンがごっそりなくなっていました。こうなることがわかっているのだから、もっとやり方があるのではないでしょうかと、率直に思います。
7月は日本各地が天候不良で多くの被害が出ました。胸が痛みます。そしてこれからも私たちの生きるこの世界では何が起こるかわからない。そのことをしっかりと受け止めなければいけない。なかなか受け止められないけど、どうにか直視しなくてはならない。
私が端っこに座っている演劇界も揺れています。毎日何かしらの記事を読んでは、考えています。今考えていること、今自分が恐れていること、今自分の体が一体どのような状態であるのかということ、そのことはやはり辛くともメモしておかねばならないなと思っています。でも、嫌になっちゃうんだよな。メモに残すと、事実が事実であると証明してしまう気がして。頭の中でだったら、あれ?昨日の嘘みたいな政治家の発言は私の妄想かな?とかってやり過ごせちゃうんじゃないかって。まあ、それはそれで危険なんだけど。
明るいことを考えようと思っているし、前向きに日々を生きようと思っています。その一つの手がかりとして、映画鑑賞やドラマ鑑賞、読書、漫画等々、そう、文化があります。そういう人がもちろん大多数。自分を支える何か。音楽、スポーツ、絵画、お笑い…それらはやはりどんなことであろうとも命に直結しているんだろうなって最近強く思います。ないとつまんない。家族、睡眠、食事、体調、ライフラインの少し後ろ、それぐらいには重要なことです、少なくとも私にとっては。というか、順番じゃないですね。違う。皆同じラインに置いておける日々を確保したい。相互的に寄り添い絡み合って、私たちは生きていけたら素晴らしい。そして今私たちは、ありとあらゆる方面から、大切な何かを奪われてしまう可能性がある社会にいるのではと思う時があります。もう奪われている人たちも多くいます。そのことについて考えます。
5月の日記 後半
- 2020/07/23
検事定年延長改正法の採決が見送られるとの報道。見送り。見送っちゃだめよね。秋の国会までに国民の理解を得られれば…って、理解は難しいよ。だって毎日皆でいろいろ論考したり討論しているけれど、おかしいって。ありとあらゆる角度からおかしいってなっているでしょう?黒川さんは辞めるべきだし、定年を延長すべきではない。なぜなら、政府は自分たちのやりやすい人をトップにしておけば楽なのだ。起訴されないから。いいよいいよってスルーされちゃう。そんなのおかしい!と怒っても、「いやいや、結局責任はそんな政治家を選んだ国民にあるんですよ」となる。全ての考え方が「ずるい」。ざっくりいうと、ズルして自分たちのやりたいことやっていこうぜって思っているようなのだ。そんな人たちに大義名分を与える必要はないよなあ。ここはずばっと廃案にして欲しい。
歯医者から美容院へ移動し、髪を切る。コロナ対策でマスクをしたまま髪を切ってもらう。消毒もしてもらう。窓は開け放ってある。少しずつ皆で新しい方法を模索していこう。緊急事態宣言で休業していた立ち飲み屋が営業再開していた。バーは外にテーブルを出して屋外営業。焼鳥屋はテイクアウト。閉店した飲食店。コンビニの食事スペースはそう簡単には元に戻らないだろうな。マスクはコンビニでも販売が再開。適正価格だ。よかったよかった。これで皆が買えるね。
アベノマスク、もちろんまだ届いていないし、もう確実にいらない。寄付する。
夜、ミートソースを作っておいたのでそれと、ちょっと高級なサラダチキンでサラダ。キャベツなどの浅漬け。
演劇のことをずっと考えている。不安にもなる。楽観的にもなる。何か今現時点で大きく実行に映さなくとも考え続けていることが大事だと言い聞かせる。自分の中で一体何が必要なのか、どこに豊かさがあるのか、まだわからないけれど、とにかく毎日を大切に生きよう。命を大切にしよう。身体を、脳を、大切にしよう。そしてまだ見ぬ世界やまだ見ぬ人に想像力を発揮できますように。自分に頑張って期待しよう。
夜、NHKで依存症の方が入る介護施設のドキュメンタリーを見る。
5/20
朝から雨。寒い。非常に寒い。
昼、夫に中華まんを作る。先日初めて作ったところ、皮がすごくいいと言ってくれるので、調子に乗ってまた作る。中身は何でもよい。今日はピザソースとチーズでかなり適当なピザまん。でももしかしてこれ中身いらないんじゃないかなとも思うので次回は皮だけの花巻みたいにしてみよう。
午後、時短で営業しているとのことで数日前から予約していた鍼灸院へ。しばらく迷ったけれど、身体と相談し、行かなければいけない気がして決断。
2ヶ月半ぶりに横浜駅。密を避けて人通りの少ない道を選んだのもあるけど、ものすごく人が少ない印象。百貨店が開いていないからな。オープンしている食品売場は混雑しているのだろうか。鍼に行く時に必ず寄っていたそごうの食品売場に行くのも今日は我慢だ。三月末にオープン予定だった駅ビルのnewmanが開いたら人もどっと増えるのだろうか。
消毒をして治療してもらう。身体が冷えているのでお灸が心地よい。先生から、自覚症状がないのかもしれないけど首と肩がものすごく固いので電気鍼にします、と。久しぶりに電気。終わってみると全身のあちこちが軽くなった気がする。ありがたい。来てよかった。とにかく今は身体と精神を大切に。しっかり労わらねばと思う。
急いで帰宅。雨が降ってきた。ニュースを見ていると疲れてしまうので、「サピエンス全史」をすこし読む。鍼を打ったからかものすごく眠い。早めに就寝。
5/21
木曜日。鍼のおかげか身体が楽。雨、それにしても寒い。洗濯をあきらめる。午前、書いている台本に手を入れる。構造の問題。全部壊したくなるが、それでは何も解決しない。
毎日ごはんを作っている。忘れないように写真を撮りたいが写真を撮ることそのものを忘れてしまう。夜は生協のカツでカツ丼にしてみた。カツも玉ねぎも食べられないので味見ができない。卵エリアだけ味見してみると何となく辛い気がする。夫に濃いかもと伝え反応を待つ。大丈夫との答えに安堵。私はかつおを食べる。写真はなし。忘れた。
猫が二匹ともわたしの枕で寝るようになった。一年で何度かそういう時期がやって来る。何のバイオリズムなのか…。
今日のニュース。はー。
任期延長問題であれだけ騒いでいた黒川検察庁長官が急遽辞任することになった。昨日の文春砲で新聞記者との賭けマージャンがばれたのだ。
賭け麻雀認めた検事長、定年後勤務延長なしなら「民間人」? 今後の捜査に影響も(Yahoo!ニュース)
https://news.yahoo.co.jp/byline/maedatsunehiko/20200521-00179569/
まず賭博罪や収賄罪ではないかということです。Twitterで読んだのは、蛭子さんが以前賭け麻雀で摘発された時に「もう賭け麻雀はやらない。賭けてもいい」と言ったんだって。蛭子さん!
辞めるのはもちろんなのですが、政府は何とか有耶無耶にしてこの件を済まそうとしている感じがします。責任取らない。しれっと辞める人に押しつける、この手口。
黒川さん、極めて軽い訓告処分で、このままだと退職金の額がハンパないらしい。この上の記事だと7000万と書いてある。ひー。何なのこの人たち。
国家公務員法改正案、政府が廃案方針固める(産経新聞)
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6360392
「必要性が薄れた」という最もらしい理由でしれっと廃案にしようとしている。しれっとJAPAN。しれっとしれっと、なかったことにしそうだ。そしてまだまだある、もうしれっとしたニュースばかりだ。こんなひどいニュースばかりで、おかしくなりそうだ。これもしや自分の方がおかしいのかなと思うほどに。
寝る前にヨガ。YouTubeで動画を見ながらやってみる。すごくいい。やっぱり先生に呼吸を指示してもらうと全然違うな。ポーズに集中し過ぎると呼吸を忘れてしまう事が多いのだが、いいタイミングでパソコン画面から「は〜い呼吸してえ〜」と指導が!私を見てるのかと言わんばかりの絶妙なタイミング!ということはここは多くの人がポーズにかまけて呼吸を忘れてしまうポイントなのだな。先生ありがとうございます。
鼻からの深呼吸で身体に空気が通った気がした。普段いかに適当に呼吸をしているかを思い知らされ、反省する。ちゃんと自分の身体は自分自身だと理解しなければいけないのに、私にとって私は近しい他人のようだ。ゴキブリのポーズで自分をこの手に取り戻そう。
5/25
月曜日。神経痛が痛い。頭痛が痛いみたいな、あまりよくない日本語かもしれないが、神経が痛いというのも少し違和感がある。相変わらず早起き。朝、掃除洗濯。文章を書く。致命的なミステイクに気がつき、気分はふて寝。昼寝をしてなんとか持ち直す。夕ご飯は鮭のかまを焼く。夜、アイスを食べて体が冷えたのか、足先を触るととんでもなく冷たい。氷嚢かと思った。YOUTUBEでヨガチャンネルを探し、いくつかのポーズ。呼吸だな、人生は。
本日緊急事態宣言が解除。解除されたからといって、なにも変わらない。まだまだ先は長いと思っている。毎日マスクをして、石鹸で手を洗う。喘息の疾患があるので、肺には気をつける。みんなと一緒に頑張ること。
安倍総理の記者会見を見る。またもや悲しい気持ちにさせられる。神奈川県の我が家にマスクはまだ届かないし、定額給付金のお知らせも来ない。もし万が一!アベノマスクが届いたら、すぐに寄付する。
5/28
木曜日。
いつものように早起き。家事。いろいろ考えながら洗濯物を干していた。私はあーだこーだと悩み過ぎるがそこが相当ダサい、と午前中にして結論を出す。
本日アベノマスクが届いた。虚しい気持ちになる。
午後リモートな用事のため準備。約束の時間ぴったりに相手方から電話が来たのだが、全く同じ時間に玄関のベルが鳴り驚く。生協さんだった。
夜、餃子を作る。キャベツ、ねぎ、ひき肉。ニラを入れればもっと美味しいのはわかってるよくわかってる…でもできない!ないから!(永遠のパズルより)
夜ふと今書いている戯曲について考えた。脳内で出演してくださる予定の俳優さんが動いている。彼らの姿を見たい。もう少しシーンを削って、シンプルにしてみよう。
そう思っても言葉は積み重なりすぐに過剰になる。過剰さに負ける。すぐ寄り道してしまい、そこから戻れない。お話をつくることが苦手なのだ。いつも思う。みな、どうやって書いているのだろう。
5/29
金曜日。朝早起きし、ゴミを捨てる。川沿いを散歩。亀が4匹、甲羅干ししていた。
せっかく良い天気なので、本の虫干しを。今日は2回目、一段上の奥の列のみ。このペースだと来年までかかるな…干しながら表紙を拭いたり、カビをやすりでこすったりする。とんでもなく古い本が出てきた。
ホコリを吸わないようにマスクをする。今は外でも家でもマスク。そんなに嫌でもないが、それは私が舞台俳優をしているからだろう。俳優は声のために四六時中マスクをしている人も多いのだ。私も気管が弱いので舞台稽古中などはわりといつもマスクをしている。
午前中はりきって動いたからか午後はすごく疲れてしまった。夜ご飯を何にしてよいか全くわからなくなる。材料はある。レシピだってある。でも何を作ったらよいのか1ミリもわからないのだ。決まらない。たまにこういう日がある。
安く購入した生フェットチーネがあったのでそれにする。ソースはあれやこれやと工夫を施した。手の込んだものになった。本当はもっとシンプルでよかったのだが急にやって来た気分の落ち込みを取り戻そうとしてはりきってしまい、そうなった。味はいろいろ入っている味なのはわかるものの、がんばったわりにはおいしさがガツンと入って来ない。やっぱりはりきりすぎるのはあまりよくない。もっと簡単で適当でよいのだろうし、こんな時は誰かのレシピに身を委ね、確実に美味しいものを作ればよかったのかもしれない。と、何が正解なのかわからないので、料理は面白いといえば面白いのかもな。
夜、ストレッチの動画を見ながら足の裏を押しまくる。全力で押しまくる。
北九州でクラスターという報道。私たちももちろんまだまだ感染する可能性があるのだ。
夜中、睡眠中金縛りに会う。意識はあるが、動けない。声が出ない。苦しい。絞り出して、やっと出た単語は姉の名前だった。何故?とも思ったが、どうやら夢を見ていたようで、姉が出演していたみたいだ。10代の頃は頻繁に金縛りにあっていたのて怖いという気持ちはないが、久しぶりだったし呼吸もままならないので辛いことは辛い。何か大きな人や動物に踏まれたのかと思った。
5/31
日曜。今日は大きな目標があった。それは3ヶ月に一度近所のスーパーにやってくる出張研師さんに包丁を研いでもらうこと。ハイエースの後ろに商売道具を乗せていて、スーパーの駐車場で研いでくれる。3ヶ月前は仕事でその機を逃したので、今日を楽しみにしていた。実は楽しみにし過ぎて、昨日包丁を片手に出かけてしまった。フライングしてしまったのだ。ハイエースのいない駐車場で、呆然とする。私の場合、人生のあらゆる場面においてフライングは本当によくあることなのだが、モノがモノだけに、その後散歩も行かずにまっすぐ家路についた。
いよいよだ。満を辞して家を出発。予想通り混んでいる。彼が人気なのは他でもない。とにかく安いのだ。一本500円。相場の半額程度ではなかろうか。私は刃物を研ぐのが苦手で、市販の研ぎ石ではむしろ刃が欠ける。よさげなシャープナーを使っても首を捻る出来となる。だったらプロに任せようと数年前に決めた。だから本当に頼りにしているのだ。私のような人も多いのだろう。8人ほど並んでいる。迷ったが、並んだ。外だし、広いし、大丈夫だろう。しかしソーシャルディスタンスをより長くとってみる。もはや並んでいないのではというくらい距離をとっておく。行列に参加しているという罪悪感もあり、そうなった。
しかしその長すぎるかもしれない距離は時として横入りという悲劇を生む。女性が私の前に横入りした。なんかやたら急いでいる雰囲気を演出しているようだったし、まあいいやと何も言わなかった。しかしこれは私だけの問題ではない。私の後ろに並んでいる人も必然的に帰宅が遅まる。んー、と思って振り返ると、坊主頭の学生2人が楽しそうに喋りながらスマホを見ている。マスクの柄も洋服の雰囲気も似ているし、たぶん兄弟だろう。お母さんに頼まれたのか。盛り上がっているみたいだしいいか…と思いつつ、10分程度で順番が回って来た。
女性は「1時間前に包丁預けたんだけど、あ、その、赤い柄のやつ。あのさ、とにかくさ、急いでくれる?」とまくしたてて言った。研ぐのも受付も一人でこなす大忙しの研師さんはその女性に向かって、「順番を守ってください、それからマスクしてください」と言い、困惑した顔をした女性の奥に見えたであろう私を呼んだ。あなたが先、と。あ、はい。と私は前に出た。
女性は私に向かってなんて言ったと思う?
「なんなの?バカらしい。ちゃんとしてよ」と言ったのだった。
そして怒ったまま包丁を受け取らずに帰ってしまったのだ。
家でワンピースを作る。裁断で失敗する。
夜は冷凍しておいた生地でピザとカルボナーラととりの胸肉と、サラダ。
アメリカでの暴動について。ウイルスと、ウイルスの隠れ蓑に便乗してひどいことが横行している。世界中で貧困が進む。ひどいこと、ひどい政治は日本も全く同じ。メモしてもしたりない。
私たちを誰も止めることはできない。しかし一人一人生き抜かねばならない。どうすればよいのか、みんなで毎日考えよう、
辛くなったら休んで、でも起きよう。かならず起き上がろうと考える。
5月の日記 前半
- 2020/06/14
5/2〜5/15の日記です。
リアルタイムではメモ書きのような感じでnoteに書き残しています。
ーーーーー
5/2
朝4時半に目が覚める。二度寝して4時半かよ…あきらめて起きる。睡眠は私の永遠のテーマだ。どうしたらもっとよく眠れるようになるのかじっくり向き合わねばならない。というのも、(多分)眠れないことが原因で地味に体調が悪い。マジで眠れさえすれば長生きいけんじゃねえのか疑惑。
天気がいい。郵便を出しにポストへ。家からポストまでのその短い距離で、天気の良さと外気を噛み締めた(マスク内で)。
なんとなく不安になり沈んでしまうが、夜納豆ご飯を食べたら妙に元気になった。納豆、さすが何かと売り切れるだけのことはある。
ご飯を食べながら録画していた昔のドラマ「シャツの店」を見たのも精神衛生上すごくよかった。鶴田浩二さん平田満さん井川比佐志さんを見ていたら、なんだか元気が出た。そして八千草薫さんが可愛い可愛いと何度も声に出してしまった。
あまり思いつめないように、頑張らねば。眠れないことだって、きっと大丈夫。大したことじゃないと思って、おおらかに考えようと思って、3分後に悩んでいる。実に私らしい。
明日、憲法記念日。ニュースを見ていると暗澹たる気持ちになる。しかし、ここで心折れている場合じゃない。負けるな!我々。
5/3
早起き、何となく身体の調子が戻ってきた感触を得る。
朝から裁縫。クローゼット部屋のカーテンを作る。
ミシンを踏んでいるとわかることがある。わたしは出来上がった作品よりも作っているこの瞬間が好きなのだ。だから出来上がったとたん、どうでもよくなってしまうものも多い。なんか自分の芯をつく寂しい話なので考え直す。
たまにネットの無料マンガと読書。100話無料ということで「クッキングパパ」を読んだ。面白い…あやうく100話全部読んでしまうところだったぜ…。その他にもこのゴールデンウィーク中には出版社の計らいにより多くのマンガが無料配信されている。高校生の時に読んだ「ここはグリーンウッド」というマンガも全巻無料ということで久しぶりに読んでみたが、その当時あまりに読み込み過ぎたのか「もうすっかり血肉ですよね?」みたいな感触。それが面白かった。当時はそんなにマンガ買えないから繰り返し繰り返しボロボロになるまで読み込んでいたんだよね…
大学の卒論がマンガ文化論だった。物語だけではなく、リズム、線の太さ細さ、ペン先の種類、空白、ベタ塗りやふきだし、あらゆるところに作家の個性が出るマンガ。漫画家が命をかけて生み出す総合芸術。その全てに身を委ねることで喜びを知る読者…みたいなことを書いた気がする。忘れたけど。そんなわけでマンガリスペクト魂を思い出す。「動物のお医者さん」も無料配信しているが、これも相当読み込んだからな…ハムテル…
夜、ふと昨年行ったアレルギー検査の結果を見返す。自分がどんな体質だったか、見直さないと忘れてしまうのだ。えびよりかにの方がアレルギー反応数値が少し高いとか、忘れちゃうよな。ガアレルギーがあるとか。
医療従事者である親戚とLINE。ありがとうの気持ちとともに、とにもかくにも彼女の健康を祈る。
憲法記念日だったので日本国憲法を読み直す。人間として根源的な、大切なことがいっぱい書いてある。
5/5
天気の良い日。
朝から友人にマスクを作る。
友人が元気でありますように。
夜、なかしましほさんのキーマカレーを作る。にんじんジュースが大量に入るレシピ。チャレンジクッキングである。こういう時は自己流に走らず黙ってレシピに従うのがよい、はず。うわーこんなにしょうがが入るのか!とか感嘆しつつ作った。味はかなり美味しかったです。自分が作ったものとは思えないと興奮しながら食べた。味ももちろんだけど、幸せな時間がもらえたことがありがたい!
深夜、散歩。川沿いを歩く。
5/6
深夜地震で目が覚める。地震かあ。いろいろ整理しなければ。
そのままよく眠れず。
早起きする。
裁縫しながら、ネットで新型コロナウィルスに罹った方の闘病ブログを読む。ホテル待機の様子や、何度もぶり返す症状のことなどかなり克明に書かれてあって勉強になった。
夜、ひき肉があるので、餃子。にらなし。ないならないでよいとしよう。餃子なら大丈夫。きっとやってくれる。
雷がすごい。私は雷よりも風が怖い。
オークションで購入したキーボードをようやく開けた。ドキドキする。とにかく電源を繋いで、30分だけ触ってみる。指を動かす。毎日30分続けるのがよいと、大人のバイエル教本に書いてある。
PCR検査の基準を変えるという報道。37.5度以上の発熱4日間でセンターに連絡するという項目を改定するとのこと。大臣の説明だと、今まで国民が解釈を取り違えているようなのできちんと正していきたいというニュアンス。おかしい!
おかしいおかしいがどんどん高値更新されていくな。
宇都宮のホテル放火のニュース、胸が痛む。殺伐としないよう、格差を生まないよう、貧困を生まないよう、皆が病気にならないよう、どうこの世界を構築していくべきか、理解していくべきか。自分の頭で考え続けなければならない。
5/8
天気がよかったので、夫と散歩をする。一ヶ月ぶりにたくさん歩く。夜は何を食べたっけ。忘れてしまうので写真に撮っている。あ、思い出した。牛丼を作ったのだった。牛丼は美味しいけれど、吉野家とか松屋があるから別に作らなくてもいいかと思いほぼ作らない。しかし考えてみると私は吉野家や松屋には決して行かない。ということはこのままだと一生牛丼が食べられないのではないかと思い立ち、作る。一口食べて満足した。
若い頃は演劇の稽古が終わってから松屋でなんとか定食とか食べて帰ったものだけど、もうきっと店で食べることはないでしょう。
東京は感染者が38人といっているが、検査数が少ないので何のデータを見せられているのかわからない。わからないと思っている人が世の中には少なくて、「わー38人だ、少なくなったねえ、よかったねえ」と言っている人が多いとでも思っているのだろうか。
夜は映画を観る。映画とは全く関係なく甘いものばかり食べたくなってしまう。
本屋に行きたいが、我慢しよう。
5/11
月曜日。夕方、近所の森に散歩に行く。
一体どこに住んでいるんだと自分でも思う程に、そこは森だった。緑の中を歩くのは楽しい。気持ちがいい。そして、誰もいない。
うそでしょと言いたいぐらい鬱蒼としている。この山を登るとその先は竹林だ。タケノコを取っている形跡があった。誰か掘って食べているな。
横浜某所です。家からほんの10分弱。また来よう。
毎日ご飯を作っているのだが、今日は急に何も作りたくなくなってしまった。夫に「スーパーの惣菜のみで食卓を飾りたい」と提案し、寿司や鶏ハツ、サラダ、コロッケなど。散歩中ふと「コンビニのとろろとか納豆とかいろいろ混ぜて食べるそばみたいなものも食べたい」とも思ったが、それは今回は選から外れた。そうだ、中学校のときだったか、コンビニの「小分けそば」を初めて食べた時の衝撃を覚えている。確か学習塾の休憩中に買って食べたのだと思う。「大好物が、こんなに気軽に食べれるなんて…!」と感動したものだ。美味しいなあ美味しいなあと口にしながら食べて、友達に笑われたので記憶に残っているのだ。ともあれ本日の選ばれし惣菜たち、最高!殊勲賞!普段全く購入しない惣菜を買ってテンションが上がったのか、一ヶ月半ぶりにビールも一杯飲んだ。
今日のニュースとしては、コロナ関連ももちろんいろいろあるが(37度5分4日間は問題など)、検察官の定年延長。このハッシュタグで、みんなが頑張っている。自分も参加する。この法改正について自分がどのような違和感を持っているのか記事を読み改めて考える…あの、考えれば考えるほど、おかしいよね。日弁連も怒っている。モンテスキューも怒っていると思う。
このような時期だからこそ、私はしっかり判断しなければならない。勉強しなくてはいけない。そして「権力を持つものの深き驕り」について自分がいかに失望しているかということをさらに考えなくてはならない。
厚労相「誤解だ」に枝野氏「責任転嫁」 検査目安で応酬(朝日新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200511-00000050-asahi-pol
政権介入「検察全体が萎縮」 定年延長法案、改めて反対 日弁連(自治通信社)https://news.yahoo.co.jp/pickup/6359519
5/12
早起きする。いつもどおり。洗濯をする。力が出ないが頑張ると決めて、掃除。
夕方、散歩。八百屋でいちごが安いので購入。もういちごは終わりだな。別の八百屋でカリフラワーを見たらどうにも食べたくなり購入。
夜、カリフラワーを蒸したものを塩で食べる。これが最高だった。甘い、ただ甘い。野菜は蒸すのが1番おいしいというのは夫婦の共通認識となっている。今日また再確認した。
とうとう「サピエンス全史」を購入。ベストセラー、たまにはこういうのもいいよね!面白そうだ。時間をかけて読もう。
戯曲を直す。無駄なセリフが多くて嫌になる。無駄を無駄のままおいておいてよいのか、悩む。要するに、魅力ある無駄ならよいのだ。そして、シーンをばっさり切ったほうがよいかもしれない。切りたくない!切ると消えてしまう!と心の声。切っちまえ!ともう1人のわたし。
コロナ関連のニュースも然り、検事定年延長も然り、ふてぶてしい態度、開き直った態度の政治家を見るととても悲しくなる。
5/13
朝、なんだか体調が優れないが、気にしないで生活すると決める。ただ今自分がどういう状態なのかを知りたいからごまかさずに耳を澄ませておこう。じっくり地を這うが如く、心を確かにがんばろう。
昼、ふと思い立ち、刺繍をする。糸が絡まるのはいつものことだが、なんで勝手に玉留めができるのかいつまでたっても理解できない。
夜、納豆が食べたかったので納豆スパゲティにした。以前は納豆にキムチを入れていたが胃弱がひどくなったら嫌だなと思うとなかなか入れられない。キムチ、わたしにはどうやら刺激が強すぎるのだ。ネットで調べて、味噌を少し入れてみた。甘くなって美味しかった。
夜、散歩。キッチンの掃除。さらにシフォンケーキを焼いた。焼き過ぎた。小麦粉料理は焼き加減が本当に難しいよ。「ブリティッシュベイクオフ」だったらとっくに脱落だ。
昔のアニメ「赤毛のアン」を録画して見ている。原作も読んでいないしアニメも一度も見ていないので、すごく新鮮。ストーリー展開にドキドキする。もし子どものころにこのアニメを見ていたらアンの自由な空想癖と孤独に共感していたかもしれないが、今44歳の私はすっかりマリラに同情もしているのだった。
政治のニュースを見て、怒る。何で議事録ないの。
5/15
金曜日。いつも通り早起き。ゴミを出すついでに散歩する。テレビは検事定年延長法改正のことをやっている。政府は強行採決する構えだ。この黒田検事はこの後どんな顔をして仕事をするのだろうかと考える。
午前中から午後にかけてパソコンで申請作業。
おととい奥歯のブリッジが取れてしまって、迷ったが歯医者に行くことにした。このご時世、歯医者に行くことも憚られる。久しぶりに電車に乗り、隣の町へ。受付で検温と消毒。診察台に座ると助手の方に「イソジンうがい薬を持ってくるまでご自身のマスクは外さないでくださいね」と言われる。マスクしたまま、待つ。何度もうがい。先生はフェイスシールド。消毒に消毒を重ね、万全の体制で治療してくれた。ありがたい。病院に行くこと自体の不安も少し和らぐ。身体が痛いので鍼に行きたいものの、正直迷っていた。しかし今日の歯医者で自信が生まれた。来週行ってみよう。
治療が終わってスマホを見ると、強行採決回避というニュース。よかった。しかし、油断はできないのだろうな。
4/15〜4/30 の日記
- 2020/05/23
4/15
今日は4月15日。年金の受給日だという。
高齢者の方々が金融期間のATMに並ぶであろうと思い、銀行には行かない。私の財布には数日前から300円程度しか入っていない。さすがにそれはよくないのでちゃっちゃと行かねばとは思うものの、足が向かず。このコロナ禍の状況からと、なんでもかんでもスマホで支払うことを覚えてしまった私の怠惰さからである。
twitterを見る。よく見ている。画面を開くと出会い頭に大きな情報が目に入る。少し検索したりする。嫌になり、自分にtwitter見ない宣言を出し、すぐに見る。
twitterを見ていると、世界が近くなったと感じる。昨年中欧に行く際に、訪れる国のリアルタイムの状況が知りたくてウィーン/プラハ等に住んでいる日本人の方を数人フォローした。彼らの職業は音楽家、主婦、留学生など千差万別。twitter上でつぶやくことは当然ながら日本にいる私たちと同じ種類のものだ。日々の暮らしについて、ウィーンの美味しい店情報や政治のこと、名所案内、ビールの旨さ、クラシックコンサートの感想、日本への思いなどなど、私が日々を記すのと同じように遠く離れたところにいる彼らも普通の生活の記しをリアルタイムで書きとどめている。日々それを読み、同時に自分がいかに閉鎖的な感覚を持ち合わせているのかを認識する。私はきっとどこかで世界は繋がっているのに繋がっていないと感じているのかもしれない。しかし、私の感覚は間違っている。彼らのつぶやきを読むとわかる。ウィーンやプラハは横浜のすぐ近くにある。それはある意味事実だ。
最近の日課は、早朝目が覚めるとまず日本時間の深夜にアップされている在ウィーンのフォロワーの方のツイートを読むことだ。オーストリアの感染者の推移、政治的状況、街の状態、そして皆さんの生活について知る。ヨーロッパではたくさんの方が感染し、犠牲になっている。遠く離れた国で、多くの方が苦しんでいる。耐えている。そして今、我々もまた苦しんでいる。
私は彼らの言葉を知ることでこの世界の状況を想像し、そして心の連帯を持つことができる。声高に共に歩もうとか心を一つにとかそういうことではなく、遠くで暮らしている人と自分たちが繋がっているのだという想像力を持つことが今の自分にはとても大切だ。
自分のことであり、他人のことである。他人のことであるが、自分のことである。私はもっともっと、知られていないこと、報道されていないこと、行ったことのないところ、知らない人のことを想像すべきだと思う。自分がですよ。自分がね。もっと世界を知らなければならない。
ところで、私は台湾という国を尊敬している。東日本大震災の時に台湾は巨額の寄付をしてくださった。福島県に思いを寄せてくださった。その物理的距離を超えた心意気と優しさに当時どれだけ励まされたかわからない。台湾という国が持つ大きな正義とでもいうか、そういうものにあの時心底惚れたのだ。一昨年は旅行にも行けた。旅はもう最高に楽しかったし、またいつでも行きたいと思っている。叶うなら明日にでも行きたい。それは現実問題無理だから、ガイドブックを見て想像を膨らませたり、台湾料理本を読み込んだり、台湾映画を見たり、現地に住む日本人の方を数人フォローしたりして、日々近くに感じている。うちの隣は台北。そんな気持ちだ。台湾で今一番流行っているもの、美味しいもの、台湾野球、文化、コロナへの対応、そして政治について、twitterから知る情報は本当に大きい。もっと知りたい。今台湾で、どういう状況なのか。
いつになるかわからないが、また旅に出よう。必ず。
4/16
今日も早起きだ。こんなに睡眠時間が短くて大丈夫なのかと自分で心配になる。今日は全然大丈夫じゃなかった。昼間眠くてぶっ倒れそうになった。
さて、朝から晩までコロナウィルスについてのことばかり考えてしまう。それでは精神衛生上よくないので、昨日からこの日記を書きはじめた。あと、どんな短いものでもいいから毎日読書することにした。長編なら何度も挫折した夏目漱石か?いや、常にうっすら眠いから、読み出してすぐに寝てしまいそうだ。それはそれでいいけど、なんか損した気分にもなる。短編のほうが気が楽でいいな。一応読んだぞと胸を張れるし。いざとなったら星新一が本棚にいる。久しぶりにエヌ氏エス氏に会いにいこう。本屋に行かなくとも、積ん読も電子文庫もある。そして何より青空文庫があるじゃないか!というわけで昨日は新美南吉「ごんぎつね」を読んだ。なぜ?と言われても困る。なんとなく、ごんぎつね。そういう気分だったのです。読み終えて、子供のときに読んだはずだが内容をほとんど忘れていた自分に驚いた。新鮮に読めた。得した。
毎日何かを読み、何かを書く。それでしばらく暮らしていこう。
3月に書き上げた戯曲を読んでみる。自分の心が離れてしまっているのを感じる。一体この戯曲はどうなるのだろう、全部書き直さねばならないかもしれないと思いながら、細かいところを書き直す。どうしたらいいものか。
夜、そば。蒸したさつまいも、サラダなど。固いプリンを作ってみた。明日食べる。
4/17
早朝に散歩。いつも歩く近所の川沿い。
ミシンでマスクを縫う。誰かのために縫っているけれど、結局は自分の心の安寧のために縫っているのではないか。運針、ミシンは無心になれる。
睡眠時間が足りないからか、疲れた。昼寝する。
夜ご飯を作って食べて、それからしばらくニュースを見たり、本を読んだりする。
政治に対して思うところが多すぎて処理できない。コロナに対しても情報を処理しきれない。負けそうだ。でも、こんなことで負けてはいられない。怒るところはもっとしっかり怒っていこう。わからないことは経験を頼りにしよう。自分の感覚、嗅覚、正しさの指針を頼りにしよう。縮こまったら、伸びよう。辛くなったらいつでも羽根を休めるんだ。過去の自分が今の自分にそう言っている。
4/20
母の誕生日だ。昨年は実家に帰り、いわき駅の近くにある寿司屋で二人でお祝いをした。今年はそれが叶わなかったが、まあ、仕方ない。
友人のInstagramを見ていたら急に羨ましくなって、生まれて初めて生地からピザを焼いた。かなり美味しくて驚いた。テンションが上がるとはこのこと。落ち込んでいる時にはピザを焼くことにしようと思う。
4/21
今日は幼なじみの誕生日。大阪に住んでいる。チョコレートケーキを送った。彼女とは長い時間を過ごしてきたが、ガトーショコラが結構好きだということを知ったのは一昨年だった。意外だった。意外っていう感情が、意外だった。
美味しかっただろうか。これからもずっと元気でいてほしい。
4/23
木曜日。頼んでいた生協の配達日。冷凍の魚や野菜。大変新鮮で、本当にありがたい。配達してくださる方にも感謝。
アベノマスクが大変なことになっている。信じがたい。信じがたいことばかりで、ここはフィクションの世界かと疑いたくなる。
あることをつきつめて考えれば考えるほど深く掘り過ぎ、たどり着いた場所は悲しさで満たされてゆく。それがこわい。だからといって考えないのはいけない。立ち止まり、考え方を精査する。そして別の道を探す。いつだってそうだ。大事だぞ。バランスを取るんだ。平均じゃなくてもいい、みんな、それぞれ、だいたいのサバイバルバランスを。
この状況に負けそうな人たちと共に、頑張らねば。
4/24
金曜日。銀行に行かねばならず、自転車で。その足で薬局、八百屋と回る。本屋も行きたかったが自粛期間によりこらえてそのまま帰宅。
友人の子にマスクを作って、昨日の生協で届いたかつおを食べる。解凍して刺身として。すごく美味しかった。冷凍だけど生の刺身を食べるのは3週間ぐらいぶりじゃなかろうか。この刺身好きの私が!
読書を進めるも、あまり面白くない。でも昨年ものすごく売れたみたいで、ちょっと困っている。これから面白くなるのかな。なるさ。きっとなる。なってくれよ。それから家にある古い文庫を少し拭いてみる。表紙は綺麗になるけど、肝心の本の紙が変色し汚くなっていてどうにもなあという気分になっている。ひとえに私の管理が甘いのがよくない。もう本当にボロすぎてさ、再読したくともなんだか落ち込むよ。古本屋さんで購入した綺麗に経年した、もしくは新しい紙の匂いを漂わせる本が読みたい。体験としての読書が好きなのだから!
そんなこというなら、じゃあ、きちんと保存しておけ。
4/26
日曜日。少し頭が痛い。構うものか!と薬を飲み昼寝。よく眠った。少しずつつまらない本を読んでいく。やっぱりまだおもしろくならない。ただ小説の舞台が昔住んでいた街なのでそこは幸せな気持ちになれる。
夜はほっけを蒸す。キャベツを食べる。
あんこが余っていたので、あんこチョコくるみケーキという節操ないケーキを作ってみる。小麦粉がかなり少ないレシピ。
4/29
昨日の夜から体調が悪い。あまり眠れなかったが、起きたらそうでもなかった。薬局に行き薬とサプリメントを買う。ソーシャルディスタンス無視マスクなしのおじさんに話しかけられそうになり逃げる。おじさん、ごめん。
マスクを作り、あとは裁縫をしていた。
母が送ってくれたじゃがいも20個全部芽を出していたので慌てて13個茹で、全部潰す。かなりの重労働。
4/30
月末。どうしても銀行に行かねばと重い腰を上げた。
A銀行は予想通り激混み。ATMに並ぶ人の列が外まで。皆ソーシャルディスタンスを保って並んでいる。皆がきちんとしていると、きちんとしていない人のことが気になるようになってしまう。例えばマスクをしていない人。マスクをしていても鼻が出ている人。カップルで行列に並ぶ。接近してくる人。マスクを耳にかけて電話をしている人(某政治家のように)。
B銀行は誰も並んでいない。面食らう。不安になるぐらい人がいないのだ。「ここで何か事件でもあったんですか?」と聞きたくなる。聞かなかったけど。ともあれ人が並んでいないのは非常に助かる。急いで用事を済ませ、帰宅。
自転車に乗る。天気が良い。風が気持ちいい。今私は心の中に大きく重いものを背負っている。それが嘘のようだ。
子どもたちの声が聞こえる。騒ぐ子供たち。走っている。笑っている。
私は子どもの頃から根っからの室内派なので、外で遊べないことに関しては特にノーストレスだったろう。しかし思い出してみると、家そのものにいるのは嫌だった。私は19歳で実家を出るまで、一人部屋を持ったことがない。一人になりたくても家の中ではなかなか難しかったので、お約束として押入れにこもったりもした。ジョゼか、カツオか。埃だらけの暗闇の中、小さな灯をつけて漫画を読む。雑誌を読む。その時間を大切にしていたことを思い出した。ああ、だから今でも狭くて暗いところが好きなのか。コックピット願望はここから来ているのか。
夜、会議。ZOOMでの会議は自分の顔も画面に表示される。顔が疲れているなと思って、気になってしまった。変な髪型だなとか。
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