お別れ
- 2008/09/26
■先輩に誘っていただき、深浦加奈子さんのお別れ会に参加する。
■以前も日記に書いたが、共演したことのない私が参加するのはどうかとも思ったが、お誘いもあり、お別れというか感謝のような気持ちを伝えにいこうと思い出かけた。
■とてもいい会だった。ご家族ご友人の言葉、亡くなられる何年か前から一緒に舞台を作られていた山内健司さんの言葉が胸に積み重なった。そして近しい方々皆さんの無念さを強く感じた。そして山内さんが編集されたという深浦さんの出演していた舞台映像のダイジェストが上映された。第三エロチカ時代の映像から始まり、悪人会議「ふくすけ」、遊園地再生事業団「ヒネミ」等々。「ああ、ヒネミすごく面白かったなあ」と当時客席で見ていた記憶が蘇る。映像の最後にはたくさんの出演舞台のカーテンコール部分が繋がれ、笑顔の深浦さんが何度も私たちに向かってお辞儀をするのだ。会場からは自然と拍手が生まれた。それは深浦さんに向けての拍手。役者として生きた深浦さんへの賛辞だと感じた。
■私と同い年ぐらいの小劇場女優にとって深浦さんは憧れの女優さんだったのではないだろうか。勝手に目標にしていた。そんな人が急にいなくなってしまい、呆然とした。信じられなかったのが正直な気持ちで今でもやっぱり信じられない。
■以前居酒屋で「ファンなんです」と言ったときの緊張を今でも覚えている。確か深浦さんは笑って「えー?本当?」と聞き返したのだった。献花の際、「ファンです。本当です。ありがとうございました。私も頑張ります」と胸の中で唱えた。胸の中で、たくさんの言葉と感情が生まれた。がん闘病は本当に大変だっただろうと推測するが、最後まで役者でありつづけた深浦さんは本当に素敵でかっこよくて眩しかった。生きることと役者でありつづけることは決して乖離しないんだ。
■お別れ会に参加して、深浦さんと参加されていた皆さんから大きなものを頂いた。こうやって書いた自分の文章を改めて読むと語彙のなさからか書きたいことを書けていない気がして歯痒いというか切ないが、舞台に愛され舞台を愛した深浦加奈子さんとその彼女を愛したたくさんの人々の思いがつまった会があったということを記しておきたい。
青ノ鳥、続き/山崎一さんと一緒
- 2007/10/01
■「青ノ鳥」についてさらにしつこく続くのだけど、この舞台は知人がたくさん出演している。高山玲子は全身全霊で生きていた。普段の彼女とリンクしてとてもいきいき存在している。ただ、動きながらたまに舌をぺろっと出すので、噛んでしまわないかと心配になる。癖らしい。他にも「Oh!電気ボーイ」山本くんとかオールツーステップスクールで一緒だった大好きな足立智充、髪の伸びた鈴木将一朗、皆とても素敵でしたよ!
■遊園地再生事業団は2回観劇した。「ニュータウン入口」はやはりすごく面白い舞台だった。演劇の面白さが凝縮されている。そのことについてはまた次回。
■撮影。毎日朝が早過ぎてなかなかうまく睡眠時間が確保できない。朦朧としてしまう。そんな中、11年前遊園地再生事業団「蜜の流れる地」で共演させていただいた山崎一さんと撮影でご一緒できたことがとても嬉しかった。ロケの帰り、二人でたくさんのハナシをした。第1回目公演「遊園地再生」のことや、「ヒネミ」、「砂の国の遠い声」のこと。現在のこと。あれから長い時間が立ちました。「今日は映像の仕事で笠木と会えてとても嬉しかった」と言ってくれました。ううううう、優しい・・・・。実は私が遊園地再生事業団に出演するきっかけとなった「ヒネミ」のオーディションでセリフのやりとりをしてくださったのが山崎さんだった。私はそのオーディションには落ちたのだけど、それをきっかけに1年後の「知覚の庭」に出演出来ることになったのだ。山崎さんは私の初めて発したセリフを聞いてくださった方だ。あれから12年、再び一緒にお仕事ができて本当に嬉しかったです。
■がんばろう。
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