稽古2日目
- 2008/04/16
■稽古2日目。西荻窪の某稽古場。今日から山本大介さん合流。柳沢、細江、青山、山本の4人。台本書けたところまで印刷して読んでもらう。やっぱり役者に読んでもらうと頭であーだこーだと妄想していた世界とは全然違う世界が広がる。この瞬間は快感に近い。そして私はこの舞台をどう演出するかについて考える・・・前回初めて演出した時の圧倒的な反省を踏まえて、私に出来る方法を見いださなければならないのだった。
■山本さんとは遊園地再生事業団やペンギンプルペイルパイルズで共演させていただいた仲で、今回出演して下さることになり私としては本当に嬉しく頼もしい。
■終了後、「ぷあん」という名のタイ料理屋へ。汁なしラーメンが抜群にうまかった。家にもって帰りたいほどのうまさ。近所の高山玲子も合流して、楽しく飲んだ。家に帰り、力つきる。初めての台本を渡すまでのプレッシャーとかいろいろあってたぶん私なりに緊張していたのだと思う。
「五人姉妹」/「3年2組」
- 2008/04/14
□写真は細江祐子さん。「125日間彷徨」宣伝写真撮影にて。
※※
■12日、横浜の日ノ出町へ。7月に出演するMikuni Yanaihara Project「五人姉妹」の写真撮影。
■出演者の稲毛礼子さん、光瀬指絵さん、三坂知絵子さん、高山玲子さんと、私で五人姉妹。・・・もしかして、私が長女か?それはともかく、私だけが矢内原美邦さんの舞台に初参加(遊園地再生事業団の舞台「トーキョー/不在/ハムレット」で美邦さんに振付けをしていただきましたが)なわけで今から不安でいっぱいですが、美邦さんを尊敬している私としてはずっと出たかった舞台でもあり、とにかく私は皆に遅れを取らないように倒れないように人前で吐かないように必死に頑張るのみ。
■写真撮影が終わった後、4月18日から20日まで愛知県芸術劇場で上演する「3年2組」の通し稽古を見学させてもらう。東京での初演、私は胸が震えたのを覚えている。今回の公演は愛知のみとあって、稽古が見れて本当にラッキー。
■感想は、初演の時と同じように心揺さぶられた。美邦さんの戯曲は珠玉の言葉たちが雨のように降り注がれる幸福な夢のようだと思った。大事にしたくなるフレーズがたくさん出てくるんだよね。あと、不思議なことに初演の時より時間が短く感じたのだけど、大幅なカット等はないそう。以前より役者の体にすんなり言葉が出入りしているのかもしれない。そのちょっとしたことが、大きく印象を変えるのではないか。そのくらい、繊細なものなのかもしれない。それにしても、ほんと、この舞台は、気持ちいい。愛知在住の人は見た方がいいですよ!
※※
■「125日間彷徨」台本、ちまちまと進んでいる。寝ている間に小人が出て来て、書き上げてはくれないだろうか、傑作を。公演のお手伝いさんはいつでも募集してます→info@adieuadieu.comまでメールお待ちています。
ヘイト船長とラヴ航海士
- 2008/04/05
■今日は働いた後、渋谷で鈴木慶一LIVE!わーいくぞー!ってことで高山玲子さんと。
■大人でかっこよくてセクシーで勇ましい、本当に楽しいライブだった。慶一さんの発するエネルギーに圧倒。そしてプロデューサーでもある曽我部恵一さんが歌った、慶一さんの1976年(ちなみに私が出生した年でもあります)に誕生した名曲「スカンピン」は体が震えました。実は鈴木慶一×曽我部恵一、この組み合わせは私にとってあまりに特別であります。慶一さんとは遊園地再生事業団での共演がきっかけで仲良くしていただき、それから私は「ムーンライダーズ」のあまりのかっこよさに胸をかき乱されることとなったのでした。そして曽我部恵一さんは何といっても「サニーデイサービス」です。確かに私の青春のある瞬間を彩ってくれた音楽でした。私が断然惚れたのは曽我部さんの甘い声と言葉。とにかく心地よかった。アルバムを毎日毎日何度も繰り返し聴いたものです。
■高山さんは今現在映画を撮影中らしく私はわたしで頭の中台本のことでいっぱいいっぱいだったのですが、いい感じに影響を受けて大満足し、帰りに幸楽苑(本社:福島県 旧名:「ラーメン会津っぽ」)の280円ラーメンを食べて帰って参りました。280円なのにそんじょそこらのラーメンよりうまいよ。
■言葉と音楽と人生の融合。枯れた照明、命を感じる歌詞。服、顔、笑顔。声、叫び声。総じて鈴木慶一さんは、本当にかっこいいと思う。あんな大人になれたらいいのになあ、とライブを見ながら一瞬そんなことを考えた。
アクワリウム終了
- 2008/03/03
■「アクワリウム」終了しました。ご来場下さった皆様ありがとうございました。
■今回私はたくさんの初めてを経験しました。熊本から来た「劇団0相」との出会いは、全く会ったことのない人たちとの作業。戸惑いもありましたが、皆さんの優しさ、作演出の河野さんの真摯な姿に励まされ何とか本番を迎えることが出来ました。本番中も今まで感じたことのない気持ちをふと感じたり、新しい感情が芽生えたり、反省したりと精神的にもかなりぶれていたのですが、それはそれで新鮮で楽しかった。大事なのはこの新しい感情を分析することかなと思ったりしています。
■河野さんは稽古場でいつも全力で取り組んでいたようでした。常に自分の言葉と格闘していました。「(慣れないウィークリーマンションで)ちゃんと寝てるのかな」と心配になることもあったけど、何とか本番まで元気だったからほっとした。「アクワリウム」の本公演は今年の初夏に九州で。一体どんな舞台になるのか、楽しみです。
■アドバイザーの宮沢さんともいろいろ話しをすることが出来ました。宮沢さんが演出する舞台に出演させてもらったことは何度もあるけど、ちょっと離れた位置から作品に関わるという作業はこれまた初めて。宮沢さんが稽古を見に来て戯曲や演出や俳優の芝居にアドバイスをしていき、次の日みんなの芝居が劇的に変わった瞬間を見ることができたのはちょっとした感動だった。稽古中に宮沢さんのお父様がお亡くなりになって非常に大変な時期にも関わらず、ご実家での告別式を終え東京に戻り、本番前の通し稽古を見て下さった。そして的確なアドバイスを発信してくれる。本当に、もう何というか、頭が下がる思いだ。プロの仕事を近くで見ることが出来て、私は本当に幸福だと感じる。
■宮沢さんのお父様には何度かお会いしたことがある。初めてお会いしたのは確か12年前の遊園地再生事業団公演「蜜の流れる地」を、宮沢さんのご両親が見に来た時だったように思う。お父様が「(芝居の内容が)よくわからない」というような感想を言ったと宮沢さんが笑って私たち役者に話してくれたのではなかっただろうか。もう何年前か思い出せないけど「月の教室」という舞台を宮沢さんが静岡県袋井市で作った後に白水社でその戯曲が書籍化されることになり、巻末に収録される劇中歌CDの録音に参加した。その時白水社Wさんと一緒にご実家に泊めていただいたのだった。お父様は笑って挨拶をしてくれたように記憶しているが、何を話したのかは覚えていない。記憶の中では「何も喋らなかった/お父さんは何故か笑っていた」気がするのだが、どうだっただろうか。最後にご挨拶をしにいくことはできなかった。宮沢さんの話を聞くとかなり破天荒な人だったらしく、そのエピソードのあまりの面白さについ笑ってしまうことがあった。宮沢さんが日記に書いていたように、生前「死なない」と公言していたそうだ。しかし死はやってきた。でも、生きていたその姿はご家族の記憶の中にずっと生きていく。そしてとても優しい笑顔だったことが私の記憶にばっちり生きている。それも一つの「死ななさ」なんじゃないか。私の中にも「死んだけど死んでない人」、たくさんいる。彼や彼女は私の体の中にいてくれるとふと感じる時があるのだ。
■「アクワリウム」には「片目の猫」が出て来て、それは今や我が家のカーテンクライマー・テーオも出会った時から片目(正確に言えば片目が飛び出していた)だったので、不思議な縁を感じました。この戯曲の奥にあるものは非常に恐ろしい現実で、水俣病という公害病が身近に存在する熊本在住の河野さんだからこそ書けるテーマなのだと思う。さて、テーオの目は何故飛び出していたのか?摘出手術をしてしまった今となっては全くわからないけど、テーオは特に気にしている様子もなく相変わらず家の中で暴れ回っています。暴れ過ぎ元気過ぎで食べ過ぎ。
■熊本大学生、自分のことを「自分」という男前のアヤナちゃんは、稽古中に一度熊本に帰り大学の実習を受けてまた東京に戻ってくるという超ハードスケジュールをこなしました!えらいよアンタ。おつかれさまでした。別れ際「かさぎさん、会えなくなるの寂しいですよ。熊本に来て下さいよ。」って言ってくれた。いつか行きたいなあ。
女子高生/「アクワリウム」スタート
- 2008/02/25
■23日昼、東京国際演劇祭リージョナルシアター「着座するコブ」を観劇する。コブ、とカタカナで表記するとまるでコブサラダのようだとかなり本気でそう思ったが当然この舞台はコブサラダの話ではなかった。
遊園地再生事業団の田中夢ちゃんが出演していた。夢は高校生役。女子高生の制服のスカートは短いのだ。それが現在を示している気がした。何より現在の証というか。決して過去の話ではないのだな、と彼女の揺れるスカートのひだを見ながら考えていました。ちなみに私が高校生だった頃、もう15年以上も前の話ですが、街ゆく女子高生のスカートはそんなに短くなかったのです。私自身はといえば、制服のない都立高校に通っていたため、私服の生活だった。今思えば女子高生時代に女子高生ではなかった気がする。
終演後同じ回を観た小田豊さんと鈴木将一朗とコーヒーを飲む。大先輩・小田さんの話はとても興味深く面白かった。自分がこの先舞台に関わって行く上での様々な意思を次の段階に持って行くきっかけのひとつになったと思う。
■夜、参加する東京国際芸術祭リーディング部門の顔合わせ。今回は私が出演させていただく熊本の「劇団0相」と、札幌の劇団「WATER33-39」のメンバーが池袋の東京芸術劇場リハーサル室に一斉に集まった。わー、圧倒。今回一緒に出演することになった加賀田浩二さんは現在は東京に在住だが福岡の劇団「飛ぶ劇場」に所属しているので純粋な東京組はワタシのみ。わー、東京背負えねえ、と緊張する。しかし私のブログを読んで下さった0相主宰の河野みちゆきさんが「かさぎさんは東京出身じゃないんですよね?」と。ああ、そうだねその通りねいいこと言うね!昨日まで福島県にいましたっけ私。誰に頼まれたわけでもなく勝手に東京背負った時間は一瞬で済みました。ともあれ普段は物理的に遠くてなかなか出会えない人たちと出会えたことがとても嬉しい。稽古が楽しみ。
顔合わせの後、東京芸術劇場にほど近いお店で懇親会。出演者の柳原綾那ちゃんは大学一年生。アボカドを生まれて初めて食べて一言、「気持ち悪い・・」と言ったのが面白かった。後ろに映っているのは飛ぶ劇場の加賀田さん。
★「アクワリウム」は3月1日2日の2公演のみです。チケットのご予約ははカサギに直接メールしていただいても結構です。折り返しご返信いたします。→aplacetodie@hotmail.comまでお待ちしています。是非みなさん観に来て下さい。
初/アデュー第二回公演
- 2008/02/20
失踪者
- 2007/12/07
■友人のいせゆみこが出演する舞台「失踪者」を見に三軒茶屋のシアタートラムに行く。ちなみにこの舞台は以前「アメリカ」という名前で上演されたが今回改題されて再々演。三回とも観た。
■やっぱいせゆみこはダンスや動きが美しくて華がある。あと顔がオモシロ可愛い。愛嬌というか本人の本来持っている明るさが見えるシーンがいいなあ。遊園地再生事業団で共演したチェリーブロッサム柴田雄平くんも主人公「カール」役で出演していて、とても素敵でした。そして相変わらずでかかった。
■観劇帰りにいせと入ったタイ料理店「コンタイ」は、かなり旨かった。いせは「前より化粧が早くなったよー」と言っていた。遊園地の公演で私たちは楽屋の鏡が隣り合わせだったのだが、いせのメイクはとにかく時間がかかる。私15分、いせ1時間。それが今では「10分」だそうだ。超短縮!一体何が?
※※
■ちょっと不愉快なことがありまして、私は不愉快なことがあると髪の毛を切りたくなる性分なんデス。ぐああああ、髪、切りてえー!!!って自分で切るといつも失敗するのでぐっと我慢の子(死語)。
猫人生/シャット/コンナオトナノオンナノコ
- 2007/11/24
■二人はずいぶん落ち着いて来たようです。
■しかしまだ気になる事がいくつか。まずナフルの声がかれた。テーオと取っ組み合いの喧嘩をしている際に「ぐわーお!!!」という雄叫びをあげていたら枯れてしまったらしい。かわいい高い声だったナフルは今酒焼けしたおばさんのようになってしまった。様子見。
■そしてこれは前から気になっている事、テーオのくしゃみと鼻水。拾ったときからひどかった。くしゃみをすると鼻水が飛沫をあげる程。ナフルにうつってしまうのかなあと心配していたのだけど、目の手術をして下さった先生が「これは慢性の鼻炎でしょう」と言っていたので安心していた。でも今回ナフルの声がかれたこともあり、もしかしたら悪性の風邪かもしれないので、よし!と一念発起して二人同時に病院に連れて行く事にした。
■まずナフルをゲージ入れたら中で気が狂ったように暴れる。先週嘔吐した時に病院に連れて行ったときはゲージに入れても全く騒がなかったのでやはりあの時は相当体がしんどかったのではないか。「もうどうでもしてくれ」というようなあきらめが感じられた。今回は「出せこのやろー!!」とお怒りの様子だが、逆に嬉しい。
■で、我が家にはゲージ一個。仕方なくテーオを無印の小さなショルダーバッグに詰め込む。ファスナーがついているから逃げないだろうと思って。おとなしく入ってくれた。
■病院ではテーオの病気の可能性を告げられ、それは野良猫として過酷な状況で生きて来たテーオにしては当然持っているウイルスの話。少しずつだが治療することにした。
■猫を育てるのには当然だけどお金も根気も気力も明るさも必要だな。帰り道タクシーを待ちながらクラブのママのような声を上げて鳴くナフルに話しかけた。「我が家に来て幸福かい?」そんなん、知らんわ。一生わからんな。・・・そんな漠然としたしかも難しい質問すんなや。はいそうですよね、どうも失礼致しました。
■さー、がんばるぞー。受難のテーオとナフルと。
※※※
■ずいぶん前に撮影したCMがオンエアされているようです。ジョンソンアンドジョンソンの「シャット流せるブラシ」。遊園地再生事業団やペンギンプルペイルパイルズで共演した山本大介くんと夫婦です。
■そういや冨永昌敬監督の新作映画が絶賛上映中なのだった!「コンナオトナノオンナノコ」。イケブクロシネマロサニテレイトショージョウエイチュウ!と全部カタカナで書いてしまいました。実は私もエキストラとしてちょいと撮影に参加。わかるかなー?わかんねえだろうなー!って感じで出演しております。漫画家の魚喃キリコさんや安彦麻理絵さん(原作者)や大久保ニューさんや、役者の木村文ちゃん(撮影当時は妊婦で、今は出産し立派なお母ちゃん!)や、冨永撮影隊のリューちゃんやオオガワラ先輩とみんなでわいわい楽しく撮影。魚喃さんと私はコスプレしています。試写を見逃したので、まだ見ていない。楽しみだなあ。
■図書館に行って、「へんないきもの」という本を借りた。UMA的なカタチをしたへんないきものたちに「うぎゃー!!」と叫びながらも楽しい楽しい。異形の神秘とでもいうか、常識の崩壊というか。ウミウシ系は危険なカタチやあり得ない習性のものが多いようだ。海の中なんて、まだまだ発見されていないおぞましいかたちのいきものもいるのだろうな。そんなことを考えると、楽しくて仕方がないのである!
青ノ鳥、続き/山崎一さんと一緒
- 2007/10/01
■「青ノ鳥」についてさらにしつこく続くのだけど、この舞台は知人がたくさん出演している。高山玲子は全身全霊で生きていた。普段の彼女とリンクしてとてもいきいき存在している。ただ、動きながらたまに舌をぺろっと出すので、噛んでしまわないかと心配になる。癖らしい。他にも「Oh!電気ボーイ」山本くんとかオールツーステップスクールで一緒だった大好きな足立智充、髪の伸びた鈴木将一朗、皆とても素敵でしたよ!
■遊園地再生事業団は2回観劇した。「ニュータウン入口」はやはりすごく面白い舞台だった。演劇の面白さが凝縮されている。そのことについてはまた次回。
■撮影。毎日朝が早過ぎてなかなかうまく睡眠時間が確保できない。朦朧としてしまう。そんな中、11年前遊園地再生事業団「蜜の流れる地」で共演させていただいた山崎一さんと撮影でご一緒できたことがとても嬉しかった。ロケの帰り、二人でたくさんのハナシをした。第1回目公演「遊園地再生」のことや、「ヒネミ」、「砂の国の遠い声」のこと。現在のこと。あれから長い時間が立ちました。「今日は映像の仕事で笠木と会えてとても嬉しかった」と言ってくれました。ううううう、優しい・・・・。実は私が遊園地再生事業団に出演するきっかけとなった「ヒネミ」のオーディションでセリフのやりとりをしてくださったのが山崎さんだった。私はそのオーディションには落ちたのだけど、それをきっかけに1年後の「知覚の庭」に出演出来ることになったのだ。山崎さんは私の初めて発したセリフを聞いてくださった方だ。あれから12年、再び一緒にお仕事ができて本当に嬉しかったです。
■がんばろう。
「ニュータウン入口」についての長文
- 2007/09/26
■遊園地再生事業団「ニュータウン入口」は初日に観に行った。本当は3日目にチケット予約をしていたのだけど、何故か「この舞台はどうしても初日に観ておかなければいけない」と思い立ち役者さんにお願いしてチケット変更をしてもらった。どうしてそう思ったかというとプレビュー公演から稽古を何度か観させてもらったし、役者さんの何人かとも随分話をしたし、私はこのプロジェクトに全く参加していないけど勝手に参加している気分になっていたのかもしれない。あ、全く参加していないと言えばウソになるな。宮沢さんが第一稿を書く前にやはり勝手に手伝ったのだった。ちなみに勝手に手伝うという行為は図々しいのでなかなか人には勧められない行為だ。
■それで初日。たくさんの言葉に興奮しつつ観劇した。言葉のもつ強さが存分に味わえる。今回の公演で「詩人」という役は存在しない(「トーキョー・ボディ」「トーキョー/不在/ハムレット」で南波典子さんが演じた役)が、出演者全てが詩人のようだった。今野くんというカメラマンが発する言葉は現実的ではあるけれど、たぶんカメラマンという存在なりの詩を心に持っているのだなあと感じる。
■演技が円熟の域に達している役者さんが何人かいて、例えば杉浦千鶴子さんの「ダンス講義」など、稽古を含めこの1年間、何回重ねてきたのだろうと思わせるものがあった。何度も何度も繰り返し稽古して何度も公演を重ねたからこその説得力や美があったような気がした。そうだ、杉浦さんはすっごく可愛かった!髪型も衣装も、笑顔も全て可愛かったので勝手に応援していた身としては嬉しかった。
■このように「ニュータウン入口」について書き出すと止まらないのはわかっていた。勝手に手伝った身としてはあの人も気になるしあの人も気になるしあのシーンも気になるしという感じなのである。
■戯曲について「闘い」という言葉に何度も立ち止まりながら観ていた。この人達はニュータウンという場所においてそれぞれ闘いを続けている。それは現実の私たちも同じだ。(観ながら私はFISHMANSのアルバム「宇宙日本世田谷」のことを思い出していた、あのアルバムもある意味闘いなんじゃないかなとか考えつつ)闘い方はそれぞれに違うのだけど、皆何かしらと闘っている。今まではつい見落としていたけど、不動産屋の「高村」やビデオ屋でバイトしている「ジャスパー」さんだって皆自分自身の闘いを強いられそして立ち向かっているように感じた。そんな中一番闘っているのは「アンティゴネ」という存在に見えるが、アンティゴネはある出来事を発端に(かどうかは定かではないが)闘いに負けてしまう。負けてもすぐにまた闘いの方法を組み直していこうと切り替える、その早さが私は好きだ。切り替えが早いよ、アンティゴネ!と声をかけたくなるも、いや、アンティゴネのようにどんどんさっさと組み直して行こうぜ、皆!という気持ちになる。つい興奮してしまったが、私は舞台を観ていて「つい興奮してしまった」という瞬間が最も好きだ。静かな興奮が訪れるものが好きなのだ。それは音楽のライブで楽しむとかの次元とはまた別の、演劇というライブの素晴らしさがここにあると思っている。
■役者さんも皆活き活きしていたように思う。遊園地再生事業団のメンバーである田中夢ちゃんや上村聡くんには稽古中からいろいろな話をしていたので二人の生き生きぶりには本当に心動かされた。たくさんの意味を込めて、夢は本当に綺麗だった。上村君は本当に弟だった。それで私はやっぱりカメラマン役の今野くんがセリフを発したことについてはある意味大事件だと思うのだけど(何故なら戯曲をひっくり返す程の威力があるからだ)、今野くん本人の持つパーソナリティとか声とか繊細さがあってこそこの大事件は完成をみたのだなあと感動した。私は別に今野くんという人のことを何も知らない。そして今野くんは役者ではないので演技をするという意識がもともとないであろう。その彼があれだけ説得力を持った存在になっているというのは、やっぱり「今野くん」という人に説得力があるんだろうなと思わずににはいられない。役者ってたくさんのことを要求される職業で、顔がきれいだったらいいかといえば絶対にそんなことはないし、面白かったらいいかと言えばまた絶対にそんなことはない。動ければいいかと言えばそんなことはない。つまり、「・・・できればいい」という考え方は決して存在しない。ってここまで書いて思ったけど他の職業にも当てはまることですよね。それで、今野くんになるんだけど、今野くんが一体何を持っているか知らないけれど、彼はものすごく魅力的だったし、彼こそが「ニュータウン入口」だったのではないかと思える。戯曲との化学反応であるとも思えるし、彼が持つ圧倒的なよさ(私にとっては)だとも思えるし、そうすると舞台に上がるっていう行為は、本当にたくさんのことがバレてしまう戦慄の行為なのだった(ということは「青ノ鳥」にも繋がるハナシ)。舞台の稽古をしていると、やってもやっても埋まらない、稽古しても稽古しても届かないと思う瞬間がある。それでもたどり着きたいから必死にもがいた先に、何があるか。役者受難。しかし私も役者である。受難とか感じている自分には負けてはいられないのだった。
■ここまで書いて、小休止して、ふと宮沢さんの日記を読みそして相馬くんのブログを読んだのだが、ちょっと自分の文章があまりに稚拙で恥ずかしい気持ちになり全部消してしまおうかと思ったが、せっかく書いたので消さないことにした。まあ、こればかりは仕方ない。相馬くんは私と同い年なんだけど、同じ31年生きてても人間こんなに中身が違うのかよ!と驚くときがある。例えばそれはタイガーウッズも31歳だしさかなくんも31歳だという(さらに同い年のライターである井苅イガリ氏によると私たち昭和50年生まれは「さかなくん世代」という名の世代であるという。誰が言っているのかと言えばもちろん井苅くん一人である)驚愕の事実と隣り合わせにある。人間てすごい。相馬くんは何度も紹介しているがこの「ツイノスミカ」のブログを作ってくれた人だ。そして私は今彼に新たな闘いを強いている。ブログを作り直せと。曖昧な注文から彼は一体どんなブログに仕上げてくれるのか、私はえらそうにふんぞろかえっているだけ、待っているだけ。
■まだまだ書きたいことがたくさんあるんだけど、あとはもう一回観に行ってから書こうと思う。さ、次はミクニヤナイハラプロジェクト「青ノ鳥」について書こう!
■そんなわけで私は最近かなり忙しい。撮影の日々に突入しているためである。撮影に参加したいくつかの作品が見れるのはたぶんもう少し先になるのだけど、テレビでの放映が決まったらここでお知らせするかもしれません。お知らせしないかもしれません。とにかく毎日が闘いで、負けて帰宅し、夕飯を作り狂ったように食べ、朝起きたら「さ、闘いの方法を変えよう」とアンティゴネばりに切り替えが早い日々を送っています。
Recent Comments