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アデュー前

  • 9月 02, 2007

とても面白い話である「電車の中で見ず知らずのおじさんに突然怒鳴られた事件」はさておき、下北沢のサイゼリヤに行ったり浜松町にバイトに行ったり初台で仕事したり森下に遊園地再生事業団の稽古見学に行ったり、東京を西へ東へ行ったり来たりしていた一週間だった。その間にこれから書き出す台本のことを考えていて、なかなか纏まらないながらにいくつかの書きたいことが塊になってきた。サイゼリヤは半分どうでもいい話で半分会議の気分でドリンクバーを何度もおかわりしたのだが、内容うんぬんより、人と話すことそれ自体で自分の気持ちが整理されて行くのがわかった。話だけではなく、人が話している時の動きや表情や距離感といった身体全てがいつでも私にたくさんの想像力と整理力をくれるのだった。その力を信じるか信じないかは自分にかかっている。

そんなことも含めつつ、どうやら太ったらしい。そんなわけで「オタキング」岡田斗司夫さんが大変なことになっていると知り、私も少しダイエットしようと決意。滞ったリンパよ、待ってろよ、今行くぞ。ところで痩せた岡田さんが何故か吉田拓郎に見えてしまうのは私だけか。

身体をしばらく洗っていないのに、ナフルはいつもいい匂いがする。どうしてだろう。そういうことも全部ひっくるめてとても面白いからナフル永遠に死なないでほしいなどと素っ頓狂なことを考えてしまう。

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かみさま

  • 8月 31, 2007

あまり時間の余裕がない。仕事で疲れて寝てしまうから。パソコンにもあまり触っていない。今更ながら「古事記」にはまってしまった。もちろん現代語訳です。解説もついています。一度途中で断念したのをまた読み出したら止まらない。面白いなあヤマトタケル、ってかなりバカな感想ですけど、人は意外と知らないものですよねヤマトタケルのことは。他の神話も泣けたりくだらなかったり感心したりで面白い!遥か昔の人たちが何を感じて何を食べて生きていたのかどんな恋愛してたのか想像しながら読んだ。今はたくさんのことを想像するのが楽しい。頭が遊んでいて自由。自分なのについていけない時があるよ。妄想で頭がパンパンになったり。お前は男子中学生か。書きたいことはまた明日。書いておかねばならない「電車で怒鳴られた事件」も明日。

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そうはうまくいかない

  • 8月 28, 2007

そんなかっこつけても(とは、昨日の日記のことです)、ダメですね。結局今日もウジウジしてしまいました。こんな風に自分が思い通りにならない時は仕方ない。無理しても無理。そんなわけで私は台本を書いているのだが、まあ書けていない。安倍新内閣が発足したが、甘利さん続投とは!謎だ!あと与謝野官房長官は青島幸男に見える。

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たいせつなこと

  • 8月 27, 2007

仕事で、一つ失敗をした。自分でも驚く程の失敗をした。なかなかの失敗だった。大胆なものだったと自分でも思う。そのため呆然としたまま1日を過ごしたが、うじうじしていても仕方ないのでした。反省して今日からまた生きていかなければね。失敗しない奴はダメだそうですし、欽ちゃん曰く。今日の日を忘れないためにも日記に足跡を残して、失敗をなかったことにしない。それで精一杯。また明日からがんばる。

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昔も今も

  • 8月 25, 2007

突然声をかけてもらって、久しぶりに小林令ちゃんに会った。仕事が終わってから三軒茶屋に急いで向かう。

令ちゃんは、以前遊園地再生事業団の舞台「蜜の流れる地」と「あの小説の中で集まろう」で共演した役者さんで、現在は一児のお母さん。今は編み物の先生もやっているのね。手に職!

令ちゃんは数少ない「遊園地再生事業団同期の桜」。出会ったのは私が19歳の時。それからもう12年が経ちました。・・・・12年。一瞬途方に暮れたが、そんなに経ったのか、私ら。令ちゃんはとても素直に舞台の上に立てる人で、勘もいいんだよな。行動派で思い立ったらもうここにいない、みたいな、私にとってはそういう面白い羨ましい人。

二人で会うのはすごく久しぶりなのに、会ったらすぐに昔の二人に戻った気がした。話し始めたら止まらなかった。昔話もしたけど、現在の二人についてとか演劇の話とかいろいろ話が出来て面白かったなあ。

それにしても母は輝いていた。

令ちゃんの編み物教室HP→「knit*happy*REN」

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清々しさ

  • 8月 23, 2007


今日は楽しかった。高山玲子ちゃんと久しぶりに会って喋ったからだ。高山さん、とても清々しいというか、迷いの消えた顔になっていて、それはとてもいい顔だった。

彼女が奮闘している稽古、その舞台は私が尊敬する矢内原美邦さん作演出の「青の鳥」。面白そうだから皆観にいくといいよ。

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友人の夢

  • 8月 21, 2007

山口小夜子さんが亡くなられた。ずっと昔から素敵な女性だなと思っていた。何だかとても淋しい。インタビューなどでしか知ることはないが、生きることを大切にしている印象を受けた。すごくかっこよかったよね。

昨日は遊園地再生事業団の稽古場を見学。本公演にむけて準備は着々と進んでいるようだった。あんなことやあんなことを稽古していた。楽しみです。パレスチナから無事帰国した岸健太郎とも久しぶりに話をして、彼は会う度に身体が大きくなっている気がするのだが、今回は身体だけじゃない気がした。

人はたくさんのことを知り、たくさんのことを忘れ、たくさんの思考を巡らし、たくさんの人と出会い、喋り、別れ、豊かになっていくのだなあと、帰り道にふと考えた。別れを経験しないと見えないものもある。

流れに身を任せつつ、時には抗いながら。ゆっくりでいいんだろうな、成長って。10年単位で大きくダイナミックに捉えていくべきなんだろうな。ただこつこつこつこつと準備する。日々を私なりに大切にしながら。私なりってところが大事よ。他の人なり(真似)は一週間と持たないから。様々なものごとや人々や考えに影響されつつ自分の中で噛み砕いて行動することが、本当の変化だと思う。

今日は考えていること(考えなくてはいけないこと、または考える必要のないこと)があまりに多いので、頭が破裂しそうな感じだったからか、夕食を作って食べたらすぐに熟睡してしまった。寝れば少しはすっきりするものですね、頭も身体も。で、ちょっとぼんやり朝焼けを見ています。

そんなわけでカウリスマキを初めて見たのは大学一年生の時、「マッチ工場の少女」だった。ビデオを借りてきて、日本女子大学の図書館にあるAVコーナーで観たんだったな確か。すっごく面白くて、どきどきして、大きな衝撃を受けて、見終わった後に呆然としたんだっけなあ。淋しさに賛同!という気持ち。それからカティ・オウティネンという女優にもある意味呆然としたのだった。それからカウリスマキは私の中の重要人物なのだが、「街のあかり」は賛否両論らしいけど、私にとっては俯瞰で映るフィンランドの町並みや、主人公の笑顔や、ラストシーンが今現在リアルな「救い」だったのだ。人は何に「救い」を感じるのかわからないね。

関係ないけど、今日は現在大阪に住む幼なじみの夢を見た。

彼女とは小学校5年生からの付き合いで、今も家は離れているけれど仲良くさせてもらっている。彼女とはずいぶんいろいろなことを喋った。ほとんどがどうでもいいことだが(小学校の頃は男子の話ばかりだった)たまに話す真面目な言葉もあって、その両方に私は幾度となく助けられた。100回は助けてもらっているかもしれない。いや果てしなく無限大に「救われている」。私がどんなどんづまった状況の時も、「いづみちゃんは大丈夫だよ」と根拠はなかっただろうけど、根拠なき励ましって最高じゃないですか?

その子がたくさんの思い出話をしてくれるという夢だ。その思い出は事実とはかけ離れていて、「ねー、二人で行ったハワイ面白かったよね」とか言われて「いってないじゃん」とか、「ねー、あの時さ私の秋田の実家でいづみちゃんが酔っぱらって私のおじいちゃんに殴りかかったじゃない?」「殴りかかってないし、実家に行ったこともないし、あなたの実家は秋田じゃなくて宮崎じゃない?」と私がつっこむという内容だったのだが、別にハワイに行っていなくても行っていても別にどちらでもいい話だ。ただ二人はたくさんの思い出を共有していると事実。それは離れていてもこれからもずっと変わらない。歳をとってもきっと変わらないと思える、そう思える友人がいて、そんな人生を積み重ねることが出来ただけでもちょっとよかった。

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街のあかり

  • 8月 19, 2007

本屋に行くといつも目に止まる雑誌が「正論」だ。表紙が昔の(今も活躍されている)女優さんのポートレートなのだが、雑誌の内容とちぐはくな感じがしてくだらない雰囲気を醸しているので毎号楽しみにしている。表紙だけ。

アキ・カウリスマキ「街のあかり」を観た。私にとってものすごくエネルギーになる、カウリスマキらしい、枯れた表情とあるシーンにおいて意味不明な長さが素晴らしかった。すごくよかった。私はこの映画が好きです。

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テロ

  • 8月 17, 2007

イラクで400人以上の人が亡くなったという。この事実を一体どう考えたらよいのか、よくわからない。世界に、正義も神も必要なのかよくわからない。わからなくなってきた。

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戦後

  • 8月 16, 2007

終戦記念日の今日は1日を読書と休息にあてた。図書館に行ったりしているので読む本がたくさんある。古い本があってページをめくる度にそれが剥がれそうになるからドキドキする。

昨日はある人からの連絡をずっと待っていたが、来なかった。最近の私は待っている。待ってばかりではいけないけど、待たないのは傲慢な気がする。そもそも私は気が荒れた人間、穏やかに待つしかないという時間に耐えられないのかもしれない。昔子供の頃、夜に家の近くの公園にある砂場に穴を掘って寝たことがある。私はあの時の気持ちをなかなか忘れることができない。あの時のようにただ地下に潜り穏やかに眠りたいという気持ちは、しかし衝動であって、反動であった。そうではなく平常心で、今土にでも潜り待ちたい。そうすれば待てる気がしている。

生きていることも死ぬことも同じように考えていきたいと思う。

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