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Posts by kasagi

水戸短編映像祭の司会をして来た

  • 2007/09/19

パンフ

日曜日第11回水戸短編映像祭のコンペティション部門の司会。今年は柳沢茂樹くんと一緒に司会。作品を上映した後に監督にインタビューするのは司会の大切な仕事の一つなので、ノミネートされた9作品を事前に家で鑑賞しながらメモをとって当日壇上で何を質問しようかあれやこれや考えたり東京で柳沢くんと事前ミーティングしたり土曜日の夜に水戸入りしてからサイゼリアで直前ミーティングしてから、映像祭に臨みました。どこに行っても、サイゼリア。

司会3年目の今年は何でかわからないけどものすごく緊張して言葉を発する度汗腺から汗がどわーどわーどわーっと吹き出た。

準グランプリは高橋明大監督の「最後の怪獣」と、坂元友介監督の「蒲公英の姉」の2作品、そしてグランプリは田中羊一監督の「そっけないCJ」に決まった。

高橋くんの映画には何作か前から出演させてもらっていて、今回の作品もちょこっと出演している。そしてもう一人の司会である柳沢くんは「最後の怪獣」の主演俳優だ。司会しながら自分が主演した映画の受賞を願うってかなりの貴重な体験だけど多分気疲れしただろうな、柳沢くん。もちろん友人としても高橋くんには受賞して欲しかったが、作品を客観的に観ても「最後の怪獣」はとても力のある映画だし、さらに重いテーマを取り扱いながらも「面白い」という貴重な映画だと思っていたので、受賞をどこかで信じていました。おめでとう!

坂元友介監督の「蒲公英の姉」は20分のクレイアニメーションだ。坂元監督に話を聞くと、この作品は自宅で毎日休まず製作・撮影して、結果作品が出来上がるまでに1年間まるまるかかったという。20分を1年。気が遠くなるよー。そんな非常に丁寧に作られた作品の完成度はやはりとてつもなかった。話も泣けるんだよなあーっていうか泣いちゃったもん。素晴らしい映画だった。そして受賞後いろいろ話をきかせてもらって、すごく面白かった。着ているTシャツには何故か「サンシャインマン」(という名のキン肉マンに登場する超人)のプリントが。ナイスセンスな大学生!

そしてグランプリの「そっけないCJ」は、題名同様映画を観ている人間に「おい、そっけないなあー」と言われてもいいぐらい説教くさくない映画だった。力が抜けた、優しさに溢れた、それでいてそっけない、そして何故か切ないという奇跡的な青春映画だった。とにかくたくさんの感情が詰まっているはずの映画だ。しかしそれが決して表面に出ては来ないのだけど時間経過を経て全く違った場所から滲み出て来るってなあって感じがして、観ながらすごく気持ちよかったのだ。中学生男子のダメさ加減がえんえん続き、そしてラストシーンにはそのダメさが頂点に達する。そのラストシーンがとっても気持ちよかったのです!

水戸の話は、つづく。

本を読み返す

  • 2007/09/14

目黒

体調がすぐれない。松本清張「死の枝」は何度も読み返している短編集だが、別に読み返したい程面白いという訳でもないのだ。じゃあ何故かと聞かれても、うまく答えられない。

「作家の猫」は何度読み返しても楽しい。大好きな本です。

肌寒くなって来た。好きな季節に向かっています。寒い方が元気になれる、頭が。

皆も受けろよ!

  • 2007/09/09

今日新宿で子宮がん検診を受けました。

長々と書いた文章が消えてしまったのでもう面倒だから適当に書くけど、検診を受ける前々日ぐらいからすごく緊張し不安定になった。そのことについて考えることが辛かったので付き添いに来てくれた姉と超どうでもいい話をした。こういう時、気の合う姉の超どうでもいいコメントはいちいち面白い。ギャグレベルも高い方だと私は自信を持って彼女を推薦します。どこに?って話だけど。

でも検診を受けた後は結果を待つのみ。少し落ち着いた。結果は私のシャーマン的直感ではシロ。まあ、勝手なこと言ってますね。そうでも言っていないと・・・。

それにしても「ブラックジャック」に登場する如月恵は子宮がんで子宮を全摘出した後、男として生きて行くことにするんだよね。船医として生きる道を選び、BJと別れる。あのマンガが描かれた当時、子宮を摘出してしまったら女として生きることに困難がつきまとうという価値感がほとんどだったのでしょうね。

今日は久しぶりに音楽を聴いています。ムーンライダーズ!私の大好きな曲「幸せの洪水の前で」「涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない」「黒いシェバード」を聞くと胸が本当に熱くなって、今ここで生きていることの喜びを感じる。素晴らしい詩、そして音楽。鈴木慶一さんとは以前舞台で共演して未だに仲良くしてもらっている、私にとって「大好きな心優しき詩人」。

「the words stuck in his throat」

  • 2007/09/07

また鳩

急に考えたのだけど、舞台にするのではなく、今考えている物語を映画にしたらどうだろう。

早稲田大学の某映画サークルに在籍している時(ちなみに私は早稲田大学出身ではない)一本だけ映画を撮ったことがある。たいしてストーリーもない、くだらない話だ。内容は、男子大学生が散歩中につい立ち寄ってしまった谷中墓地で観たのは、お墓の前で楽しげに楽器を演奏している人達だった。何故か彼女達はくだらないカツラをかぶりフォルクローレで使うチャランゴやケーナといった楽器で音を奏でていた。そのあっけらかんとした弔いに彼は足を踏み入れる。そしてそのライブが終わった後、フォルクローレ愛好会は消えた。彼はまた一人取り残される。彼は死んでしまった近しい人が死んでいるのか死んでいないのか混乱したまま、しかし彼は笑顔で家路につく、といったような内容だった。記憶はおぼろげだけど、なんだこれ。ちなみに私はカツラをかぶりケーナを吹く女B役で出演している。昔の鶴瓶みたいなアフロをかぶりたかっただけという記憶もあるが。自分で撮影したため残念な仕上がりとなった八ミリフィルムを徹夜で繋げ上映した時、かなり下手クソな作品だと思った。それ以来のことである。あれ以来映画を撮るなんて考えてもみなかった。しかし、先日幼なじみから「最近買ったMacのiMovieで作った」処女作をDVDに焼いて郵送してくれたので見せてもらった。彼女の作品はまるで彼女の人生自身で、素直で愛に溢れたものだった。人が生きる上で、大切なものは何か。表現するという行為は欲求に近い。性欲や食欲や睡眠欲に近いと私は昔から思っている向きがあるのだが、「表現したい」と思う自分の思いの強さは時に恥ずかしいと思った。しかし、恥ずかしさを胸のどこかに感じながらそれでも尚表現のことを考えている。私に映画がとれるのか、わからない。ちょっと考えてみる。

書くこと、演技をすること、何が大切なのかを見極めることを、決してあきらめないでいたいと思う。そして生活の中で何が一番大切で、自分にとって何が大切なのかを見極めようとすることを、私はあきらめない。その中で脱線して笑顔を忘れた時、いつも深く落ち込むが、それでもなおあきらめないという方法を探していこうと思うと思うようになった。大切なもののために、私は作品を作りたいと思うようになっている。

また鳩

いづみ

  • 2007/09/06

今日はとても深い日でした。そのせいで自分を卑下し情けない場所まで落とし、一体私はどうしたいのか、どうされたいのか、自分がわからない。混乱しています。今ようやくPCの前に座ることでしっかりしなくちゃと思い、切り替えた。はっきり切り替えた。と思う。ナフルの笑わない笑顔が可愛い。

淋しさ

  • 2007/09/06

鳩

佐藤真さんが亡くなった。(そのニュースはこちら)「阿賀に生きる」を観たのは大学生の時だ。振り返ってみれば私が初めて触れた本格的なドキュメンタリー映画だったように思う。大学生の時に観た。静かで残酷な事実に胸を動かされたが、同時に自分自身のことと自分の半径数キロメートルのことしか目に入らないような己の視野の狭さにも直面し、無自覚であったため余計ショックを受けた。

これではいけないと思いながら人はなかなか変われない愚鈍な生き物だと思う。しかしこれではいけないとひたすら考え続けることは決して間違った行為ではないということを教えてくれた人達が世の中からいなくなってしまうのは、淋しい。とても淋しい気持ちだ。ただ、最近思うのは、都合のいい考え方かもしれないが、私は亡くなった近しい人に支えられて生きている気がする。はっきり言って私の都合である。苦しい時に彼や彼女が私を守ってくれている気になっている。彼や彼女が生きていた時はそんなに近くに感じなかったのに、亡くなってもう二度と会えなくなって複雑な思いをふと越えると、急に彼や彼女が私の近くにいてくれるような気がしてしまう。本当に都合のいい、自分本位な考え方だと自分でもそう思う。ずるいかもしれない。彼や彼女も呆れているだろう。「別に応援してないよ」と。

そうやって私は死ぬまで勝手にたくさんの人に支えられて生きて、自分が死んだらたくさんの好きな人の近くに寄り添って勝手に彼らの力になろうと思う。と書いたが、そんな大それたこと言ってもいいのか?第一、私は死後の世界とか、あんまり興味がないのだ。蛇足ですが「死んだら驚いた!」って、丹波哲郎が作ったキャッチコピーは素晴らしいと思います。

向田邦子「夜中の薔薇」に所収されている、「手袋をさがす」というエッセイに感動した。今後の人生で再び立ち止まることがあったら、このエッセイを読もうと思う。立ち止まるのは、早ければ明日。遅ければ死ぬまでその時は来ないだろう。

雨が強い時間に外にいたのでずぶぬれになってしまった。台風が来ているらしい。

アデュー前

  • 2007/09/02

とても面白い話である「電車の中で見ず知らずのおじさんに突然怒鳴られた事件」はさておき、下北沢のサイゼリヤに行ったり浜松町にバイトに行ったり初台で仕事したり森下に遊園地再生事業団の稽古見学に行ったり、東京を西へ東へ行ったり来たりしていた一週間だった。その間にこれから書き出す台本のことを考えていて、なかなか纏まらないながらにいくつかの書きたいことが塊になってきた。サイゼリヤは半分どうでもいい話で半分会議の気分でドリンクバーを何度もおかわりしたのだが、内容うんぬんより、人と話すことそれ自体で自分の気持ちが整理されて行くのがわかった。話だけではなく、人が話している時の動きや表情や距離感といった身体全てがいつでも私にたくさんの想像力と整理力をくれるのだった。その力を信じるか信じないかは自分にかかっている。

そんなことも含めつつ、どうやら太ったらしい。そんなわけで「オタキング」岡田斗司夫さんが大変なことになっていると知り、私も少しダイエットしようと決意。滞ったリンパよ、待ってろよ、今行くぞ。ところで痩せた岡田さんが何故か吉田拓郎に見えてしまうのは私だけか。

身体をしばらく洗っていないのに、ナフルはいつもいい匂いがする。どうしてだろう。そういうことも全部ひっくるめてとても面白いからナフル永遠に死なないでほしいなどと素っ頓狂なことを考えてしまう。

ナフ

昔も今も

  • 2007/08/25

れいちゃん

突然声をかけてもらって、久しぶりに小林令ちゃんに会った。仕事が終わってから三軒茶屋に急いで向かう。

令ちゃんは、以前遊園地再生事業団の舞台「蜜の流れる地」と「あの小説の中で集まろう」で共演した役者さんで、現在は一児のお母さん。今は編み物の先生もやっているのね。手に職!

令ちゃんは数少ない「遊園地再生事業団同期の桜」。出会ったのは私が19歳の時。それからもう12年が経ちました。・・・・12年。一瞬途方に暮れたが、そんなに経ったのか、私ら。令ちゃんはとても素直に舞台の上に立てる人で、勘もいいんだよな。行動派で思い立ったらもうここにいない、みたいな、私にとってはそういう面白い羨ましい人。

二人で会うのはすごく久しぶりなのに、会ったらすぐに昔の二人に戻った気がした。話し始めたら止まらなかった。昔話もしたけど、現在の二人についてとか演劇の話とかいろいろ話が出来て面白かったなあ。

それにしても母は輝いていた。

令ちゃんの編み物教室HP→「knit*happy*REN

清々しさ

  • 2007/08/23

ナフ
今日は楽しかった。高山玲子ちゃんと久しぶりに会って喋ったからだ。高山さん、とても清々しいというか、迷いの消えた顔になっていて、それはとてもいい顔だった。

彼女が奮闘している稽古、その舞台は私が尊敬する矢内原美邦さん作演出の「青の鳥」。面白そうだから皆観にいくといいよ。

友人の夢

  • 2007/08/21

山口小夜子さんが亡くなられた。ずっと昔から素敵な女性だなと思っていた。何だかとても淋しい。インタビューなどでしか知ることはないが、生きることを大切にしている印象を受けた。すごくかっこよかったよね。

昨日は遊園地再生事業団の稽古場を見学。本公演にむけて準備は着々と進んでいるようだった。あんなことやあんなことを稽古していた。楽しみです。パレスチナから無事帰国した岸健太郎とも久しぶりに話をして、彼は会う度に身体が大きくなっている気がするのだが、今回は身体だけじゃない気がした。

人はたくさんのことを知り、たくさんのことを忘れ、たくさんの思考を巡らし、たくさんの人と出会い、喋り、別れ、豊かになっていくのだなあと、帰り道にふと考えた。別れを経験しないと見えないものもある。

流れに身を任せつつ、時には抗いながら。ゆっくりでいいんだろうな、成長って。10年単位で大きくダイナミックに捉えていくべきなんだろうな。ただこつこつこつこつと準備する。日々を私なりに大切にしながら。私なりってところが大事よ。他の人なり(真似)は一週間と持たないから。様々なものごとや人々や考えに影響されつつ自分の中で噛み砕いて行動することが、本当の変化だと思う。

今日は考えていること(考えなくてはいけないこと、または考える必要のないこと)があまりに多いので、頭が破裂しそうな感じだったからか、夕食を作って食べたらすぐに熟睡してしまった。寝れば少しはすっきりするものですね、頭も身体も。で、ちょっとぼんやり朝焼けを見ています。

そんなわけでカウリスマキを初めて見たのは大学一年生の時、「マッチ工場の少女」だった。ビデオを借りてきて、日本女子大学の図書館にあるAVコーナーで観たんだったな確か。すっごく面白くて、どきどきして、大きな衝撃を受けて、見終わった後に呆然としたんだっけなあ。淋しさに賛同!という気持ち。それからカティ・オウティネンという女優にもある意味呆然としたのだった。それからカウリスマキは私の中の重要人物なのだが、「街のあかり」は賛否両論らしいけど、私にとっては俯瞰で映るフィンランドの町並みや、主人公の笑顔や、ラストシーンが今現在リアルな「救い」だったのだ。人は何に「救い」を感じるのかわからないね。

関係ないけど、今日は現在大阪に住む幼なじみの夢を見た。

彼女とは小学校5年生からの付き合いで、今も家は離れているけれど仲良くさせてもらっている。彼女とはずいぶんいろいろなことを喋った。ほとんどがどうでもいいことだが(小学校の頃は男子の話ばかりだった)たまに話す真面目な言葉もあって、その両方に私は幾度となく助けられた。100回は助けてもらっているかもしれない。いや果てしなく無限大に「救われている」。私がどんなどんづまった状況の時も、「いづみちゃんは大丈夫だよ」と根拠はなかっただろうけど、根拠なき励ましって最高じゃないですか?

その子がたくさんの思い出話をしてくれるという夢だ。その思い出は事実とはかけ離れていて、「ねー、二人で行ったハワイ面白かったよね」とか言われて「いってないじゃん」とか、「ねー、あの時さ私の秋田の実家でいづみちゃんが酔っぱらって私のおじいちゃんに殴りかかったじゃない?」「殴りかかってないし、実家に行ったこともないし、あなたの実家は秋田じゃなくて宮崎じゃない?」と私がつっこむという内容だったのだが、別にハワイに行っていなくても行っていても別にどちらでもいい話だ。ただ二人はたくさんの思い出を共有していると事実。それは離れていてもこれからもずっと変わらない。歳をとってもきっと変わらないと思える、そう思える友人がいて、そんな人生を積み重ねることが出来ただけでもちょっとよかった。

ナフル

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