「14歳の国」は無事に終演いたしました。
- 2018/10/12
終わりました、舞台が。
ああ、ここに何も書かずに終わってしまった。
見に来てくださった皆様、本当にありがとうございました!感謝です!
ナフルは元気です。
梅干しについて、料理は続く
- 2018/08/07
過日、梅の土用干し。このために干物用の網をAmazonで購入しました。
昨年初めて作った梅は皮が固かった。歯ががしがし言うほどに固かった。原因はいろいろあるらしいが、梅が完熟ではなかったのではないかと母に指摘を受けた。まあ、固いので細かく刻んで全部食べちまった。なかったことにした。証拠隠滅。
母のアドバイスを踏まえ、今年は完熟完熟完熟で製作開始。そして土用干しに至る。今年のものをこわごわと味見。うん…すっぱい。去年よりは柔らかいし、美味しい気がする、しょっぱい。いいのではなかろうか??梅酢に戻しバージョン、そのまま保存バージョン、白梅酢に戻しバージョン、3パターンで保存することにした。どうなるかなあ。反省としては、それでもやっぱり少し皮が固い気がすること。赤しそはネットで調べてパリパリゆかりとしっとりしそに分ける。これは美味しくできた。
料理は「これが大好き!食べたい!」というよりも、「実験してみたい!」「どうなるのか知りたい!」「面白い!」というのが強い。純粋な好奇心なのかもしれない。だからいつでもソワソワしながら料理のことを考えていて、考えすぎて感情が不安定になったりもする(のはよくないですね)。
「興奮し過ぎて自家中毒」タイプ。
そして出来上がりが一口、美味しかったら尚嬉しい、ぐらい。テンションは下降。満足。
不味かったら、負けず嫌いなのでさらに研究を重ねることになるのだ。闘志は燃える。
梅に関してはネットで調べても皆作り方が違うし、あらゆる先達の「梅カビ問題」を乗り越え高みに到達した人生訓的文章を読むにつけ、では己は何をチョイスすべきなのか?と…悩む。一日で食べ切るものではないのだから、この選択は大いなる賭けです。まあ、小さいことかとお思いでしょうが、そういうのがとても面白いんだよなあーと思います。
青い梅で梅ジュースと梅ジャムも作りました。とにかくひたすら作るのがいい。ずっと作っていたい。忘れさせて時間を。
何度も言って梅に失礼ですが、すごい好きでもないけど、そこそこ美味しいです。
それから、最近は「だし」にはまっています。山形の「だし」。暑い盛りに、これしか喉を通らない、というのは嘘で、体に悪いと知りながらアイスを食べています。
もうすぐ遊園地再生事業団「14歳の国」の稽古が始まる。
1/4 誕生日
- 2018/01/05
1月4日、42歳になりました。
昨日は体調絶不調で這うように病院に行く途中、信号無視の車にはねられそうになりました。これが私の誕生日。ひー、と声に出しつつ、うん、私らしい。
あのね、1月4日っていうのは仕事始めの日で、楽しかった正月明けて「ああ、仕事やだなー行きたくないなー」って人が街に溢れている日なんだよ、皆忙しくてあなたにかまっていられないのよ、何だかかわいそうね、と昔親戚に言われたことを思い出しました。やなこと言うねえ、でも、そうだそうだ。そうなんだよな。
でも、誕生日なんていつでもいいですよ。生まれてここまでこれて結果オーライであります。そんなこんなで臥せっていた昨日、ベットの中で読んだtwitter、facebookさんが受け付けてくれた皆さんからのお祝いのコメントがいつもよりぐっと身に沁みた1日でした。友人や家族、ここでつながっているみなさん、猫たち、今日までありがとうございます。これからも宜しくお願いします。
信号無視するなよ!
1/1 あけましておめでとうございます
- 2018/01/01
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
今年の目標:
「くよくよしない」
ハードル高いな。
とにもかくにも、がんばります!
あと、たくさん本を読もう。映画も観よう。対話しよう。実り多き一年にしよう。
大晦日
- 2017/12/31
今日は大晦日です。今年も終わります。
今年は特に前半いろいろ大変だったなと思います。指を怪我したり、その他個人的にいろいろあったなあ。でも今振り返ると何がどうというよりも、ただ「つらかった」という漠然とした印象が残るのみです。
後半は「家の鍵」の戯曲執筆に力を注ぎました。思うように書けず途方に暮れる毎日を振り返るとやはり「つらかった」という漠然とした印象が残るのみなのですが、前半の「つら」と後半の「つら」は全く別物で、どう考えても後半の「つら」の方がいい「つら」だったのです。
辛さとは一体どこにあるのでしょうか。
まあ、ウチ、ソト、どちらにもあるのでしょうね、きっと。
まだ、私の中にやり残した感じやもやもやが残っていて、それはあくまで戯曲を書くものとして、ああすればよかったのではないかとか、あのシーンは削った方がもっとよかったのではないかなど、とめどなくあの時期の自己の選択に対峙してしまい、その問いかけを日々繰り返しています。たまに胸がぐっと掴まれて、何者かに。「お前はもっと書かねばいけなかったのではないか?」と問いただしてくる。「言い訳しなかったか?」と追い込んでくる。
これは辛いというカテゴリーに入るのかわからない。
しかし私は知っています。
これは「つらしあわせ」だと、私の中にいる私がしっかりと気がついています。この「つら」を背負ってもっと前に進まねばならない。始めたのだから、終わるまで。
つらしあわせの来年を、必死に生きようと思います。
6月には作演出の舞台を企画しているので、頑張らねばならない!指を怪我している場合じゃないぞ。
ではご挨拶です。
今年もお世話になりました。
このブログを読んでくださる方、twitterなどで知り合えた方、支えてくださった皆様、友達、家族、出会った皆様、ありがとうございました。
また来年会いましょう!
ちなみに我が家のテレビは今「赤ひげ」です。
本日BSでは黒澤映画一挙放送中なんですね。
というわけで「生きる」「用心棒」「椿三十郎」、そして現在「赤ひげ」です。
では、もう一度。
皆様よいお年をお迎えください!!
笠木泉
ラストソングス「家の鍵」終了しました。
- 2017/12/19
「家の鍵」無事に全ステージを終了しました。
見に来てくださった皆さま本当にありがとうございます。応援してくださった皆さまにも、そして風知空知スタッフの皆さまにも心から感謝しております。
自分にとって興味のあること、自分にとって大切なもの、自分の中にあるものを書くというスタートで、結果的に老人とその隣に住むある男の小さな物語を書きました。
書いた戯曲はラストソングスの3人に託し、稽古場には毎日通いました。まあ、でも、通っているからといって別にただ稽古を見ているだけ。たまにセリフ変更させてもらったり。でも、基本は何もせず、チョコレート食べたりしていました(笑)。
でも稽古場って本当に面白い。自分が書いている時には思いもよらなかったシーンが生まれたり、全く違う匂いが舞台上を支配したり、解釈をああでもないこうでもないと議論してくれたり、毎日がとても新鮮でした。新しい「家の鍵」が毎日立ち上がる。なんて贅沢な時間なのだろうと、ふと思ったものです。
見に来てくださった皆さんからたくさん感想をいただきました。とても励みになりました。小学生の男の子から「主人公のあのせりふはどういう意味だったのか?」とメールをいただき、その質問の深さにあまりに感動しやたら長くてうざい返信をしてしまいましたが、そういう「出会い」がまた新しい世界を想像するきっかけになりそうな気がします。
また新しい物語を作れるように頑張ります!
(牛尾さんの書いてくれた家の鍵坊やは劇中登場する「清」の子ども時代ということになりますな!)
11/21 ラストソングスの稽古は続く・どうでもいいこと
- 2017/11/21
「家の鍵」稽古は続いています!
この写真はもう二週間程度も前の稽古風景ですが…
さて、わたしは戯曲を書いては稽古場に持っていく日々。
そして、稽古を見させてもらっています。
3人にじっくり読んでいただき、感謝の気持ち。
そして作者としてどんどんよくしなければという気持ち。
俳優としてではなく、作家として。
身の引きしまる、思いです。
12月15日、16日、17日はぜひ下北沢に!
上村聡と鈴木将一朗を見に来てください!
<ご予約はメールにて>
yoyaku@fu-chi-ku-chi.jp (風知空知メール予約)
公演名/日時/名前/枚数/電話番号をご明記ください。
追って、予約完了の返信を差し上げます。
<タイムテーブル>
12月15日(金)19:30
16日(土)14:00/19:00
17日(日)14:00
わたしのメールアドレスでも予約を受け付けます!
まで、どなた様もご連絡お待ちしております。
※※
今日思ったこと。
風呂に入る時には必ず雑誌を読む。
風呂のふたの上に置いて、ブックオフやらなんやらで買った雑誌を読むのがわたしの日課である。
雑誌は主にほっこり系。
「持たない暮らし」「常備菜」「自分らしい生き方」「いもくりかぼちゃ」系なんてあるのかわからないが、そういうものだ。
編み図とか、大根の皮は捨てないとか、そういう類のものだ。
そういう情報がわたしの生命エネルギーを回復させる。ぼんやりして、ほんわかして、気持ちが落ち着き、眠りにつける。
わたしもこんな綺麗な時間、豊かな日々を過ごしたいな、と思いながら布団に入ることができる。
しかし、現実はそうはいかない。
人生の約8割はしっちゃかめっちゃかで、
頭の中はとっちらかっている。
これは子供の頃からずっとちらかっている印象がある。
一行だけ書かれた紙がばらまかれてる状態のまま、なのである。
片付けが下手。
「手帳術」に憧れて買った手帳はほぼ白紙。
全くもってほっこりにはまらない自分のあるがままの姿に否が応でも対峙しなければならなくなり、まいってしまう。
そんな時に、「ときにはのんびり」みたいなほっこり系記事を読むと、さらにぎゃーとなったりする。
「努力しないでいいよ」と言われると、どうしていいかわからなくなる。
「ばかだなあ」と自分を責める。
そういう人はきっといるだろう、と思うのだが。
そこで登場するのが、ヤンキー気質のわたしだ。
ぃっしゃあああー!やったれー!ほっこり上等!みたいな。
ほっこりに罪はないのに、ほっこりに悪意を抱く。
自分を責めるというか、自分を攻める!
これは結構、振れ幅の問題でもあるのだが、
乱暴な現状突破の方法となる。
しかし、続かない。
わたしはヤンキーでもなんでもない。
人生で一度もヤンキーに憧れたことはない。
所詮は気質である。
しかも気質はいくつも存在するものだ。「ジメジメ気質」「フォークソング気質」「エアロビ気質」「紡木たく気質」「陸奥A子気質」(あくまで全て気質)など、まだまだたくさんの気質がわたしの部屋にやってきては去っていく。
本来の自分とは一体、どこにあるのか。
どこにもなくていいとようやくわかってきた。
ネバーエンディング自分なくし。
これもまた精進。努力。
あ、また新たな気質がやってくる。
ネバーエンディングストーリーだなあ。
今日もまた、自分が面倒だなと思ったという話です。
今日はいい天気、みんないい1日になりますように。
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