書くこととは/ポツドール
- 2008/04/12
■戯曲や小説を皆どうやって書いているのか知りたいところだ。人それぞれなんでしょうけど。私の場合、茫漠とした景色にジクソーパズルをばらまきそれを時間かけてはめていくという感じがする。イメージとしてはそこは「ウルトラクイズ」のモハーベ砂漠のような場所で、それは空から落ちてくる。ああ、これはばらまきクイズだ。トメさんが、「これを何と読むー!!」と広げた用紙には「ハズレ」と書かれ、私はまた荒野を走らなければならない。
■子供の頃からウルトラクイズに出演したいと思っていたが、このばらまきクイズだけは「無理」と思っていた。
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■何か面白い舞台が観たい、刺激が欲しい、そう思い、ポツドール「顔よ」を見にいく。舞台上は大変なことになっていたが、とにかく上手いなあ丁寧だなあと思った。どこかのインタビューで主宰の三浦さんが言っていた「お客さんと共犯関係を作りたい」という意思はひしひしと感じたし、あ、今完全な共犯関係だなあと思ったのは、お客さんも出演者も皆が一体となってあるものに向かって集中している瞬間が何度となく訪れるってこと。これはすごいことだ。それにしてもこれどんだけ稽古したのさ、って感じの完成度だと思う。尊敬する。この人いいなあって思った役者さんはゴキブリコンビナートによく出演している人だった。うーん、よかったなあ、あの人。チェルフィッチュの松村翔子さんもすごくよかった。井上幸太郎さんとは昔からの知人で、終演後挨拶したら「かさぎさん、大人になっちゃって・・」と言われたがそれは老けたということだろう。刺激はたくさんいただいた。帰りにロビーでたくさんの人に会い、この舞台にかかる期待の大きさやエネルギーを感じた。帰り道ある人と話をして、とにかく私も必死で頑張ろう書こうと思った。
募集
- 2008/04/11
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アデュー第2回公演「125日間彷徨」のお手伝いをして下さる方を募集しています。
・制作助手
・演出助手、稽古の手伝い
経験は問いません。ご興味のある方はinfo@adieuadieu.comまでご連絡下さい。
追って笠木からご連絡致します。
どうぞよろしくお願い致します。
笠木泉
リニュアルオープン!
- 2008/04/10
■相馬くんが新しいブログとアデューのHPを作って下さいました!デザイナーのmeeちゃんが作ってくれた素敵なチラシも掲載されております。
■見せてもらった時に、あまりの良さに声が出ませんでした。相馬くん、meeちゃん、本当にありがとうございます。
■そんな訳で、8日は「125日間彷徨」の宣伝写真を撮りに調布市の神代植物公園に。嵐の中、撮影。モデルは出演者の細江祐子さん。友人のTさんに撮影をお願いする。私は特にやることもないので率先してくだらない話をする。
■その後、「125日間彷徨」の顔合わせ的な時間。今回は他の舞台の稽古がある方も多いので、パズルのように稽古して行くつもり。出席者に少し話をして、エチュードをしてもらう。これから2ヶ月間か。台本はまだ書けていない。準備に時間がかかっている。もっと考えなきゃって思っていて、書いては止め、書いては止めている。考えても考えても全然及ばないのだ。前回の台本なんて3日で書いたのになあ。何だよ3日ってありえねえって気持ちである。
■今回は「これでいいのだろうか?」という疑問を常に持ち続けていこうと思う。言葉や体、演出全てにおいて。
■これから稽古の日々が始まります。皆さん、どうぞよろしくお願いします。
□テーオを初めて見つけた場所に行ってみた。テーオの兄弟らしき猫がわんさか集まって来た。どの猫も両目が輝いている。何故テーオだけメダマが飛び出ていたのだろう?
ヘイト船長とラヴ航海士
- 2008/04/05
■今日は働いた後、渋谷で鈴木慶一LIVE!わーいくぞー!ってことで高山玲子さんと。
■大人でかっこよくてセクシーで勇ましい、本当に楽しいライブだった。慶一さんの発するエネルギーに圧倒。そしてプロデューサーでもある曽我部恵一さんが歌った、慶一さんの1976年(ちなみに私が出生した年でもあります)に誕生した名曲「スカンピン」は体が震えました。実は鈴木慶一×曽我部恵一、この組み合わせは私にとってあまりに特別であります。慶一さんとは遊園地再生事業団での共演がきっかけで仲良くしていただき、それから私は「ムーンライダーズ」のあまりのかっこよさに胸をかき乱されることとなったのでした。そして曽我部恵一さんは何といっても「サニーデイサービス」です。確かに私の青春のある瞬間を彩ってくれた音楽でした。私が断然惚れたのは曽我部さんの甘い声と言葉。とにかく心地よかった。アルバムを毎日毎日何度も繰り返し聴いたものです。
■高山さんは今現在映画を撮影中らしく私はわたしで頭の中台本のことでいっぱいいっぱいだったのですが、いい感じに影響を受けて大満足し、帰りに幸楽苑(本社:福島県 旧名:「ラーメン会津っぽ」)の280円ラーメンを食べて帰って参りました。280円なのにそんじょそこらのラーメンよりうまいよ。
■言葉と音楽と人生の融合。枯れた照明、命を感じる歌詞。服、顔、笑顔。声、叫び声。総じて鈴木慶一さんは、本当にかっこいいと思う。あんな大人になれたらいいのになあ、とライブを見ながら一瞬そんなことを考えた。
加湿
- 2008/04/03
■なんか、たまには宣伝してみようかと思うのですが・・今日の夜9:30からのフジテレビのドラマ「アテーションプリーズスペシャル」に少し出演してます。こんなこと書いて大幅カットされてたらどうしようと小心者の私。
■チラシようやく入稿!デザイナーのmeeちゃんのおかげでホントにいいチラシができたなあと・・・。直前になっていろいろ変更させたりして迷惑かけました。
今回紙質、ちょっと冒険してみた。出来上がりが楽しみ・・・・。
さあ、あとは、台本・・・。
■それにしても気管支の調子、かなり悪い。今年の冬は↑コイツに随分助けられました。喘息になったら口をでかく開けてコイツから出る蒸気を全てキャッチ。目に見えての快復は望めませんが、幾分のどが湿ります。
新学期
- 2008/04/02
■なるべく台本のことを考えて、というより否応無しに台本を書かねばいけない状況。子供の頃宿題もぎりぎりまでやらなかった(もしくは全くやらなかった)私の本は、やはりぎりぎりになりそうだ。
■台本のことを考えながら眠ったせいか、非常に怖い長編の夢を見てしまった。
野球場で花火を見ていたらある知人が私を捜していると耳に入った。知人に殺されないようにとだけ祈って私は知らない女性と一生懸命自転車を漕ぎつづけるのだが、夢の最後でそれが演劇の舞台で私は登場人物だったのだと気がつく。演出家は何故か映画監督の古厩智之さんだった。
■寒くなったり暖かくなったりで、私の体調に大きく関わってこないでほしい春であるが、桜はさすがに美しくカッコいいですね。
■寒いと白、暖かい時や興奮した時、走り回った後はピンク。ナフルの鼻の色です。
友達の唄
- 2008/03/25
■21日。バッハの誕生日だそうです。NeophiliaClassical#4「持ち寄りバッハ」を聞きに行く。
演奏前に音楽事務所Neophilia代表である吉岡光晶くんが挨拶をする。彼は私の幼なじみであるサヨちゃんの弟である。彼のことはこーんな(と、腕を下に伸ばし手のひらをピンと張るポーズ)小さな頃から知っている。その彼がスーツを着てピアノを弾いたりマイクを手に喋っているのを見て、妙な気持ちになり、不覚にも泣きそうになった。泣いてはいない/泣きそうになっただけだ。彼も私が舞台に上がっているのを何度か見ているはずだが、「ああ、いづみちゃん、大人になったなあ」とか泣きそうになったりするのだろうか。ないね多分。
その後の演奏を聞きながらやはり思い出すのは小学校の時のことで、私とサヨちゃんは吹奏楽部だった。サヨちゃんはフルートで私はテナーサックス担当だった。毎日毎日「背番号のないエース」(タッチのテーマ曲)と「アフリカンシンフォニー」いう曲を一生懸命練習した思い出がある。
音楽を聴くと本当にいろんなことを思い出す。家でも、コンサートでも、街の中でも、記憶がぶわあっと蘇るのが怖い時さえある。
※※※
■22日。上村くんと焼き肉を食べた。私はごはんを注文しモリモリ食べたのに、ヤツはnotごはん。困るなあ、そういうの。いろんな話をする。笑い過ぎた。
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■23日。暖かい日だった。代々木上原の「FireKing Cafe」で友達とお茶をする。彼女と会う時は「じゃあ、×時にいつものところで」というメールで、もうこのカフェと特定できる程。面倒なのでもうここでしか会わない。つぶれないでくれ私の唯一の行きつけオシャレカフェよ。帰り際、彼女の携帯に配信されるニュースで荒川沖の通り魔事件を知る。
島尾伸三の「父・島尾敏雄」という文章を読み、感動する。
アデューのチラシ案がみーちゃんより。ほぼ完成だと思う。美しいチラシになりそうだ。戯曲、依然書けない。じりじりしている。
理想/別れ
- 2008/03/20
■祖父の葬儀も無事に終了し東京に帰って来ました。
■祖父が亡くなってから、いろいろなことを考えました。生きること死ぬことや、葬式のドタバタについて、家族についてなどなど。
■今は亡くなった祖父を大切に思うのと同時に、自分のことをしっかり大切にしなければいけないと感じています。例えばの話ですが、何かの結果自分が傷ついたり自分が周りの人間を傷つけることが、生きていればよくある話な訳です。でも、別に誰も自分を傷つけたい訳じゃないし他人を傷つけたくて言葉を発するわけじゃない。それは意思ではなく状況に過ぎないわけです。たぶん運とも言えます。運は自分や周りを幸福にするし、不運はその逆。
■残念ながら運に見放されてしまったら、なるべく状況が悪化しないように、または間違ってそうなってしまった時に強靭でいられるようにしたいと思います。
■本当に自分と他人を大切にするためには何が必要かを考えつつ、面倒で無駄な考えを捨てて、落ち着いて、呼吸をして、これからも頑張ろう。
※※
■最後優しい気持ちで別れることができたので、あまり悔いもないし、静かないい別れだったと思う。
目覚め
- 2008/03/12
■祖父が亡くなったので実家に。亡くなったのは早朝で、私はいつもなら寝ていて電話が鳴っても気がつかない時間なのだがたまたま実家からの連絡にすぐに気がつけた。というのも、前日の夜、尾籠な話で恐縮だが、突然気持ちが悪くなって嘔吐し、何だか一年に一回来るか来ないかくらいのだるさがやって来て、意味もわからず、もうとにかく全身つらいのが面倒になりさっさと早寝してしまったからだ。朝清々しい、と言ったら変だけど、パッとはじけるような目覚めだった。祖父はその時間に息を引き取った。今祖父の顔はとても穏やかで何故か化粧したように頬骨が赤い。何なら生き返りそうでもある。思い出は尽きない。優しくしてもらった。ずいぶん怒られた。一年前までお小遣いをくれた。いつも姉と私を間違えるおじいちゃんはアデュー第一回公演でスライド出演してもらったおじいちゃん(無許可)でもあり。ああとうとうさよならかあ。さみしいなよあ。
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