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4/2 その3

  • 2011/04/13

いわき日記。墓参りに行った。

まず父方の方。いわき中央インターのほど近く、好間というところにあるお墓。行ってみたら墓石があっちにもこっちにもひっくりかえっていた。これは大変だと思って我が先祖の墓を見たらびくともしてない!何故?と父母と笑いながら線香をあげる。

続いて母方の墓参りに。こちらも我が先祖はひっくり返ってなかった。何故?手を合わせる。三人で何年か前に死んだおじいちゃんがこの震災を体験していたらどうだったかなどと話す。今は誰も住んでいない自転車屋(死んだおじいちゃんの店)を見に行くと、まずは液状化で地面が沈んでいる。水は出ない。古い物置が30度倒れている。横から見ると平行四辺形!!すごい。家の中は古いということもあるんだけどあちこち歪んでいて、表のコンクリ部分にもひびが何本も入っていた。父と写真を撮る。その時に父の携帯がなった。緊急地震速報だった。父が「家から離れろ」と私と母を誘導する。たしかに今すごく大きな地震が来たらこの家はつぶれちゃうかもしれないし、オンボロ物置は30度から60度まで行ってしまう。っていうかさすがに倒れるだろ。相当危ない。何秒後かに揺れは来たが、そんなに大きくないように感じた。外だったからか。結局震度4だった。私はビビリなので自分のiphoneに「緊急地震速報」のアプリを入れていない。あの音が嫌なのだ。不安をあおるというか・・・。いや、きっとほんの少し先に知るというのは大事なことなのではあるが、心臓に悪いというか。

母方の実家はいわき市泉町。そこから自分たちの家まで、小名浜を経由して帰る。小名浜は津波に襲われた漁港だ。

海の近くにはまず大きな大きなコークスの山があり、そこはとある小名浜の工場なのだが、液状化によって山の麓には水が溜まっていた。もしかすると海水かもしれない。そこから港まで、道はひびが入り、道の両サイドにはゴミなのか流木なのか散乱している。途中から信号が消えていて、まだ電気が復旧していないのだと思った。小さな店のような建物が見えて来てそこは小名浜港近くの魚屋で、その辺りから街の様子は明らかに大きく変わっていた。主に小名浜の魚を売っている「いわき・ら・ら・ミュウ」という名の大きなショッピングセンターも被害を受けていた。行ったことのある店がほとんどひしゃげている。車の助手席に乗っていた母も絶句していた。船が座礁し、道にひっくり返っている。ゴミが散乱している。まるであの日から時間が止まっているようだった。

高台にのぼり、また海岸沿いへ。そこからは住宅地で、被害がひどかった。豊間という地区だ。道はかろうじて車が通れる程に整備されている。しかし車の窓から見える景色は想像を絶するものだった。何度も何度も通ったことのある道なはずなのに、ここがどこなのか、何があったのかわからない。4階建てくらいのマンションが真ん中から折れている。倒壊した家の上に立ち、何かを探している人、引っぱりあげている人。店中の棚などがなくなったままただ外観だけ残ったファミリーマート。かろうじて立っている家に書かれた×印。背中の丸まったおじいさんが家族だろうか男性に手を引かれその×印の家から出て来た。避難所から来て、何かをさがしていたのかもしれない。そして道の終わりに半壊したセブンイレブンがあった。ここから少し内陸に入り、道の反対側、内陸側は何事もなかったのように家が建ち、店がある。海側を見れば、景色の色が全く違う。

私たちは家に帰った。自分たちの家が海から800mほどしか離れていないのに津波の被害を免れたということが信じられなかった。なんというか、今まで見て来た風景が本当ならば何故うちはいまここにあるのかわからなくなってしまったのだ。しかし父も母もここにいて、家はここにある。奇跡だと思った。三人で母の手料理を食べながらビールを飲んだ。幸せだと感じた。どうでもいい話をした。政治の話や震災の話ももちろんした。笑ったり泣いたり忙しかったが、とにかく奇跡の上にある幸せだった。その夜私はなかなか眠れず、それは興奮もしていたからだけど、余震が何度もあったからだ。夜中の余震は恐い。しーんとした家が鳴り、背中で震動を大きく感じた。早く朝になればいいのになと思った。

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