あなたも最高だと
- 2007/03/07
■胸がざわざわする。過去が恐い。全てを忘れて次に行きたいが所詮無理なこと。ざわざわすると、恐い。不安がやってくる。こっちに向かってくるわけではなく、自分から向かっていっているのか。いや、書くと大げさなだけで、きちんと階段も降りれるし、稽古もとても楽しい。よく寝ているし、頭の中は冴えている。しかしそういうときもそれは勘違いかもしれないとふと振り返ってしまう自分は嫌いなので早くおさらばしたい。
■稽古場では皆甘いものを食べている。疲れたらチョコレートとか、沁みますね。
■でも私はいつもの通り「チョコラBBドリンク〜つらい疲れに」とユンケルの錠剤。ミスケミカリッシュである。
■そんな時私は決まって業田良家の「自虐の詩」下巻を読む。忙しいので、下巻だけでいい。読んだことがある人なら私の言っていることの意味がわかってくれるだろう。下巻に登場する熊本さんと主人公幸江の再会のシーンを読むだけで、私は「ああ、生きててよかった!」と本当に思う。今日も下巻の拾い読みだけで助けてもらった。「私は(あなたは)最高だ」ということを教えてもらえる。
私は今日思い切り休んだのです
- 2007/03/05
■自転車で梅を見に行ったが梅は見れず、こんな石像を見てしまった。
■ここに行けば必ず数匹の猫に会えるというスポットに行ってみた。やはりいた。
■日本で一番美味しい中華に行った(私基準)。野菜をたくさん食べた。レバーも食べた。この店には一生通い続けたい。芝居が終わったら役者とスタッフ皆を連れて来よう。全てが最高の店なのだ。人も雰囲気も値段も、そして味!
■雑務、台本の推敲(まだやっているのか)、等々。あと二週間、何が出来るか考える。稽古の日は気がつくと眠っているが、今日は休みだったためか眠れない。稽古で頭使ってるんだなー。演劇恐るべし。眠れないときは日記を書きます。整理されていくから。日記を書けばもう今日は終了。強制終了できるのです。
■それでも眠れない。ほおっておくと頭が破裂しそうだ!破裂とは、いい意味で。
どちらでもない
- 2007/03/04
■稽古。荷物が重い・・・毎日毎日稽古か山登りかと思うくらい。今日はさらにノートパソコンまで持っていったので、肩が脱臼するかと思った。うーん、困った。
■いっこいっこ片付けよう。今の私の状態はきっと「どちらでもない」というものに等しい、気がする。うーん、まだまだ!
■稽古終了後ミーティング(という名の雑談)を兼ねて美味しい担々麺の店へ行く。それが22時過ぎ。今現在3時20分。まだ私は先ほど食した汁なし担々麺を消化していない。今寝たら明日気持ち悪い目覚めが待っている・・・。あれ、イヤだよね。あの目覚めの、感じ。胃に何か残っている感じ。あー、考えるだけでイヤだ。
■ナフルが噛んでくる。またもやミミズ腫れになってしまった腕を見て、ちょっと嬉しくなる。
アデューアデューと言われるとこそばゆい
- 2007/03/03
■ついアデュー稽古日記に力を入れてしまいなかなか自分の日記が書けない。そんなに毎日書かなくてもいいじゃないかとは思うのだけど、やっぱり書きたくなるのだなあ。手が書きたくなる。
■さて、最近の私はめっきり眠い。いつも眠いのだ。睡眠時間が足りないのかといわれたらそうでもないと思うのだが・・・。頭がパンクし始めたか?もう稽古のことしか考えられなくなって来ているしなあ。沸点過ぎると眠くなるだけ。
■公演とはちょっと違う話。現在私は重度障害者介助資格を取得中だ。この資格をとったら、重度障害者の方の介助の仕事をしてみる。このことが自分にどのように影響するのか、楽しみである。
■しごとの話。先日、次回出演させていただく某劇団のチラシ撮影に行く。自分の生きて来た中で最高に可愛くしていただき、可愛い写真を撮っていただいた。自分比較級。ネイルも綺麗にしていただいて、幸福を味わったよ。それにしても、ああ、モデルさんっていうのは本当にすごい職業だ。シャッターの音と同時に自分を創り上げるのだから。一瞬でもいい、カッコつけることができたらいいのに。この発言がもはやカッコわる過ぎる。
■宮先さんに描いていただいた絵。何て可愛いのだろう!
某
- 2007/02/26
■昨日は東京都の下町に位置する森下という街へ。とある会に参加する。街も初めて来てから11年ぐらい経つが少しずつ街が変わっている。老舗のお店も頑張っているが、何度も通ったあの店やあの店はもうない。
■某会ではとてもエキサイトしつつ頭と体をフル回転させた時間を過ごしたせいか、家に帰ってからご飯を食べてすぐにそのまま床で眠ってしまった。いわゆるひとつの、疲れた。いろいろなことを考えていた。しかし、とにかく眠りたかった。起きたら朝の5時だった。床でずいぶんねちまった。
■今回久しぶりに1人だけ全く新しい友達ができた。2日前にも森下に出向いたのだが、その帰り道に何故だかわからないが話しかけてくれた。彼とはその二日間の帰り道今回の会についてのとても長い話をしたのだがとにかく全ては芝居の話で、しかも私と同じぐらい喋るところがとても嬉しかった。それはもう、友達だ。こういう喜びを感じたのが久しぶりなような気がした。この出会いは、新鮮で懐かしい。アデューも見に来てくれるという。いいやつだ。
■私は今回の某会に参加出来て本当によかったと思う。何故ならいろんなひとのことを見ることができて「いろんなひとがまだまだまだまだいっぱいいる」と知ることができたし、自分の世界がどんどん広がっていく気がした。単純に人を見るのは最高に楽しい。それが友達になったTくんとの一致した意見だ。
※※
■アデューの選曲作業、等など、演出とはこんなにやることが多いのか!知ってはいたけど知らなかった!
■以前大盤振る舞いして行った箱根の富士屋ホテルにあったライト。ホテル内のどこにいても気分が良かった。古くて気持ちがいい場所。あの古い建物に、また行きたい。
こうじ屋のおばあちゃん、さようなら
- 2007/02/24
■子供の頃からずっと大切にしてくれた親戚のおばあちゃんが亡くなった。忙しくて葬儀に行けない。もちろん用事をキャンセルして行ってもいいが、母が「大変だろうから来なくていいよ」と気を使って言ってくれた。
■そのおばあちゃんはいつも母方の実家である自転車屋の家にいた印象だ。どういうことかというと、ものすごく近所に棲んでいて毎日のように自転車屋の我が実家にお茶を飲みに来ていたのである。私がおじいちゃんの家に遊びにいくと必ず会う。宿泊して朝起きるともう居間でお茶を飲んでいる。ものごしのやわらかな、優しい人だった。小さい頃から私たち姉弟のことを自分の孫のようにとても大切にしてくれた。
■もう長寿だ。私の祖母が亡くなってからもほぼ毎日のように自転車屋には来ていたらしいが、今年の夏にあったときはもうすっかり耳が遠くなっていた。言葉が間違っているかもしれないが、とても小さくなってかわいくなったなあと思った。
■彼女が亡くなったと知らせを受け、姉に電話した。お香典の話等々。その中で話題になったのは「いったいどんな親戚だったのか?」ということだ。よくよく考えてみると関係がイマイチわからないのだ。名字は一緒だし、親戚なのはわかるが、一体どのような血のつながりになっているのか私も姉もよく理解していないことにびっくりした。「おじいちゃんのおねえちゃん?」「いや、それはない」
「本家?」「え、うちは分家なの?」と全くもってわかっていないバカふたり。そんなことはどうでもよくて、ただ昔から近くにいた人なのだ。ただただ、寂しい。私が31歳にもなれば年寄りが死ぬのは当然のことであったとしても、やはりただただ今は寂しい。
■親戚マップは母に聞けばすぐにわかることだが、田舎のお葬式は都会の方が思っている以上に派手で大変な行事だ。母は今頃ものすごい勢いで福島県いわき市泉地区を仕切っていることだろう。私の仕切り魔は母譲り。仕切りだすと睡眠もとらないところまで似ている。そんな彼女にエールを送りたい。全身全霊で頑張って欲しいのでその質問はまた後にする。
■田舎の親戚事情は思ったよりも奥深く、面白い。
Recent Comments