5/3 福島の春
- 2017/05/07
ゴールデンウィークは実家にて車の運転をしてきました。
いわきから高速道路で郡山方面へ、中通り、裏磐梯、喜多方へというルート。そんな長丁場の運転は初めてです。やれるのか私…という大きな不安もありつつ、気合いで望みました。
中通りは桜が満開だった。
はじめての磐梯山。美しい!
福島の本当の美しさを堪能。緑も萌木色、花のかわいさ、光の森、美味しい食べ物に心洗われました。福島、最高。
途中、ダリ美術館があったのて弟と観賞。
喜多方ラーメン。写真は弟が注文したチャーシューメン。私は眠くなるので注文せず、人から一口もらう作戦敢行。美味しかったです。
往復8時間の運転中はかなり緊張していたみたいで次の日どっと疲れが出ましたが、何とか行けてよかったです。
3月11日
- 2015/03/11
今日で4年。
あの日、実家は被災し、家族は無事だった。
原発事故により、周囲の状況は明らかに変わった。
生き方や考え方が変化した。
いわきが変わった。
街が大きく変容した。
その姿を知る人は、少ない。
私にとってどんな日々だったか。
たくさんのことを考えた時間だった。
それはそうだ。
これからもとにかく考えることをやめないで生きていこうと思う。
実家のこと、家族のこと、隣人のこと、命のこと、矛盾のこと、割り切れない大きな力のこと、そして本当に大切なものは何なのか、どれなのか、ということを日々考え、反省し、前に進めるような自分になろう。
今日は祈りの日だ。
あの日のことを思い出す。
正直思い出したくないことも、思い出したいことも、今この目の前にある。
亡くなられた方のご冥福を祈ろう。
そして、福島県が孤立しませんように。
祈ることはたくさんあるし、
できることもたくさんあるんだ。
今日も明日も明後日も生きて行こう。
いわきの海。
これからもよろしくお願いします。
福島県南高校演劇コンクールへ
- 2014/10/27
この度ご縁があり、福島県南高等学校演劇コンクールの審査員をさせていただきました。
参加学校は7校。どの高校の舞台も本当に面白かったー!
でも私は今回審査員。審査なんて、正直生まれて初めての経験です。面白がっているだけではダメなのです。私のようなものが(そんなことをしていいのだろうか)…というお得意の自虐的思考で胸が張り裂けそうになりましたが、高校生の皆の前に立ち一人一人の真剣な表情を見ると気持ちがぐっと引き締まりました。そんな曖昧な気持ちで取り組んではならない。とにかく私なりに強い気持ちでこのコンクールに臨もうと。私も皆と一緒に考えようと思いました。
今回の作品の多くが、各校その分量は違えど、震災を扱っていました。それも、自分たちが実際に感じた、または感じている「リアル」な感情をかっこつけないで正直に語ろうとしているように見えました。
エネルギー、自由、現在、不満、震災、歯痒さ、人間関係、中途半端さ、笑顔、泣き顔、闇、深さ、浅さ、過去、避難、線量、距離、不条理、大人、福島、死、親、友達、その他にも私がもう忘れてしまった思春期の感情、10代の生き様。
顧問の先生が書かれた戯曲、既成の台本に自分たちの思いを加え潤色したもの、演出でその「空気」を描いたもの、明るく、暗く、そのままの姿、もう震災を扱いたくないという扱い方…方法は様々ですが、皆自分たちの思いをどうにか形にしようと必死にもがいたのだろうと感じ、その真摯な姿に感動しました。そのもがきは確かに舞台上にあり、私たち観客の心に突き刺さるのです。
ああ、この舞台を全国のたくさんの方に見て欲しい…
そんな思いで7本を観劇。
本当に面白かった。
笑ったり泣いたり、自分自身が忙しい。
貴重な時間でした。
審査自体は悩みました。
こうも悩むものかと。
苦しかった。
他の審査員の先生ともたくさんお話をさせていただく中で気づくこともありました。そして結果が。県大会に行く高校が決まりました。生徒の皆さんとお話しする時間もいただき、あーでもないこーでもない、あのシーンはどーですか、こーですね、と皆でディスカッションしたり。
皆、その結果を受け止め家に帰り、何を思っているのだろう。
それぞれがそれぞれの境遇を抱え、生きている。
福島県に住む皆の明日。
明日に向かって、今日を生きる。
今日のコンクールを終え、明日も明後日もまた演劇部の扉を開き、新しい本を探し、ストレッチをして、お喋りして、愚痴言って、一人で悩んで、また舞台を作っていくのだろう。
そこには、確かな圧倒的なきらめきがある。
皆さんから、この場所から、土地からたくさんのものを頂きました。
本当にありがとうございましたと、白河文化会館に挨拶をして、帰路へ。
これからミクニヤナイハラプロジェクト「桜の園」の稽古は佳境を迎えます。この時期に皆の演劇に出会えてよかったと思いました。私も皆と同様、精一杯今日を生きよう。
そんなわけで、胸いっぱいなのですが。帰りの新幹線でどっと疲れが出たのか発熱→バリファックス(バファリンのバッタもん)を飲んで回復。エネルギーゼロ、38歳。
またいつか皆に会えますように。
2週目です/占星術体験
- 2013/01/21
「ちいさなレシピを、1ダース。」2週目。
今週はスイートポテトでした。
あまりに簡単でびっくりする。10分で出来たし、美味しいし、まいっちゃうなあエヘヘ。
まあ、私がすごいわけじゃなく、なかしましほさんがすごいんだけど、自分がすごいと錯覚するね。
※
昨日ははえぎわの鈴真紀史ねえさんと会う。
というのも、鈴さんに「占星術」なるもので私自身の星回りを見ていただいたのである。
鈴さんは「占星術」なる学問を学んでいて、
非常にざっくりいうと「自分の生まれた時の時間と場所から、その瞬間の星回りを算出し、運命を知る」というものらしい。
私は星座オタクではあるけれど占星術とかそういう分野に全く詳しくないので、是非一度どんなものか興味もあり、「一度時間があったら見て下さい」とお願いしていたのです。それが、昨日。
※
そして調べていただいたデータがこれ。
驚いた。
5枚の紙にびっしり「私」が書かれている。
生まれた日、1976年1月4日11時45分、福島県いわき市小名浜で生まれた私の星から導きだされた私という人間が客観的に、溢れんばかりの私が!
私天国。こんなことってあるだろうか。
そして真紀ねえさんの説明。私は一体どういう人間なのかと…
そこからが本当にエキサイティングだった。
私の運命、過去と未来についてどっぷり話を聞かせてもらった。
今まで自分という曖昧な存在をほったらかしにしてきた。
ほったらかし、適当に悩んで来た。
そんな私が自分の輪郭を他者の言葉から知るという、人生初の試みである。
人生とは、ドラマティックでスペクタクルで日常であった。
結果として、超無理矢理一言にまとめると「とりあえず大丈夫だ」ということなのだが、
その「とりあえず大丈夫だ」という一言に至るまでの複雑なデータを作って下さった真紀さんに深く感謝です。
ありがとう。
真紀さんの言葉に助けてもらった一日でした。
面白かった!!!!
はえぎわ稽古日記 9月11日
- 2012/09/12
稽古中に写真を撮るのが苦手なので、今日はナフルの後ろ姿でお許しください。
今日は「カラダの先生」寺田未来ちゃん指導の元皆で動いた。
使用前、使用後みたいだった。
通販番組みたいに「ええ〜こんなに変わるんですかあ?」と叫びたい程に皆変化する。
OMOSHIROI!
今回の稽古場は年齢の幅が広い。
制作助手のミウラさんが20歳、アンサンブルキャストの皆さんは50代、60代。
いろいろなことが起きたり話題に上がったりする。
それが毎日とても新鮮で面白いのです。
皆さんから本当にたくさんのことを教えていただいています。
※※
ふと、トミー(富川一人くん)が「音痴だ」という話になる。
その時の彼の表情がたまらなかった。
私が「運動音痴だ」と周囲に認識された時の顔におそらく近い(見た事ないけど)。
大袈裟にいうなれば、「生きていてすみません感」。
人は完璧ではない、と誰かが誰もが言います。
なるほど人は何かしら「生きていてすみません感」を内包して生きているんだなあ。
「お金なくて生きていてすみません感」、「足が臭くて生きていてすみません感」、「不倫していて生きていてすみません感」…
まあ、なんでもいいんですが、私は皆がどこかしらに感じている「すまなさ感」を愛しているんだなとも思う。
生きていてすみません感が生きる力にもなる。
万物は流転するんだ!
※※
とある本で「人間は何度でも生まれ変われるのよ」というような言葉があった。
しかし私は「人間は生まれ変われない」んじゃないかと思うのだ。
じゃあ、どうすればいいのかっていつも考えている気がする。
※※
今日は9月11日、あの日から11年経ち、そしてあの日から1年半。
胸がいっぱいだ。
まだ2000人以上の方の安否が不明なまま。
私の実家近くには瓦礫が山のように積まれている。
道路は割れ、建物は消え、田んぼには稲穂が輝く。
原発が近い。作業して下さる方々がたくさんいる。
この1年半、生まれた場所である福島を愛する気持ちが生まれ、その気持ちが深くなっています。
そしてもっと深く強くなれたらと思います。
8月27日
- 2012/08/28
体調が不安定で、何やら気になる症状が出た。
心配になってとある専門の病院に行ったら、ちょちょっと検査をされ、
「うーん、ストレスですかね」
と言われ、
「あ、もうこれはヤバいと思ったらすぐ来てください」
と付け加えられた。
薬もなく、血液検査もなかった。
確かに今日はあ、これはもうヤバいという状態以前だ。
でも、だから行ったんじゃないかい。
適当すぎねえかい。
※
合うお医者さんとの出会いはとても難しい。
20代後半とある病気になった時、病院ジプシーになった。
合わないどころの話ではなかった。
「あなたに倫理はあるのか?」と言いたくもなる態度をとられたこともある。
泣きながら病院を後にしたこともあった。
合う先生なんていない。
病気で苦しんでいる孤独感も手伝い、絶望的な気持ちになったものだ。
そしてとある大学病院の、
うっすらひげのはえた女医さんに出会う。
とてもストイックな方だったが、私の病気をきちんと受け止め励まし、治療してくれた。
完治した今、ひげ先生にはとても感謝している。
ひげ先生がいなかったら治っていなかった。
ありがとう、ひげ先生。
女医さんだけど。
※※
上のエピソードを思い出したのは、最近の病院通いと「困っているひと」/大野更紗さんの本を読んだからだ。
大野さんの病気は私が抱えた病気の何千倍も何万倍もつらいであろう難病で、読んでいて胸が苦しくなった。
でも大野さんはとても強くしなやかな方なのだろう。
しかも聡明だ。
よくぞ深い苦しみに耐えてくださって、
苦しみも喜びも、このような面白い文章にしてくれた。涙が出る。
さらに大野さんは福島県出身だ。
応援していかないはずがない。
バナナ
- 2011/10/05
■舞台が終わって一週間強。実はまだ右臀部から太ももにかけて鈍い痛みがあります。これは筋肉痛じゃないね、たぶん。なんだろう。確かに京都公演は足が辛くて、本番に入ってからはカーテンコールが終わると苦しくて叫びそうになっていたっけ。
■横浜は急に寒くなり、私も体調を崩し気味です。というより、ずっと蓄積されてきた疲れや体のゴミのようなものが今ふつふつと燃え出し、私を地味に苦しめている感じです。だるいんですね、ずっと。アレルギーのような、アトピーのようなものも出て来ました。これは何も舞台をやってからというだけではなく、昨年からずっとずっと溜まっているもののように感じます。
■昨年からずっと長いこと、小さな休みこそあれ、ほとんど突っ走って来ました。「前向き!タイモン」が終わり、今ようやく一区切りがついたのだと思ったり思わなかったり。
■3月11日からずっと心休まることなく頑張っておられる方もたくさんいらっしゃいます。その方たちに感謝をしつつ、私がこれから出来ることは何だろうかと時間をかけながらでも考えて行こうと思います。
■たくさんの言葉が私を揺さぶり続けたこの7ヶ月。まだまだ先は長いです。一生、その先も続く長い長い福島の未来について。ひとまず今年はこれからいわきのボランティアに行ってハワイアンセンターに行こうと思います。その前に遊園地再生事業団の公演のお手伝いに行きたいと思います。是非皆様見に来て下さい。よろしくお願い致します。
※※
■ところで今日久しぶりにベーグルを焼きました(冷凍バナナを食べてしまいたかったので)。全然いい感じにはできなかったけど(寒かったのかあまり発酵しなかった気がする)、感慨深かった。何故なら2月3月はどうしてか「お菓子づくり/パン作り」に凝っていて、ベーグルを焼いたりしていたのです。最後に焼いたのが3月10日。写真が残っています。あの日以来、パンを作ろうなんて気に全くならなかった。そして今日朝起きて突然焼いてみて、「ああ」と思いました。周りが妙に固いバナナベーグルを食べながら、生きることについて考えて、また明日も私のやるべきことをやろうと思った。強く思わなければいけない。
さよなら!タイモン
- 2011/09/27
■「前向き!タイモン」京都公演が終了し、これで全日程終了しました。見に来て下さった皆様本当に本当にありがとうございました!
■楽日は昨日の昼公演。実はこの回は本当に辛かった。身体がちぎれるかと思いました。でも苦しみの中に光が見えて、その光を掴もう掴もうとしているのは私だけではなく、3人が同じ気持ちだったと思います。幸せだったな。今回、舞台上で常に3人が「1つ」だった。1人ではなく、1つという感覚。3人は全く別のタイプの役者なんだけど。でも1つだった。これは思い過ごしではないと思います。たぶん他の2人もそう思っていると思う。2人に「いやあ、そんなこともないですけどね」と言われたらまあこっぱずかしい話ですが。その気持ちが私を強く支えてくれました。それは今まで味わったことのない強い感覚で、これはもしやあの「信頼」というやつなのだろうかとふと思ったりもします。
■夜はミクニさんとキャストスタッフで京料理を食べました。今日は朝、将一朗くんと山本くんと3人でコーヒーを飲み、四条河原町の交差点近くで握手して別れました。よくもまあ飽きずに3人で行動したなあ。東京の稽古の時から3人でごはん食べて、飲みに行って、お茶して、真面目な話もどうでもいい話もあーでもないこーでもない話して。京都では「Hanako京都特集」を片手に激旨親子丼食べに行ったり、楽屋もたくさんあるのに3人で1つの楽屋に引きこもって。なんなんだあの3人/仲良しOL三人組か/気持ち悪いだろ/と言われても仕方ないぐらい一緒にいました。7月からずっと稽古していたからね、もう何か一緒にいるのが当たり前みたいになってた。だから、また東京で会えるのに、もうこの三人で芝居ができないのかと思うと、まあ、ぶっちゃけ、アレですよ。でも、我々は前向きですから、前向いて生きて行かなくちゃいけないんです。だからさっさと別れました。ただただありがとうと思いながら。
■そして演出のミクニさんに。セリフが言えないで半狂乱でパニクった私に「大丈夫だ」と何度も言ってくれた。まあ、半狂乱になるなって話ですけどね。今回何度「大丈夫だよ」と言ってもらったかわからない。それはとても大きな言葉だった。呼吸をすることを許された。その言葉を信じて今日までやってこれたんだと思います。あと今回ミクニさんにとてもとても大切なことを教えてもらいました。それはあまりにも大切なことのような気がしているので、私の胸の中にしまっておきます。ミクニさん、本当にありがとうございました。
■あとヨーロッパ企画の本多くんにすごいお世話になった。何をお世話になったかは割愛。ありがとう、本多くん!
※※
■午後は大阪に住む幼なじみに会って、生麩(最高)を食べながら、芝居の事などを話しました。それから私が一週間京都という場所にいながらにして考えた福島のこと。それはこの半年間をきちんと言葉にするという作業でもありました。自分にとっては大切な気持ちを大切な友人と共有できてよかったです。先ほど京都から帰って来て、今は大いなる筋肉痛と戦っています。いやーそれにして生麩最高。京都素晴らしいところでした。また舞台が出来たらいいな。
■「前向き!タイモン」という舞台については、また書こうと思います。私が愛したタイモンの物語について。
明日前向きな小屋入り
- 2011/08/28
■今日で稽古が終わりました。明日から小屋入りです。
■7月12日から今日までミクニさんと鈴木将一朗くんと山本圭祐くんとほぼ4人で稽古を続けて来ました。台本をいただき、覚え、稽古し、自分がなかなか前に進まず、また覚え直し、稽古し、ちょっと出来るようになり、またできなくなり、とずいぶん長いこと稽古をしてきたように思いますが、心の中では「あっという間だった」という言葉しか浮かびません。もうすぐ本番なんて信じられない。
■できないことにどう立ち向かうか、そもそも私に出来ることなどないのではないかといろいろ悩みながらも今日までやってこれたのは、他でもない共演者のお陰です。いつも皆で話をしながら稽古を進めてきました。お互いを信頼しあいやってこれたのは本当にありがたいことでした。文字通り前向きでいられました。
■そしてミクニさんが根気づよく私たちを見てくれた。いつも私たちをひっぱってくれて、そして信じてくれた。稽古中、演劇というより、スポーツチームの監督とメンバーのような感覚もありました。しかし私たちが作っているのはやっぱり演劇なのです。細かく、果てしなく、作業は続きました。でもその根気づよい稽古の中で、稽古場で、何かが生まれていたら嬉しい。
■私は本当に幸せな人間だと、ある瞬間思いました。私個人の幸せなんてささやかな話ですが。たくさんのことひっくるめて全てをひっさげて、そしてこの気持ちのまま本番に臨みめたらいいなあ。皆でいい舞台にします。みなさま、劇場にて心よりお待ちしております。
■いつか福島で演劇ができるように。頑張ります。
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