秋が近づいて来た
- 2009/08/30
■しばらく更新が空いてしまった。この10日間ほど、何をしていたのか・・・。
■22日、劇団鹿殺し「回帰!赤とうがらし帝国」を見に行く。鹿殺しって名前にびくついて行ったんですが、鹿は殺していませんでした。体力の限界まで動いている人たちを見ると「同志よ!」という気持ちになる。みなさん全身全霊でかっこよかったです。終演後、満身創痍で出演中の親友キシジュン(岸潤一郎)とモリカちゃんとじっくりしんみり話し込む。落ち着く顔ぶれである。
■23日、大きな間違いをおかす。予定を一日間違える。蒲田の駅で「あ、明日だ」と気がついたあの時のガッカリ感といったら。最近一日間違えるということが非常に多いのである。時間を間違えるのならまだしも。
■24日、改めて予定遂行。とても暑い日だった。
■25日、朝4時起きで某ドラマの撮影に。共演した小学校一年生の女の子と仲良くなる。はじめは挨拶ぐらいで明らかに私を警戒していたのが、何分か経過し急に心を開いてくれた瞬間の笑顔が面白い。可愛かったなあ。子供たちと一緒だとリラックスできて、撮影も楽しかった。撮影場所は昔住んでいた柏市にほど近い流山市。流山電鉄という首都圏有数の渋さを持つ電車に乗りました。住んでいる時にも乗らなかった単線で、もはや存在自体が幻かと思っていたが、なんの、頑張って走っていました。しかしあまりにさびれていて一体ここはどこだ?という気分。終点が常磐線馬橋というこれまた切ない気分満点な駅で、この駅には確か競艇だかがあって駅前の「グレーっぽいスラックスをはいたおやじ率」80%であった。暑い一日だった。
■26日、ぼんやり。英語の勉強したり、さいとう・たかを大先生「サバイバル」を読んだり、佐々木敦さんの「ニッポンの思想」を読んで一日が終わる。涼しい一日だった。秋がもうすぐ、ここまで来ているな・・・と物思いにふける。
■27日、今日もわりと涼しいか。四谷に所用。変なおじさんといろいろ話す。変なおじさん、とはいえシムケン的な変さではない。真面目にこつこつ生きて来たが故に「ちょっと変わった」おじさん。私はこういう人が大好きなのである。いつまでも話していたかった。所用終了後。久しぶりに「サブウェイ」に入るも、以前との注文方法の違いに戸惑う。私は老人か。そして教訓は、「食べ物に関してあまり冒険してはいけない」。サブウェイに行ったら、ターキーブレスト、それでいい。夜涼しく、また物思いに。
■28日、朝から喉が痛い。まんまと涼しさに負け、風邪引いたようだった。物思いにふけってる場合じゃねえよ。葛根湯大根おろしをがぶ飲み。「今日一日でゼッタイ治してやる!」と早く床に着くも、眠れず。つい「サバイバル」の続きを読んでしまう意思の弱さよ。あまりに面白い「サバイバル」がいけないのだよ、諸君。さあ体の節々が痛み出し、いよいよ「インフルか?」と不安になるも、朝起きたらすっきりしていた。私は一日で風邪に勝ったのだ、という充実感も、まあ無駄な一日だったのだ。風邪引かなきゃいいだけの話である。
■28日、nibroll×shopfront「SuperPerfect」を見に、横浜STスポットへ。日本人とオーストラリア人の共同ワークショップで作って来たパフォーマンス。若さ溢れるものでありました。U25だって!私にもそんな時期がありましたけど、こんなにフレッシュだったかしら・・・。妙に懐かしい気持ちとともに、「若さ」にも時代が確実にあるなあと思いました。矢内原美邦さん始めnibrollメンバーに久しぶりに会えて嬉しかった。
■そんな日々でした。さあ、今テレビでふと見た「テレビ将棋トーナメント」(NHK)が面白かった。佐藤天彦というプロ棋士が気になる。なぜなら、いつもここからの白くて細い方、または「DEATH NOTE」の「L」の様な髪型容姿であり、将棋の枠からはみ出したような、違和感があったから。調べたら88年生まれだって!若いぜ!どの世界にも新しい風が吹いているのだなあ。これから選挙に行ってきます。
声援
- 2009/08/20
■南波さんにもうすぐ子供が生まれるなあ!目黒区のAちゃんも、北海道にいるAちゃんも二人目が生まれるし、高校の同級生オダの赤ちゃんも10月には生まれるなあ!みんなすごいなあ。驚きですよ。
■頑張れ頑張れ!頼む!頑張れ!頑張ってくれ!って書いたはいいものの、しつこいよね、あの歌。
■今日は佐々木敦「ニッポンの思想」を読んでいます。佐々木敦さんは私にとって重要な方です。佐々木さんはその昔大学の映画サークルの上映会にいつも来て下さっていたのですが、その時私が出演した映画を見て、「声が耳に残る、通る声なのでいい」と感想を言ってくれたのです。私が18歳の時です。自分の声がコンプレックスだったのでとても嬉しかったのを覚えています。佐々木さんはゼッタイに覚えていないと思いますが、そういう言葉がどれだけ自分を助けてくれたか、だからこっそり今でも感謝しているのです。
■その映画で、確か私は殺し屋役でした。殺し屋って(ツッコミ)。
■英語を勉強しているともしかしたらこのままどんどん英語ができるようになっていろんな国の人とお喋り出来るようになるんじゃないかと錯覚してしまう。そうなったらいいんだけど、まだ自分をそこまで信じてあげることができない。
英語日記 8/16 プリズム
- 2009/08/18
■今日の「悲しい」英文。
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My first thought when the truth was exponsed was avoid losing face.
訳:本当の事が暴露された時、私が最初に考えたことはメンツを失うことは避けなくてはということだった。
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■悲しいねえ。笑えるけど。ほんと、いつの時代も人間はこんなことばっかり考えている。ドラマにしたりすると、そういう人の人生はマコトに面白い。笑えるからか。
■少しずつだがこつこつ英語の勉強している。何故かまだ飽きずに楽しんでいる。必然的にテレビを見る時間が減り気分もいい。本も読みたいし英語の勉強もしたいし映画も見たいしプールも行きたいし腰も回したいしで何だか忙しいが充実といえば充実している気がする。こうやって静かに考えたりもくもくと腹筋したりぶつぶつ覚えたりする夏もいい。蓄えよう。そういえば「ショーシャンクの空」を見ました。面白かったですって今更何を言ってんだと各方面から怒られそうですね。暴力シーンはやはり苦手だが、この映画を撮るにあたり避けては通れないもんな。モーガン・フリーマンがいかりや長介に見えて仕方なかった。
■寝る前に、古本屋で買った「向田邦子ふたたび」っていうまあ追悼本のようなものを読んでいるのですが、何故こんなにもこの女性は美しいのかとか強そうなのか、と考えるのが楽しい。長谷川町子の自伝「サザエさんうちあけ話」を読んで、何故こんなにもこの女性はかたくななのか可愛らしいのか、と考えるのが楽しい。ドライな女性の人生を読み、心酔するというわけではなく、ちょっと客観的に彼女らの人生の中の明や暗を考えるのが好きなようだ。自分も含めてむかつくところもいっぱいあるけど、結局女性が好きなんだな。そういえばこの間図書館で読んだ雑誌の記事で、片桐はいりさんが「淡島千景ー女優というプリズム」という本を紹介していて、文章がドライで女優っぽくなくて好きだというような解説をしていた。読んでみようと思う。
13年
- 2009/08/16
■13年前に亡くなった友達の命日でした。
■彼女とはワークショップで出会いました。私が初めて通ったワークショップ。そんなわけで13日やはり同じワークショップに通っていた今は映画の仕事をしているKくんと編集の仕事をしているYくんに誘っていただいて飲みました。久しぶりだったんだけど、すんなりといろんな話ができた。彼女のことを考えながらだったからだと思う。
■彼女がとても可愛らしい子で天真爛漫だったこと、から、亡くなったその日のことまで彼女にまつわるいろんな話をした。私は舞台の本番中で紀伊国屋劇場の楽屋でその知らせを受けたこと、震えたまま本番の舞台に出た事、次の日驚く程暑くてぶっ倒れそうになりながら告別式に出たこと、亡くなる一ヶ月前に武道館の小沢健二のコンサートで彼女に偶然会ったこと、亡くなる二週間前に私が当時バイトしていた新宿マイシティの山下書店という本屋に遊びに来てくれた事、その他いろんなことを思い出しては口に出し、当時私たちが一体どんな話をしていたのか、一体どんなことを思っていたのか、何を面白いと思っていたのか、亡くなった彼女はどんな笑顔を持っていたのか、私たちにどんな話をしてくれたのか、彼女が私のことをどんな印象を持って見ていたのか、誰にも話していなかった二人だけの思い出などなど、三人で笑いながら話しました。当時仲がよかった私たちの話は尽きずいろいろ思い出しては大爆笑した。でもその間何度か胸が詰まりそうになった瞬間があって、それはやっぱりどうしても思い出せないいくつかのことがあったり、20歳だった私が彼女の死をきちんと受け入れていなかったことに気がついたり、この13年という時間の長さを思ったり、いろんな気持ちがここに来て押し寄せてきたからなんだと思う。
■芝居を始めてから何人かの知人が亡くなった。そのことにいちいち驚いて来たが、思えばこれからの人生はどんどん死を受け入れなければいけないわけだ。等しく死は訪れる。自分もいつ死ぬかわからない。死なないような気がしていても絶対に人は死ぬ。そのうち驚いてはいられなくなるかもしれない。友人の死を黙って受け入れる日がやってくるかもしれない。しかし、13年前の自分には死があまりに特別だった。受け入れられなかった。恐ろしかった。だから彼女は私にとって特別な人なのだ。
■13年たってようやく見えたことがあった。そしてまあ当たり前のことだが、どんなことがあっても死ぬまで一生懸命生きようと思った。彼女がやりたかったことを私はやり続けていけたらいいなと純粋に思った。大きな意味でも小さな意味でも。それにしても13年たって、おっさんおばさんになった3人でいろいろ話してあの日々が最高に面白く刺激的だったことを再確認できてよかった。若い時期にあんな面白い体験ができて幸せだったんだと。と同時になんだかんだと自分たちの生き方をも再確認するという非常に不思議な日になった。彼女の話をしつつ結局三人して自分の人生を顧みるなんて、まあ結局自分のことしか考えてないんじゃねえかといわれても仕方がないのです。ま、いいかと思う。その中心に彼女がいたからいい。許してくれると思う。というか彼女のおかげで今またこうやって彼らと会えてる。彼女が私たちを繋いでくれている。
■なんかうまく書けたかどうか(うまくというのは自分の思った事を書きたいように書けたかということ)わからないし、たぶん客観的に見てまとまりの欠けた文章ではあると思うんだけど、今日はこれで一旦終わりにする。自分はたくさんのことをきちんと書こうとしたって土台無理な話で。書こうと思ったこと、こんな風に書き留めておきたいと思ったことの100分の1もここに残せない。と、言い訳か。まあ、ただ書いた事は間違いじゃないだろうと思おう。彼女が私たちに大きな影響を残してくれたし今も影響され続けてるってことを書き記しておきたかったのだ。
英語日記 8/11 人間のクズ
- 2009/08/12
■今日近所の商店街を歩いていたら目の前にどこかで見た事がある後ろ姿があり、でもすぐに思い出せなくて、あれ?と思って早歩きで追い抜き顔を見たら、中学校の時の担任のK先生だった!
■彼女は全く変わっていなかった。ほんの少し太ったような気はしたけど、歳をとった感じはなくて、はじめは人違いかとも思ったが、髪型は寸分違わず当時のまま。東京の中学校に転校した時の担任教師でとても個性的で面白い人だったからすごく覚えていたのです。
■文化祭の出し物を巡ってK先生と生徒が対立した時があった。K先生は「私、影絵がやりたいの!」と生徒の意見をあまり聞かず勝手に出し物を決めたり、次の日「私の大切な友人よ」と怪しげな影絵の講師(今思えばヒッピー風のおばさん)をクラスに引き連れてきたり、その講師がいきなり「これから私のことをゴムさんと呼んで下さいね」とわけのわからないことを言い出したりで、当然のごとくクラスは混乱した。先生に内緒で開いた学級会ではK先生の独壇場に不満爆発となって、結果「やっぱ影絵はつまんなそうだからなしで」ということになり、そうなると必然的にゴムさんはもう来てもらわなくていいということになった。その報告をK先生にしなければいけないということで、クラスを代表して職員室に行ったのが私ともう一人の男子生徒だ。私は集団でピンチになると何故か「私に任せて!」と手をあげてしまい、後で一人後悔するタイプである。今もだけど。
■で、「・・・ということになりました」と私が報告するそばからK先生の顔色がみるみる青ざめ、「ゴムさんには何て説明すればいいの?」と肩を振るわせ私に言うのだが、私は心の中で「それはあんたが何とかしてくれよ」と思っていた。そんな醒めた気持ちが通じたのか先生はしまいにゃ泣き出して、私に向かって「あなたたちは・・・・人間のくずよ!」と叫んだのだった。職員室で人間のくずと言われさすがにビックリしたが、私はその時なんだか「可愛らしい人だなあ」と思ったのだ。そして先生を泣かせちゃって、何だかものすごい申し訳なくなって、どうしたらいいかわからなくなっちゃったことを覚えている。
■そんな思い出があったからか、今日私は先生に話しかける事ができなかった。悩んだんですが、やめました。先生が元気そうで本当によかった。嬉しかった。
■今日の「悲しい」英文コーナー。
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I would rather go to the movie alone than have Bob come with me.
訳:ボブが一緒に来るくらいなら一人で映画に行った方がましだ。
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■影でこんなこと言われていたら、泣いちゃうなあ。
■私は高校生の時分本当にこんな問題やっていたんですかね。信じられないです。「準2級をやった方が・・・」という声をちらほら聞きつつも、問題集の値段を考えるとMOTTAINAI精神が。さて、英検は10月と1月にあるみたいです。10月はちょっと無理だろ、さすがに。誰か一緒に受ける方いませんか?いないよね。
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■近所にすごくいい古本屋ができ、行くたびに目移りして困っているのですが、今日は花森安治の「一銭五厘の旗」を買いました。第2刷、昭和46年の本です。花森安治さんは長い間「暮らしの手帖」という雑誌の編集長をやられていた方です。もともととても好きな人なんですが、あまりにカバー(写真の左側)の装丁が好みなので買っちゃいました。色がいいなあ、この水色の。
刺繍/なぜ?の嵐/ビーム
- 2009/08/09
■この何日間かあのニュースが気になって確かにずいぶんテレビは見ていたんだけど、そのせいなのか、ストレスが溜まった感触があったので思い切って刺繍をしてみた。子供の頃、裁縫は好きだったのだが「チェーンステッチ」の意味がわからなかった。針の運びが理解出来なかったのである。
■下手である。でもかなり楽しかった。何かきっかけがあったらいつかやってみたいなと思っていたのです。こういうこつこつやる作業楽しい。図面を描いて練習してみよう。
■どうしようか迷っていたのだが思い切ってはじめた事がもう一つ。英語の勉強である。ロンドンであまりに喋れなかった自分にガッカリしたこともあるのだが、実は他に大きく背中を押してくれたのは、最近立ち読みした某雑誌で、コラムニストの辛酸なめ子さんが何故か猛勉強してTOEICを受けるという企画連載が掲載されていて、この記事が私を大いに励ましてくれた。何故?ということを必死にやっている辛酸さんが面白い。で、私は決めた。英検を受ける。
何故?
っていわれることは百も承知だ。だが、聞いてほしい。私は小学生で英検4級を取得した。当時軽く神童扱いされて調子に乗っていたのか、私は高校生で「ゼッタイに受かる」と言われてた英検2級に落ちた。明らかに慢心である。この辺りを境に英語が大嫌いになり、高校三年生の冬、人生で一番頭がよくなければいけない時期に、河合塾の全国統一模試でとうとう「偏差値32」を記録するに至る。苦い経験だ。小学生の私からしてみたらまさに転落人生そのもの。そんな私が一ヶ月後に何故某大学に合格するのか、人は不正を怪しんだだろう。現に仲良しだったクラスメイトが私の合格を知り「・・・・ウソでしょ」とつぶやいたのである。言えるのは、私は運がよかった。それだけのことだ。だからである。だから何だ。受験だ。試験だ。英検だ。でさ、テキスト買ったわけ。パラパラめくったわけ。・・・あ、なんか、一問目から全くわかんないみたいです。さて、私は本当に英検を受けるでしょうか。いつもの私だったら途中で面倒くさくなってうやむやにするんだけどな(自分の性格はさすがによくわかっているのです)、せっかくだからやり遂げたい気もするし。まあ、経過はたまにここでご報告します。
※※※
■この何日かの中の一日、たくさんの子供と遊ぶという仕事をした。5歳児の男子はすごいね。「ブシュワー!!!!」とか「ドビュシャー!!!」などジョジョ顔負けの効果音を口にしたかと思うと、短い手足が飛んで行きそうなほどの激しい動きと共に「◎☆×■ビーム!!!!」「★○&$キーック!!!!!」(記号のところは聞き取れず)と簡単に必殺技を繰り出してくる、私の腹に。結構痛いし。おい君、私の腹は敵じゃないぞと諭してやったがもちろん全く聞く耳持たず。バカばっか。お母さんたちは大変だなあ。
松倉如子
- 2009/07/31
■吉祥寺スターパインズカフェに行く。松倉如子「パンパラハラッパ」発売記念ワンマンライブに行ったのです。
■たくさんのお客さんと渡辺勝さんをはじめとするたくさんの豪華なバンドメンバーに囲まれて松倉さんはとても嬉しそうでした。歌も素晴らしかった。元気がよくて伸びやかで、聞いていて気持ちよかった。楽しかったです。
■昔彼女が路上ライブをやっていた時の姿を思い出しながら見ていた。とある縁で一緒に暮らしたり共に路上ライブをしたりしていた(別に私が歌っていた訳ではないが)その時期のことである。大きく変化し、また何も変わっていない。たくさんの心地よい楽器の音が重なる上に松倉さんの声が飛び込み、これは昔味わえなかった感動で、ここに彼女の5年間の努力と人望と愛が凝縮されていた。しかし彼女の姿は変わっていない。いつまでも純粋なからだがある。
■とても幸福なことなんだけど、音楽を聴きながら、ありとあらゆるたくさんのことを考えました。私にとっていい音楽とは体の中に通る風のようなものだと感じています。普段考えないことまたは考えていても行き詰まってしまうものが音楽という風によって運ばれてきて体の中をすーっと抜けて行く、ような感覚を味わうことが出来る。昨日のライブが終わった後は、体に風穴が開いて、頭もすっきりして、気持ちよかった。
■2時間強ものライブを彼女は堂々と歌いきった。声が強くなったんだなと思った。昔は何曲か歌うと声をからしていたのだ。これはたゆまぬ努力以外のなにものでもないでしょう。真面目、努力、素晴らしいことですよ!本当にプロの歌手になった松倉さん、これからさらにたくさんの人に愛されるだろう。渡辺勝さんと共に、地の果てまで届く声で歌い続けてほしい。
※※※
■〆切は9月1日!
さよならロンドン
- 2009/07/28
■ロンドンで主に何をしていたかというと、生活していました。電車やバスでスーパーに行ったり薬局に行って、帰ってご飯を作ったりする生活です。
■レンタルビデオという概念がないイギリスにおいてCDとDVDはすぐに値引きするらしく、確かに安い。1ポンドは160円前後です。まあイギリスってことでとりあえず「ケス」をカメラに収める。
■「フリクリ」は高い。
■あいつだ!
■大英博物館。これだけ他の国のものを所蔵していて君たちは何も疑問に感じないのか?と問いたくなる気持ちもある。入場無料、写真撮影OKという心意気はかっこいいですが。
■ストーンヘンジ。「世界の七不思議」のうちの一つであるが、実際見てみると意外と不思議ではない。
■木の枝で興奮しすぎた猫。目がやばい。
■時間が合わなくて観れませんでした、ゴドー。それでも舞台は2つ観た。どちらもとてもとても素晴らしかった。舞台には人を元気にする力があると思った。
■さようなら。また機会があったら行きたいです。
帰ってきました
- 2009/07/28
■中途半端なロンドン日記は半端なまま終了し、帰国しました。
■合計二週間、いろいろなことがありました。いいこともあり悪いこともあり面白いことも驚くこともあり、ただとても興味深かったのは自分の心境の変化です。ロンドンに到着して何日かは街に黒人とアラブ人とアジア人と、それこそありとあらゆる人種がいることに戸惑ったのですが、すぐに慣れ、いつの間にその状況がとても気持ちのよいことだと思うようになり、この世界にはありとあらゆる人間がいるということを感じる事ができました。今まで何度か海外に行っているけど、こんなにたくさんの人種に出会い、また親近感を覚えたことは初めてだと思う。自分が予想していた以上に、居心地がよかったです。
■日本にいる時に感じなかった自分の中の日本人。たくさんの人種の人々と会話し(って、英語喋れないんでほぼ会話してないけど)ロンドンで私が日本人だということを改めて深く考えさせられた。期せずして宿泊先のテレビでやっていたヒットチャート番組ではマイケル・ジャクソンの「BLACK or WHITE」のビデオクリップが流れていて、懐かしさと共に、自ら人種を越えようとしたマイケルのことを考えたりした。
■ともかく英語がほぼ出来ないくせに、まあよく何とかやったもんだ。ホテルのオーバーブッキングという危機も、単語だけで乗り切った自分の調子良さにこの時ばかりは正直拍手。あとさ、個人的に実物の「マグナ・カルタ」を見た事には笑った。だって、まさかあのマグナ・カルタを見る事が出来るなんて、信じられないじゃないか!
※※
■帰りの飛行機は、猫庭さんの4月27日と同じような座席だった。
■以下、猫庭から引用。
帰りは非常口の隣の席だったので、「非常口座席のお客様へ」という注意書きを渡された。
そこには、緊急時に私たちがすべきことが書かれていた。
■乗務員が非常口を開放するまでの間、他のお客様を制止すること
■機外が安全であることを確認して非常口を操作し開放すること
■脱出スライドが膨らんだ後、他のお客様を速やかに脱出させること
■脱出スライドにおいて、後から脱出する他のお客様を援助すること
■速やかに機体から離れて遠くへ避難するよう声をかけること
■その他(必要に応じ、乗務員が具体的に指示させていただきます)こんなに・・・・
私を買いかぶっていないでしょうか?
(以上猫庭 2009年4月27日「プロペラ機」より引用)
同じ気持ちになりました。
※※
■帰国後、時差ぼけやら何やらで体の調子がおかしい。喘息になる。あと、暑くて苦しい。整えていかねばならないなあ。だるい体で矢作俊彦「ららら科学の子」を読み終えた。少し読んではまた戻り、また戻りでものすごく時間がかかった(小説自体はたぶん読みやすい文体だったと思う。なかなか読み進められないのは私の単なる知識不足)が、とても面白かった。
■彼らは元気でした。
ロンドン日記 7/17
- 2009/07/18
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