こうじ屋のおばあちゃん、さようなら
- 2007/02/24
■子供の頃からずっと大切にしてくれた親戚のおばあちゃんが亡くなった。忙しくて葬儀に行けない。もちろん用事をキャンセルして行ってもいいが、母が「大変だろうから来なくていいよ」と気を使って言ってくれた。
■そのおばあちゃんはいつも母方の実家である自転車屋の家にいた印象だ。どういうことかというと、ものすごく近所に棲んでいて毎日のように自転車屋の我が実家にお茶を飲みに来ていたのである。私がおじいちゃんの家に遊びにいくと必ず会う。宿泊して朝起きるともう居間でお茶を飲んでいる。ものごしのやわらかな、優しい人だった。小さい頃から私たち姉弟のことを自分の孫のようにとても大切にしてくれた。
■もう長寿だ。私の祖母が亡くなってからもほぼ毎日のように自転車屋には来ていたらしいが、今年の夏にあったときはもうすっかり耳が遠くなっていた。言葉が間違っているかもしれないが、とても小さくなってかわいくなったなあと思った。
■彼女が亡くなったと知らせを受け、姉に電話した。お香典の話等々。その中で話題になったのは「いったいどんな親戚だったのか?」ということだ。よくよく考えてみると関係がイマイチわからないのだ。名字は一緒だし、親戚なのはわかるが、一体どのような血のつながりになっているのか私も姉もよく理解していないことにびっくりした。「おじいちゃんのおねえちゃん?」「いや、それはない」
「本家?」「え、うちは分家なの?」と全くもってわかっていないバカふたり。そんなことはどうでもよくて、ただ昔から近くにいた人なのだ。ただただ、寂しい。私が31歳にもなれば年寄りが死ぬのは当然のことであったとしても、やはりただただ今は寂しい。
■親戚マップは母に聞けばすぐにわかることだが、田舎のお葬式は都会の方が思っている以上に派手で大変な行事だ。母は今頃ものすごい勢いで福島県いわき市泉地区を仕切っていることだろう。私の仕切り魔は母譲り。仕切りだすと睡眠もとらないところまで似ている。そんな彼女にエールを送りたい。全身全霊で頑張って欲しいのでその質問はまた後にする。
■田舎の親戚事情は思ったよりも奥深く、面白い。